Neetel Inside 文芸新都
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 結局のところ、私はその会議室での1時間を522回繰り返すこととなった。実に21日と18時間である。
 3分の1は寝ていたとは言え、肉体的・精神的な疲労は大きかった。どんどん疲弊していく521人の自分に囲まれた生活。こんな体験をしたのは人類でも初めてだろうと思う。
 時間遡行術・上級理論の完成を高らかに宣言して、その会議室から出た時、私の頭にあったのは自宅でお風呂に入ることだけだった。疲れたなんてもんじゃない。時間遡行術・下級も上級も何も無い、とにかく体を洗ってベッドで寝たい。そう思った。
 欲望の赴くままに、私は自宅の風呂で体を洗ってベッドで寝た。心ゆくまで寝た。目が覚めた時には2日あまりが経過していて本当に驚いた。
 ワンルームのベッドに下着姿で寝転んで、私は見知った天井を見上げていた。これからするべきことを考えていた。
 未来の私から届いたメール。そこには「時間遡行術・上級を手に入れたら、fusianasanすること」と記されていた。
 私は時間遡行術・上級を手に入れた。まだ頭の中にあるだけだから、厳密には頭に入れたというのが正しいかもしれないが。いずれにせよ未来の私のアドバイスに従うなら、私はfusianasanすべきだということになる。
 しかし、それより先にやることがあると私は感じた。時間遡行術・上級も含めた一連の理論を論文にまとめるのだ。頭に入れたこの理論を紙に書き出して、文字通り手に入れるのだ。
 そうしなければ頭から抜け出てしまいそうだったし、何故だか漠然とした使命感があった。私はこの論文を書かなくてはならない。そう感じた。
 パソコンの電源を入れて、ワープロソフトを立ち上げる。自宅で論文を書くなんて卒業論文以来だ。
 私は冷蔵庫からレッドブルを取り出して机の上に置く。汗をかいた缶が、しずくを机に落とす。やはり根を詰めて作業するときはこうでなくてはいけない。
 私はレッドブルを一口飲み下し、弾みをつけてキーボードを叩き始める。
 まずはタイトルだ…そうだな。
 私はこれしか無いというタイトルを打ち込んでいく。
「時間遡行に関する基礎研究とその論理」



 人が夢を見るのは、記憶を整理するためだ。
 その意味では、私が書いているこの論文は夢のようなものだ。頭の中の断片的な理論を、パソコンに打ち込むことによって整理している。
 しかし書き進めば進むほど違和感は強まった。私はこの論文を知っている。どこかで読んだことがあるとか、そういったレベルではない。
 私の所属する学科の学生で、この内容を知らない者は退学するべきだと思う。それほどに見慣れた論理だった。
 自分をごまかしきれなくなり、私はついに認める。
 これは、この論文は、時間遡行学の基礎となった、あの論文と全く同じ内容だ。
 どうやっても違う内容にはならない。イントロから結言まで全て同じだ。違うものにしようと思えば思うほど同じになる。
 私は論文を一通り書き終えて、読み返す。
 細かい表現の違いはあるが、やはり内容はほぼ同じだ。これをこのまま公開したら、ただの盗作・剽窃になってしまう。
 というか、タイトルがほぼ同じだということに気がついても良さそうなものだった。先ほどから同じ同じと言っているあの論文「時間遡行に関する基礎研究とその理論」と私の論文「時間遡行に関する基礎研究とその論理」。
 タイトルの違い、わかりますか?



 あの論文「時間遡行に関する基礎研究とその理論」について説明が必要だろう。
 「時間遡行に関する基礎研究とその理論」――タイトルが長ったらしい上に、私の書いた論文と紛らわしいので、時間遡行論文(旧)とさせてもらおう――時間遡行論文(旧)は、元々はインターネット上の有名掲示版にアップロードされたものだった。確か、その掲示版の物理板だったように思う。
 なぜかIPアドレスを公開して投稿されたその論文は、内容が荒唐無稽な上に、アップロードされた場所が場所だったので、多くの人は見向きもしなかった。
 ただインターネット上の人々の多様性はすごかった。たまたま物理版の住人だった若き物理学会のホープの目に、時間遡行論文(旧)が止まったのだ。
 そのホープは論文の正当性と有用性の一部を証明した。そこからは、いわゆる「祭り」だった。
 高校の物理部員から物理学会の大御所まで、猫も杓子もその論文に夢中になった。そこには人類の未来と、そして過去が詰まっていた。
 IPアドレスを解析して、出元を特定しようとした連中もいた。結局地球上どこにも存在しないIPアドレスだと判明しただけだったが、その神秘性で祭りは更に加熱した。
 しかし、それでも証明は遅々として進まなかった。先に証明された一部分の、その他の部分はあまりにも難解だった。例えるなら錬金術士が存在していた中世で、一般相対性理論の論文が発表されたようなものである。価値が一部分でも認められたことが奇跡だった。
 結果として、この論文に魅了された多くの物理学者たちは、この論文の読解を目的とした一つの学問体型へと収斂していった。
 それが時間遡行学の成り立ちだ。
 せいぜいここ20年の話だから驚きである。
 こうして生まれた時間遡行学は次第にその裾野を広げ、今ではたいていの大学の理学部や工学部に研究科が存在している。
 正直まだ基礎研究の段階の学問である。せいぜい理学部の研究分野だと思えるが、工学的な将来性は十分にあるという判断なのだろう。
 ドラえもん的に言えば、タイムマシンやタイムテレビのようなひみつ道具。この学問がそれらの開発の第一歩になるということだ。
 時間遡行論文(旧)の発表から現在に至る経緯はこんなところである。
 以上のように、世俗的な興味は「この論文の作者は誰か?」である。しかし私にとっては、その興味は少し違っていた。
 「この論文の作者は私なのか?」今や、その一点に尽きる。

       

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