Neetel Inside ニートノベル
表紙

あの世横丁ぎゃんぶる稀譚
06.競神

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 どくろ亭の開けっ放しのガラス戸から身体を滑り込ませると、食べ物と酒のにおいと人いきれのむっとした空気が押し寄せてきた。奇形と呼ばれかねない姿態の妖怪たちは木の杯をぶっつけあってげらげら笑い、死に装束の女たちがくすくすと誰かを小馬鹿にしながら何かを囁き合っている。何人かがいづるの方をちらっと見たがすぐにテーブルの上で交わされる会話と罵倒の中に戻っていった。
 ガシャドクロの店主はいつものようにカウンターの向こうで酒を注いだりフライパンをゆすったりしている。いづるは店主の視界の端ギリギリの席に座った。子猫は胸元に抱いたままである。
「いらっしゃい」と店主がこっちを見ずに言う。
「なににする」
「アツカンと枝豆」
 店主は徳利をガスコンロで念入りに炙って、いづるの前におちょこと一緒に置いてくれた。カウンターのすぐそばにはおしぼり用の保温器があって、いづるは勝手にそこからツメシボ(注:冷たいおしぼり)を取って、とても素手では触れたものじゃない徳利の中身をおちょこに注いだ。湯気をまとった熱気と一緒に米のにおいが香り立つ。
「日本酒はアトから来るぜ」やはり店主はこちらを見ない。
「知ってるよ。でももう死んでるから吐いたりしないだろう。おい電介、おまえは飲むなよ。おいったら、やめろって、熱いぞ、こら」
 猫は水が苦手だというが、電介にとっては酒は別口らしい。あこぎな猫である。果敢に繰り出される猫パンチがおちょこを転覆させる前に、いづるは新たに出てきた枝豆から片手で器用に中身を取り出して、猫の口の中に突っ込んだ。一発でおとなしくなった。
「飛縁魔もずいぶん縮んだもんだな」
「なに言ってるんだおやじさん。姉さんがこんなかわいげがあるわけがないだろう。眼科にいけよ」
「ああ、そうだろうな」店長はさして気を悪くした風でもなく、硬い骨の指を駆使して餃子の皮を包みながら、
「やつはどうした。おまえと一緒にいたはずだろう」
「さァね。知ったことじゃないな――」
 いづるは親指で仮面を軽くあげて、おちょこから熱い酒を喉に流し込んだ。感慨深げなため息を漏らす。枝豆に夢中の電介の頭を撫でながら、
「いまはこいつが僕の相棒さ。彼女よりもよっぽど頼りになりそうだろう。え?」
「おまえ、酔ってるな」
「だったらなんだっていうんだ――」いづるは注ぎ足した酒も飲み干して、
「僕が酔っていたらなんだっていうんだ。なにか文句があるのか。あんたは黙って酒を出してりゃいいんだ」言いながら二杯空ける。また注ぐ。
「いったい何があったんだ? 土御門の馬鹿は呪い屋どもに追いかけ回されてるし、おまえさんと飛縁魔は誰も行方を知らないしよ。心配したんだぜ」
「みっちゃんか。彼には悪いことをしたな。追われてるってことは、牛頭天王とツーカーってわけじゃなかったらしいな。悪いことをした。本当にそう思うよ。おかわり」
「なに?」
「徳利がもう空だって言ってるんだよ。とっとと持ってくるんだ」
「ちっ、この悪童(わるがき)がァ――」
 店主がワイルドなやり方で日本酒をアツくしている間もいづるはしゃべり続ける。仮面の額あたりに押しつけた手が持つおちょこがゆらゆら揺れる。
「飛縁魔? ふん、だからなんだっていうんだ。僕の知ったことじゃない……僕の知ったことじゃ……」
 とん、と木のカウンターに新たな徳利が置かれる。山盛りの枝豆に顔を突っ込んでいた電介が、ちらっと徳利を見た。いづるはその視線をさえぎって、両腕のなかでおちょこに酒を満たす。頭が前後に揺れている。
「なァ坊主、俺はおまえと一度しか面識はなかったが」と店主。
「それでもおまえさんが飛縁魔を慕っていたのはこのカウンターからでもわかったぞ。なにか事情があって離れているらしいが、ちゃんと取り戻せよ、惚れた女は」
「惚れた? うん、そうかもな。でも違うな。惚れてる女を姉さんなんて呼ぶものか」
「気を惹きたかったんじゃないか? 俺の若い頃にも覚えはあるぜ。女からしたらドン引きなことをついついやっちまうんだよな。ああ、そうとも、それが思春期ってもんだ」
 あらわになっているいづるの顔、その下半分が店主の言葉によって醜悪にゆがんだ。
「違う。もっと気色悪いことだ」
「どう気色悪いんだ」
 いづるはしばらく、黙って酒を飲んでいた。が、徳利が四本目に入った頃、唐突に語り始めた。
「僕は家族がほしいんだよ。血の繋がっていない家族がだ。血が繋がっていたら、駄目なんだ。絶対に駄目だ。血縁関係があれば拒否することができない。僕の母のように」
 徳利の山を割るようにして、いづるはテーブルに突っ伏した。
「許可がほしいんだ……家族でいてもいいっていう許可が。その許可を誰かに与えてほしかった。そうしてもらえたらきっと、僕は自分を好きになれるし認めてやれる。どんなことでも頑張れるしきっと馬鹿みたいな綺麗な勇気が湧いてくる。なんだってやれるんだ、僕の、僕の帰りを待っていてくれる家族を、血ではないもので繋ぎ止めることができたら……」
「坊主……」
「会って間もない他人に、僕は無意識とはいえそういうことを要求したんだ。僕は気持ち悪いやつだ。わかってるんだ。自分でも吐き気がしてくる。でも、よかったよ」
 身を起こして、言う。
「こんなことを知られる前に、飛縁魔は僕の前から消えてくれたからな。恥をかかずに済んだってものさ。ははは、なァそうだろ? あんただってそう思うだろ。僕はツイてる。幸運だ。よかったよかった、本当に」
 くすくす笑いながら、いづるはおちょこを空中で旋回させたり急上昇させたりする。カオスに陥った名づけ親を電介が透明なまなざしで追いかける。店主は前かけで手を拭いて、ようやくいづるを見た。正確には、いづるの向こう側を。
「だとよ、お嬢さん方。あとは勝手にしてくれや。俺には関係ない。俺は、酒と飯を出すだけさ。坊主、うしろを見てみな」
 言われたとおりにした。
 入り口脇の四人がけテーブルに、懐かしい顔を見つけた。いづるは乾いた笑いを漏らした。
「紙島、おまえなんて格好してるんだ?」
 二人の少女のうち、一人が答える。
「わたし、実は呪い屋なの」腕を組んだ紙島詩織は、昔の貴族の服を着ていた。「黙っててごめんね? でも、門倉くんはどうせ言っても信じなかっただろうし。死後の世界もオカルトもないんだってぎゃあぎゃあうるさかったもんね、ずっと」
 答える代わりに、いづるはまた杯を干す。
「で、アリスとは友達ってわけか」
「そゆこと」と、もう一人の少女、アリスが言う。「ついさっきからね」
 肩越しにいづるを振り返っているその顔からは表情が読めない。笑っていないことだけは確かだ。
「どこから聞いてた?」と聞くいづるの声は、少し震えている。
 詩織はたゆたう酒さえ凍らせそうな声で答えた。
「最初から」
 ――――もうどうにでもなるがいい。
 いづるは振り向いて、二人と向き合った。その際に徳利を一本肘でひっかけ、床に落とした。割れた陶器の音が、店内をしいんと静まり返らせた。
 詩織の瞳が嫌悪に染まる。
「前々から思ってたことが正しくて、残念だよ、門倉くん」
「へえ、何をどう思ってたんだ」
「あんたが最低だってこと」
「奇遇だな、僕もそう思う。なんだ、意外と気が合うじゃないか。結婚しよう」
「そうやって虚勢を張るところがみっともないってわからない?」
 ぐうの音も出ない。いづるは空になったおちょこを手の中でもてあそんだ。
「死んで少しは反省したり後悔したりするかと思ったら、結局手を出したのはギャンブルなんて、本当に救いようがないね。アリスから聞いたけど、飛縁魔を手伝おうとしたところまでだったら見直してもよかったのに。ねえ門倉くん、のっぺら坊たちが君のことなんて言ってるか知ってる?」
「聞かなくてもわかる」
「いづるん」とアリスが頬杖をつきながら、話し手の役を詩織から引き継いだ。よくよく見れば彼女の青空色の着物はところどころ破れていたり、焦げていたりする。彼女は牛頭天皇からいづると飛縁魔を逃がしてくれたのだ。そのお礼さえもいづるはまだ言っていない。
「飛縁魔ね、この人が助けてくれたんだよ。猿どもにさらわれたんだってね。で、あたしのところまで連れてきてくれたの。そのときにも、牛頭天皇の追っ手を追っ払ってくれたし」
 たまたま助けたあなたが彼女の知り合いでよかった、と詩織が付け足す。いづるは、ストゥールからぶらさがった足を振り子にして、聞いているのかいないのかはっきりしない。無論聞いていないわけもないが。
 話が途切れ、渋々いづるは話を繋いだ。
「で、飛縁魔は?」
 アリスと詩織が意味ありげに目配せし合い、アリスが壁に立てかけてあった太刀をいづるに差し出した。
「それ、彼女のか。確か虚丸とか言ったっけ。違った?」
 アリスが何も言わないので、いづるはそれを受け取り、何気なく刃を鞘から抜く。太刀を傾けるたびに、青を通り越して紫色に近い刃紋が違った色に変わる。
「飛縁魔はね、力を使いすぎちゃったんだよね。賭けで牛頭天皇に相当持ってかれたみたいでさ。で、身体を維持できなくなって……いま、その刀の中で眠ってる」とアリス。
「彼女を復活させるには、莫大な魂貨がいるの。門倉くん、きみは最低だけど、それでもいくらか彼女のために稼ぐことぐらいならできるんじゃない? それが贖罪だとわたしは思うけど。彼女をきみの卑劣な妄想に使ったことへのね」と詩織。
 二人の視線がいづるに集中する。周囲の客が興味深げに動向を見守っている。店主が店の奥に引っ込み、電介はおっかないお姉さん二人に恐れおののいて枝豆の小山に疎開したまま出てこない。
 いづるは笑い混じりに言った。
「誰がするか、そんなこと。僕の稼いだカネは僕のものだ。どうしようが僕の勝手で、僕は飛縁魔にそこまでしてやる義理もない」
「そう言うと思ったよ」詩織が言う。
「きみはそういうやつだもの」
 言い残して、詩織はどくろ亭から出て行った。テーブルには飲み干された紅茶のカップが置いてある。律儀に赤い小さな硬貨が三枚添えられている。アリスがそれを拾って、自分の分と合わせてカウンター向こうに投げ放った。店主の毒づく声が跳ね返ってくる。
「きみには感謝してる、アリス」
 戸口を潜ろうとしたアリスの背中に、いづるは言う。
「きみがいなければ僕もあいつも逃げられなかった。ありがとう」
「ふうん。しおらしいじゃん? あたしには媚売っとけば、家族になってもらえるかもって?」
「…………」
「悪いけど、あたしはひとつのところにじっとしてるのはごめんなの」
「べつにそんなつもりで言ったんじゃなかったよ。まァいいさ。これできみと会うことも二度とないだろうし、せいせいする」
「そうかもね。ま、がんばって。応援してるからさ。あ、飛縁魔を元に戻したかったら大量の魂貨に太刀を近づければいいから。家建つぐらい要るかもしんないけど」
「おい、だから――――」
「なんでもいいけどさ、もう笑っちゃうくらいバレバレだからね?」
 薄明るい外へと開いた四角い枠の縁に手をかけて、アリスは笑う。
「あんたがどーしよーもない、天邪鬼だってこと――」





「だってさ」
 いづるは枝豆の森から首を出した相棒の顎を撫でた。
「おまえはどう思う?」
 子猫は自信ありげに背筋を伸ばして、なーおと鳴いた。


(つづく)

       

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