Neetel Inside 文芸新都
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「ただし、僕のいた世界――察しはついてると思うが――未来の世界では、『時間遡行術・上級の理論は君が確立したことになっていた』。だから、台本通りに僕がこの時代へ来て、そして君に時間遡行術・初級と中級を教えたってわけさ」
「ちなみにだけど、京子さんには時間遡行術・初級と中級を前編と後編といって教えたんだ。彼女に上級の存在を示唆する意味はないからね。所詮君をやる気にさせるための当て馬さ」
「そういう意味では、誰でも良かったってわけじゃないね。最初からそう決まっていた。君である明確な理由は、それだけだ」
 時間遡行を繰り返して、この「最初から決まっている」という感覚は嫌になるほど味わってきた。
 だから、嫌な気持ちはあるが、空色オヤジに反論することはできなかった。
「良いじゃないか。結果として京子さんを救うことができるんだから。君も時間遡行工学者として大成する。誰も不幸になっていないよ」
 確かにそうだ。確かにそうだが――。
「――やっぱり、腹が立つな。こんな悲しい繰り返しに巻き込まれて、全て台本通りなんて言われてもさ」
 私は腕を組んで空色オヤジを眺める。
「それに私が選ばれた理由、他にもあるよね?」
 空色オヤジは少し意外そうな顔をした。
「ふふふ、さぁ、どうだろうね。さて、腹が立った君は、じゃあどうするんだい?」

「そうだなー……一回、殴らせろ」

「……案外、乱暴だね。まあ一回くらいならかまわないよ」
「言ったな。よし、行くぞ」
 私は拳を振りかぶりながら空色オヤジの方へと歩み寄る。正直なところ、私のような小娘の一撃でどうにかなる空色オヤジではないだろう。
 なので、少しズルをすることにする。
「私一人あたり、一回ね」
 その瞬間、閑散としていた屋上が一気に混み合った。現れたのは、数百人の私だ。その数百人が一斉に空色オヤジに殴りかかる。
「これは……同時刻への多重時間遡行か……ぐふっ、ごふっ」
 私のような小娘の一撃ではどうにかならない空色オヤジも、数百撃となれば話は別のようだ。
 少しずつ腫れ上がっていく空色オヤジの顔を見ながらも、私の打撃の手は緩まない。
 最初から運命は決まっているのはわかっている。空色オヤジは運命に従っているだけなのだということも。
 それでも私は、彼に憎しみをぶつけた。
 それすらも運命で決まっているにも関わらず。

 しばらくの間の殴打も終わり、その場にいた数百人の私はある瞬間に一斉に消えた。さすがに手が痛い。『一回空色オヤジを殴ったら時間を遡る』という行為を500回繰り返したのだ。
 厳密に数えたわけではないが、だいたい500回くらいだったと思う。多分。
「気は、済んだかな……。これで気が済まないと言われても困るけど」
 空色オヤジは満身創痍で仰向けに寝転んでいた。
「許さないと言っても仕方がないよね……というより、あんたはここに私に殴られに来たんでしょ、多分」
「そう、だね。君にこんな運命を味あわせた、未来からのせめてもの償いだと思って欲しい」
 安い償いもあったものだ。
「でもね……僕は未来から公式に派遣されている。いわばこれはただの仕事だ」
 空色オヤジは諦観したような、達観したような声で言った。
「それでも、君に殴られにここへ来て、少しはスッキリしたよ。……君の気持ちはそりゃあもう分かるからね」
「わかる……? なんで?」
「こうして君に時間遡行理論を完成させた。当然ながら、この先の未来の世界は時間遡行術に溢れている」
 空色オヤジは息をすこし深く吸った。
「君が味わったような苦しみも、未来には溢れているということさ。上級を使えば突然の死は回避することができる。でも人はいつか必ず死ぬし、死ぬこと以外にも苦しみなんていくらでもあるからね」
「……そうだね。未来のことがなんでも分かる世界。そんなに良いものじゃないだろうとは思う」
 今日私は京子さんを救う。じゃあ、明日は?もとの時代に戻って林田教授とともに時間遡行工学の研究を続ける?続けるかどうか、未来に飛んで結果を確かめてから決めるのか?
 そんなことはしない。未来がわかるということは、ある意味で不幸だ。そこに希望は無い。
「まあ安心してよ。時間遡行理論は、これから君たち、この時代の人間が発展させていくものだ。それが完成するまでは未来はわからないし、君たちの明日に希望はあるさ」
「そうかもしれない。まあまあいいこと言うじゃん」
 そうなのだ。私は、私たちは、胸に希望を秘めて、明日には良いことがあるかもしれないと思って、生きていくのだ。少なくとも、しばらくの間は。
「……さあ、もう仕事は終わったでしょ。私はこれから京子さんを助けるから、さっさと帰った帰った」
 そこまで言って、私は空色オヤジに聞かなければならないことがあったのを思い出す。
「そうだ、最後に一つだけ教えて」
「なんだい?」
「……あんたの名前は?」
「ふふふ……もうわかってるんだろ? 僕、ドラえもん。さようなら、野比玉子君」
 最後に私の名前を言って、空色オヤジの体は消えていった。
「その名前で呼ぶんじゃないよ、まったく」
 なんの感慨も、悲しみもない。私の運命を決めた空色オヤジの体は、自然に消えていった。
 私と、動けるようになった京子さん。屋上にある人影は2つだけになった。

       

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