Neetel Inside 文芸新都
表紙

百合小説短編集
2006/Milano/Regista

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 十二月のミラノは、ひどく冷え込む。深夜ともなれば、凍りつくほどだ。
 この夜はなおのこと寒く、昨日空調機が壊れたおかげでルイゼは毛布をかぶりながらノートPCに脚本案を打ち込むハメになっていた。今日の朝──午前九時からの会議までに新作を五本まとめて提出しなければならないのだ。空調機メーカーのサービスセンターに電話するヒマもないほど、彼女は追い込まれていた。
 さいわい、ノルマはあと一本。徹夜すれば間に合う。神の啓示が降りれば一時間で仕上げることも不可能ではない。あいにく、ルイゼは無神論者だったが。
 薄暗いリビングルームには、彼女のほか誰もいない。静まりかえった空間に、キーボードの音だけが響く。なにもかもが、死んだように静かだ。
 超高層マンションの四十階。地上を走るクルマの音も、ここまでは届かない。とても快適な空間。──空調さえ壊れていなければ。
 鬼気せまる顔でキーを打つルイゼは、野生獣のような強さと美しさをそなえている。ほっそりした体と意思の強さをあらわす眼光は、さながらチーターのようだ。しかし、今夜のチーターは少々不調気味だった。眠気ざましのコーヒーにアマレットをまぜたのが原因かもしれない。
 コツッ、と小さな音をたてて、壁時計が午前一時をさした。
 その直後、玄関からカギをあける音。そして、「凍え死ぬー」という声が届いた。
 ルイゼの手が止まる。
 ゴツゴツと床を踏み鳴らす音が近付いてきて、リビングのドアが開かれた。
「あああああ、すっごい寒かった。なんなの? ミラノって北極だった?」
 帰ってきたのは、エニス・シャテル。ルイゼのパートナー、同居人、仕事仲間で、恋人だ。おまけに映画女優でもある。世界的な有名人。真冬にもかかわらず露骨に胸元のあいたワンピースを着て、分厚いロングコートを羽織っている。ストレートパーマをかけたプラチナブロンドは、ラフな感じのサイドテール。顔が赤いのは酔っぱらっているせいだ。
「おかえり。いま仕事中だから邪魔しないでね」
 ノートPCの画面に目を向けたまま、ルイゼは突き放すように言った。
 エニスは何も聞こえなかったかのように歩いてきて、バッグをソファに放り投げ、うしろからルイゼに抱きついた。
「邪魔するー!」
 押しつぶすような勢いだった。吐息が酒臭い。香水と煙草とチョコレートの匂いもする。ひどく甘ったるい匂い。まるで、麻薬のような。
「どきなさい! 痛いでしょ!」
「えー? どこ? どこが痛いの? ここ?」
 エニスの右手がルイゼの太腿をまさぐって、そのまま股間に入りこんだ。
 遠慮も躊躇もない。エニスの指は、あっというまに下着の中まで侵入していた。
「ちょ……! やめなさい! いま忙しいんだから!」
「そういうときこそ気分転換が必要なんだよ」
 外から帰ってきたばかりで、エニスは全身冷えついていた。当然、指も。
 秘部にこすりつけられる氷のような指先が、たちまちルイゼを湿らせた。体温と心拍数が急上昇し、頬は薄紅色に染まる。
「馬鹿! やめてってば!」
「やめなーい」
 のしかかりながら、エニスはルイゼの耳を舐めた。耳たぶの裏側から首筋へ、さらに肩へと舌先が流れていく。キーボードに手を置いたまま、ルイゼは目を閉じて体を震わせた。
「や……、やめ……」
 抵抗する声は、それ以上つづかなかった。
 エニスはルイゼのことなら何でも知っている。誕生日も血液型も家族構成も病歴も。ワインとコーヒーが好きなことも知っているし、どこをどうすれば悦ぶか、完全に把握している。自分の体より詳しいぐらいだ。
「ルイゼはあたしを愛してるの。だから、あたしにさわられると嬉しいの。ちがう?」
「ああ、もう。ほんとに……」
 エニスはルイゼより五つも下だが、こういうときは完全にリードされてしまう。初めて関係を持ったときから、ずっとだ。
「気分転換する? しない?」
 そんな質問をする間も、エニスの指は動きつづけている。その動きは恐ろしくバリエーションゆたかで、一流のギタリストよりも技巧的だ。しかも、その技術はルイゼに対してのみ発揮される。
「酔っぱらいすぎよ。どれぐらい飲んだの?」
 問いには答えず、ルイゼは首を後ろに向けた。おたがいの瞳孔に自分の姿が映っているのが見えるぐらいの距離。視線だけで意思が伝わる。そういう距離。
 もとより、ルイゼも本気で抵抗していたわけではない。たしかに気分転換は大切だ。それに、毛布よりはエニスのほうが温かい。
「えー? どれぐらいだっけ。待って。いまメモリにアクセスするから」
 エニスの指が止まり、遠い過去のことを思い出そうとするように彼女は天井を見上げた。
「んー。二本ぐらいかな。たしか。うん。二本ぐらいだ」
「ワイン?」
「ブランデー」
「飲みすぎ」
 言いざま、ルイゼのほうからキスした。唇だけではない。唾液を交換するような、舌を絡めるキス。泡立った唾液が唇の間からこぼれて、床に音を立てるほどだった。
 その音がスイッチになって、エニスの指が踊りだした。
 人差し指と中指が、ルイゼの中に。親指は、それより敏感な部分に。小指がもうひとつの穴を撫でて、薬指が穴の間を行き来する。ついでとばかりに、左手の指が耳の中に入りこんだ。
「待って。もうちょっとゆっくり……!」
 こらえきれず、ルイゼはテーブルに突っ伏した。キーボードの上に投げ出された手が、滅茶苦茶な文字列を画面に表示させる。
「え? だって忙しいんでしょ?」
「そう、だけど」
「だから、早く終わらせないと。ね?」
「あっ、くぅ……」
 入りこんでいる二本の指が、機械のような正確さで交互に出入りした。ミシンが針を打つような動き。一回ごとに、グヂュッという音がする。
 地上四十階の、この部屋は。ひどく静かで。空気を震わせるのは、指の動く音とルイゼの喘ぎ声。それにノートPCの駆動音だけだ。
 そのまま、緩急をつけることなくエニスは指を動かしつづけ、抵抗の余地もなくルイゼは果てた。エニスが帰宅してから、わずか五分のこと。

       

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