Neetel Inside ニートノベル
表紙

あの世横丁ぎゃんぶる稀譚
09.土御門光明

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          突然だが、土御門光明はクローン人間である。




 べつに大したことではない、今の時代、いろんな理由でクローン人間は実際に産まれている。なに、SFの世界の話だと。何を言っているのか。あんなものは細胞の核から取り出したDNAを卵子にちょこっと入れてやるだけでできるのである。そしてできるとなったらやってしまうのが人間のサガである。法律で規制されていようとバレさえしなければ関係ない。できるとなったら原爆も落とすし月にも飛ぶ。できなければできると信じてなんとかする。それが人間である。
 クローン技術が確立された頃、各地で著名人の墓が暴かれた。なぜか。遺髪等からDNAを採取するためである。所詮は同じ設計図を持っただけの人間ができるだけなのに、まるでクローン技術によって過去の人間が蘇るかのごとき勘違いをした彼ら罰当たりどもは、せっせと土の下から遺髪を掘り起こして適当な母体に過去の寵児たちを出産させた。これを読んでいるあなたも、ひょっとするとものすごいいわくのある遺伝子を持った人なのかもしれない。
 土御門光明も、そういった遺伝子を持つ一人である。もはやお分かりであろう。かの有名な大陰陽師、安倍晴明の遺伝子が、彼の母体となった女性の卵子には組み込まれた。そして土御門光明は2783gの健康な赤ん坊としておぎゃあと生まれた。
 べつになんの記憶も有していない。狐と人の合いの子だったわけでもない。
 しかし、彼の生家は彼に期待し、彼にずっしりと重たい幻影を負わせた。彼はいつも自分の元となった知りもしない人物の逸話を聞かされ、彼が好んだものを喰わされ、彼の好んだ歌を聴かされ、彼の歩んだ人生を追体験させられた。
 無論、確かめるすべはないが、似ていたのだろう。女と見間違うような華奢な身体、白皙の美貌、そして優れた呪術師としての能力。彼はまさに安倍晴明の生まれ変わりとしてこの世に生を受け、それを誰にだろうと納得させうる特性を身に着けた。
 幸せだというか。
 たとえどんなに努力しても、あらかじめそれが決まっていたかのように頷き一つで済まされる彼の日々が。
 恵まれているというか。
 たとえどんな不適格を感じても、そんなはずはないおまえは彼なのだと無理やり好きでもないことをやらされる彼の日常が。
 幸福と不幸の境界線はまどろむばかりだが、それでも土御門光明は鏡を見ていつも思う。
 ――俺はこいつがうっとうしい、と。
 何もかもがこの顔をした別の誰かに横取りされているような気がする。
 どんなに頑張っても何かを得るのは一千年も前に死んだこの顔をした男のような気がする。
 なら、自分に価値はあるのか。自分がここにいるのは、この顔をした知らないやつの人生の補強でしかないのではないか。
 自分は誰かに鑑賞されるためにここにいるのではない。そう自分で思っても、周囲はそうは受け取らない。口ではなんとでも言う。おまえはおまえだとか、ちゃんと光明は光明として見ているよとか、似たようなことを平気でほざく。
 そんな薄っぺらな嘘、たとえ血統書つきでない雑種だろうと察知できる。
 相手の目が、自分を通り越して、背後にいる誰かに向けられている。光明は表面上はどう取り繕っていようとも、心の底の底ではそれが悲しかったし、空しかったし、やるせなかった。
 だから、許婚の話が舞い込んできたときも嬉しいよりも、それこそ歴史オタクみたいな女が「晴明さま! 晴明さまであらせられますか!」などと言って畳に三つ指をつき頭を下げてくるのではないかとまず思った。歴史的人物との結婚。ミーハーなやつにはたまらないステータスだろう。
 ステータス。戸籍上の名前などに意味はなく、これまでの人生をどう歩んできたのかも関係なく、遺伝子の証明書一つで、手に入る栄光と名誉と幸せ。人生の勝ち組。チートプレイヤー。
 いっそ死んでしまおうかとさえ思う。
 光明は許婚が挨拶に来るという日も、自分の部屋の二階の窓にもたれて空を見上げながら、死ぬことばかり考えていた。まだ中学三年生だった光明にとって、結婚相手が決まったというのは、なかなかボディに来るものがあった。しかもその相手は土御門家の遠縁、つまり実際にいたはずの安倍晴明の嫁の血を引いているわけである。相当薄くなっている上に、当の晴明自身の血も混じっているのに、光明の戸籍上の父も母も諸手を挙げての大喜びであった。細かいことはどうでもいいらしい。
 光明の遺伝子の視点からすれば、末裔との結婚になるわけだ。
 ベッドの下にエロ本をしこたま隠している中学三年生にはそんなのは重過ぎる話で、光明が世を儚んで窓から身を投げ出したくなるのも当然といえば当然の流れなのだった。
 窓の外では使用人が中庭の手入れをしている。ホースから巻かれる水が夏の陽光を反射して、光明は目を細める。
 そして使用人がホースを止め、光の奔流が収まり光明が目を瞬かせると、観音開きの門からちょうど正装した和服の夫婦と娘らしい少女が入ってくるところだった。
 光明は百倍の重力に襲われたような速さで床すれすれに身を伏せた。畳に沿わせた胸の奥で心臓がどっくんどっくん言っているのを、どこか冷静な自分が観察していた。
 あれが俺の嫁。
 実感が湧かない。ベッドの下のエロ本が目に入る。近くの公園に捨ててあったのを三時間かけて厳選したS/Mどっちの気分でも対応可能な十二冊。
 そんなものを未来の旦那が隠し持っていることもあの子はちっとも知らないのだ。それなのに、親の命令でいま嫁がされようとしている。結納は光明が十八になってからという段取りだったが、すぐにでもこの家に同棲するらしい。そういえばさっき窓からちらっと見たとき、着物に似合わない旅行用のキャリアケースを転がしていたような気がする。
 気の毒だった。自分が、ではなく、たかだか塩基配列の並びごときと結婚させられるあの子が。
 今からでもキチガイのフリでも一発かましてこの婚約を破談にさせようか。いやそんなことをしても無駄だ。俺には保証書がへばりついている。その保証書は未来永劫剥がれることはなく、そしてそれがある以上、たとえやつらの前で小便を撒き散らしても俺は許される。
 俺の背後にいるやつが、許させる。
 不覚にも涙が滲んだ。
 光明は人前では決して泣かない。一人のときも泣かない。
 だからそのときも一人で歯を食いしばって、浮かんだ涙をなかったことにした。それは何を言っても誰にも何も伝わらないのだと悟ったことのある人間にはよく理解できるだろう、意地だった。
 絶対になんとかしてやる、と威勢よく立ち上がったが、階下から聞こえてくる両親の歓待の声に、へなへなと気持ちが崩れた。
 それでもなんとか、打開策を考えながら、階下に向かった。階段を一歩ずつ下りるたびに心臓の鼓動が活動限界ギリギリまで速まっていく。心なしか気温まで下がっていく。
 ところが下がっていたのは気温ではなく光明の体調の方で、階段を降りる途中で急に視界が暗くなったかと思うと、足元の階段がふっと消失し、ものすごく遠くから鈍い音がして、光明はわけがわからなくなった。誰かが叫ぶ声がして、ずるずると身体が引きずられていくのを、普段の三分の一ぐらいの鮮明度で感じている。これが六分の一ぐらいになると臨死体験というやつになるのだろうとまた頭のどこかで考える。
 布団に寝かされて身体を揺すられる。それはわかるのだが目が開かない。そばで話し合う声もはっきりとしない。水の中にいるように、何もかもがくぐもっている。しばらくそんな心地いい時空を漂っていた。その間ずっとそばに誰かいる気配だけがしていた。
 潮が引くように意識が現実に急速に接近し、目が開いた。
 電灯の明かりを遮って、誰かが自分の顔を覗き込んでいた。
「大丈夫?」
「ああ……」
「階段から落ちたんだよ。覚えてる?」
「う……ん」
「起きれる? お水飲む?」
「飲む……」
 背中を支えられるようにして身を起こし、グラスの水をこくこく飲んでいると、その冷水の清らかさが脳の中にまで染み込んでくるようだった。何度か強く目を瞑ると、もうすっかり妙な心地は光明の中から去っていた。そして新たにやってきたのは初対面でいきなり階段を踏み外し気絶したことに対する恐るべき羞恥心。まともに少女の顔を見られない。耳が熱い。穴があったら住みたい。
「あの……九連寺桔梗……さん……だよな?」
 少女はにこっと微笑んで、
「うん、そう。えっと……お嫁に、来ました?」
「……なんで疑問形?」
 ボッと少女――桔梗のの顔が赤くなり、グラスの乗っていたお盆で鼻から下を隠してしまった。
「あ、いや、日本語的に合ってるかなって。ほら、なんかこういうのって、もっとちゃんとした言い方があるのかなって」
「いいよそんなの……どうでも」
 言ってから、ちょっと素っ気なさすぎたか、と思ったがもう遅い。一度言った言葉は撤回できない。もっと強い言葉で上書きしない限りは。
「……親父たちは?」
 沈黙に耐え切れずに光明が聞く。桔梗はなぜか慌てて、
「い、居間にいるよ! 呼んでこよっか?」
「いい……」
「そ、そう」
「あのさ」
「は……い?」
「ありがとな。あと悪かった。格好悪いとこ見せて」
 とても目を見てなんか言えなかった。なんの面白みもない壁に向かって光明は謝罪した。しかし、桔梗が何も言わないので、おそるおそる振り向かざるを得なかった。
 桔梗は眩しそうに笑っていた。
「おもしろいね、光明って」
 なんと答えていいかわからず、光明はぷいっとそっぽを向いた。照れ隠しなどしようものなら「何がおもしろいんだよ意味わかんねえあとないきなり光明とか下の名前で呼ぶんじゃねえ馴れ馴れしいぞブス」などと本心とはまったく真逆のセリフが出てくるのがオチである。
「ねえ」
 袖を引っ張られた。
「ちょっと今後の私たちの関係について参考にするための非常に大事な質問があるんだけど……」
 意図せず光明の身体がこわばった。なにやらまじめな話のようだ。
「な、なに?」
「あのね……」
 桔梗が唇を光明の耳元に寄せてくる。吐息が耳たぶにかかる。光明は叫びだしそうになるのをこらえて、耳打ちされるのを待った。
「光明って」
「お、おう」
「――アニメとか、見る?」
 たぶんものすごい形相をしたのだと思う。光明の顔を見た桔梗が真っ青になって飛び退った。
「いや! ごめん! なんでもないから!」
「あの」
「ほんとなんでもないから! 忘れて!」
「見るけど」
「え?」
「いや、見るけど。普通に。六時からのやつとか。あんまたくさんは見てないけど、うちにだってテレビぐらいあるし」
 桔梗は下がったのと同じ速度で戻ってきて、
「深夜は?」
「し、深夜?」
 まさかそっちに話が飛ぶとは思わなかった。飛ぶとしても日曜朝八時半からの魔法少女系のやつだろうと予想していたのだが、深夜アニメ。
 それを見ていると言えばもうオタクのそしりは避けられないタイムラインである。
 正直言ってあんまり光明は興味はなかった。無論見たことなどない。
 しかし、期待と不安でこの世のものとは思えないくらい綺麗な眼になって、自分を見つめている桔梗を裏切りたくはなかった。
 だから、苦肉の策として、
「ものすごーくたまに……見る」
 とても中途半端な嘘を吐いた。
 そして桔梗は馬鹿ではなかった。光明が気を遣ったことなど一発で見抜いたのだろう、親を見失った子供のような顔になった。が、すぐに曇り一つない笑顔を見せて、
「じゃ、今度一緒に見よ?」
 と言ってくれた。
 その手の趣味のない光明相手に自分がしくじったことなどわかっていたはずなのに、そんなことおくびにも出さずに。光明はくだらない嘘を吐いた自分を恥じた。布団の中で拳を握る。強く握る。
 そして、そんなことおくびにも出さずに、そうしようぜ、と答えた。
 それから過ごした日々の中で、桔梗はことあるごとに言っていた。
「わたし、アニメの中の強くて優しくてカッコイイヒーローが好き」
「ふうん。でもそんなの現実にはいねえよ」
「いるよー? わたしが困ったらね、いつでも助けてくれるもん」
「けっ。そう上手くいくもんかよ。くだらねー夢見やがって」
「夢じゃないってばー。絶対いるよー」
 あんまりいないいない言うと「いるよーいるよーいるんだよー」とクッションで殴打されることになるので、言い合いはたいてい光明が折れて終わった。
 桔梗はいつも光明の部屋に自分の家から持ってきた茶色いクッションを抱いて、光明の14インチテレビで録画していたアニメを鑑賞した。
 ぽりぽり柿ピーを食いながらディープでコアな深夜ヒーローアニメを見ている許婚の横顔を見ていると光明はなんだか何を悩んでいても馬鹿を見るだけのような気がして、何も考える気力がなくなる。それがいいことなのか悪いのことなのかはわからない。
 ただ、思う。
 一千年前に生きていた平安時代の貴族さまは、彼女とアニメなんか見なかったろうな、と。

       

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