Neetel Inside ニートノベル
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 光明が潰れた隙間を突いて前へ出た<六号>の弓削だったが、出た先がよかった。四位に水行の<玄武>の赤石貴斗がつけており、これを相生、桃色の花を咲かせた<六号>はさらに加速。その加速で巻き起こった強風で、トレードマークのニット帽が飛ばされそうになるのを赤石が手で押さえた。
 <六号>は三位の<匂陣>を追い越して一位に迫る。一位を走っていたのは、水の<天后>を駆る竜宮冬葉。この少女、レースの最中だというのにヘッドフォンをつけたまま。自信があるのかやる気がないのか、そのけだるげなまなざしからは窺い知れないが、彼女の実績はその余裕も不敵さも実力に裏打ちされたものだと物語っている。競神界にデビューしてから二年半。三回に分けて一年に一度だけ行われる、二十歳以下にしか出場資格を与えられない泰山府君杯では古株になる今年で十九の駿才少女。
 <天后>の恵みの水の効果を受けた弓削の<六号>は冬葉をあっさり追い抜いてトップに躍り出る。冬葉はちらっとそれを見たきり、追いかけもしなければ後方に下がりもしない。<六号>の木製の馬体は相生支援を受けてすでに桜の花で満開。これで通常の三倍から五倍の走力は発揮している計算になる。
 自分の航路に花吹雪を残しながら二着の冬葉と三馬身以上の差をつけて<六号>は疾走する。
 そして、行く先の第一カーブ手前に<ゲート>が見えてきた。
 鉄製の<ゲート>に扉はついていない。ただ鉄の鳥居がコースの真上をまたいでいるだけだ。鉄の棒から和紙を人の形に切り取った人形がひらひらしているが、それも風に揺られてそよぐばかりで、顔さえろくに書かれていない。しかし、この<ゲート>こそが、泰山府君杯を障害レースとなしているもう一つの要素なのである。
 吊られた人形たちの足をかすめるようにして、弓削の<六号>が<ゲート>を通過した。途端、人形たちがはらりはらりと地面に舞い落ちる。<六号>は振り返りもせずに走り去っていく。
 何も起こらないかに見えた。が、かさりかさりと地面に落ちた人形たちが震え始める。和紙が緑色に染まった。瞬く間に手足がにゅうっと伸び、他の人形たちと手を重ね合わせると、そこが繋がっていく。
 一瞬前までゴミが散らかっていただけの<ゲート>下に、夏の庭先のような草むらができていた。
 そこに後続の式神たちが突進していく。
 草が、動いた。
 まるで猫の手のようにしなった草が、俊敏な動作で式神の足に絡みつき、引き落とすようなそぶりを見せる。それで何頭かの式神がよろめいたが、なんとか体勢を取り直し草を引きちぎって通過していく。竜宮冬葉の<天后>は憂鬱そうな乗り手とは裏腹に素早く的確に<草の手>をかわしていき、土御門烈臣の<匂陣>は木を相克する火の<朱雀>結城允の後ろにぴったりと張り付くことで草の手から逃れた。
 その後を紙島詩織、夜久野翡翠、空傘雨月が続いていく――かに見えた。
 災難に遭ったのは、<天空>駆る空傘雨月である。
 ショートボブにした黒髪、紫紺色の巫女服、袖口からは手作りの数珠が覗き、腰のケースのそばでは母が縫ってくれたお守りが揺れていた。競神デビューから一年、成績は中の下、最近正直ちょっと自信を失いかけている、そんな空傘雨月を乗せた<天空>の足が、草に絡みつかれた。そのまま草の手を千切り捨てて走り去るかに思えた。
 <天空>の足が、ぽこっと膨らんだくるぶしのあたりで破砕した。<天空>の土気が<草の手>の木気に負けたのだ。
 足首から先を失った<天空>は大きく傾いていき、流れる地面へと近づいていく。雨月はあわてて手綱を振るうが、もうそんなことでどうにかできる段階ではない。
 辛うじて地面に激突する寸前に腰のケースに雨月の手が伸びた。
 障害レースでは他の式神を相克するだけでなく、自分の馬を相生する式を打って補助することもできる。いまから<天空>の土気を増すように火の式を打てば、壊れた足首は再生する。そうすればレースを続行できる。なんの問題もない、こんなのよくあるトラブルのひとつ。それだけのこと。
 かえって自分を鼓舞したのがよくなかったのかもしれない。
 ケースから勢いよく抜いた式札が、まるで見えない誰かの手に引っ張られたかのように、雨月の指を嫌って、夕焼け空高くにすっぽ抜けた。
「あっ」
 遠ざかっていく式札が、雨月を笑っていた。少なくとも雨月にはそう思えた。そして、式札と一緒に、雨月の勝機もまた、そのとき彼女の指先から逃れていった。
 地面が迫る。
 背筋が凍る。
 できることは、何もなかった。
 <天空>は派手に地面と激突し粉々になった。雨月は鞍ごとコース上に投げ出され、そのままごろごろと転がって土煙の中に消えていった。幸いすぐにトラックの内側に滑り込めたようで、轢殺されずに済んだのが不幸中の幸いか。
 だが、乗り手がいなくなろうと式神はすぐに消滅したりはしない。それが厄介なのである。
 砕け散った<天空>のL字に曲がった前足と後ろ足が、高速の凶器となって後続の式神たちに襲いかかる。緩やかに回転する<天空>の左後ろ足が、そのとき七位だった赤石貴斗の<玄武>の水でできた首をまともに直撃した。<玄武>はいななく暇もなくただの水の塊へと還り、乗り手の赤石は落下する大量の水と共に膝から地面に落ち、そのままぬかるんだ泥へと顔面からしたたかに突っ込んだ。突き出た尻がぴくぴく震えているので、死んではいないようだが、屈辱で一週間はまともに眠れないだろう。地面に生えたケツと背中とニット帽の横を後続の式神が次々と通り過ぎていく。
 障害レースでは常にトップであることが重視される。本物の競馬でどうだかは知らない、だが競神においてそれは絶対のセオリーだ。
 <ゲート>を一位通過すれば、そこに自らの五行に準じた<罠>を設置できる。自分の呪力を消費せずにだ。これほど美味しい支援効果は他にない。<罠>で後続から来る誰かの式神を解呪させられれば、いま砕け散って四方一杯に迷惑をばら撒いた<天空>のごとく有効な妨害手段になってくれるし、またその際に発生する不幸な災害でいま消えた<玄武>のような敵対者の減数も狙える。だから誰もが<ゲート>を目指す。のんびりおっとり後方で様子を見ていたのでは勝機はない。
 競神は、逃げ馬のゲームだ。

       

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