Neetel Inside 文芸新都
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「あ、すいません……おトイレ使われるんですか? あ、でもこのトイレ今洗面台が水出なくて……というかここ女子トイレですけど!」
 説明しながら訳がわからなくなって、取り乱した私は両手をぶんぶんと振り回す。
 そんな感情を振りまく私の様子とは打って変わって、目の前の二人からは人間的な様子は少しも感じられなかった。
 私たちはお前に用がある。二人の目が私にそう伝えていた。
 とてつもなく奇妙な空気が漂い続ける。生まれてからこれまででこんなにも派手なコートを着たおっさんと自分自身と三者面談をする機会なんて、さすがに一回もなかったわけだし。私としては初めての体験に声も出せない状態が続いていた。
 あははー、とか愛想笑いしながら化粧室をあとにしたい所だったが、目の前の二人は入り口にどっしりと陣取っており、とても通らせてくれそうにはなかった。
 通してはくれないにも関わらず、目の前の二人はそれでも何も語らなかった。空色のコートを着たおじさん、面倒なので空色オヤジと呼ぼう、その空色オヤジはどことなく微笑んでいるように見える表情を崩さずに、私の方を閉じているのか空いているのかわからない目で見つめていた。
 私は空色オヤジの隣にいる女性の方に目をやる。ところどころ飛び跳ねた髪、おしゃれかなと思って選んだらただのガリ勉の様になってしまった黒縁の眼鏡、洋服の青なんとかで買った二着39800円のパンツスーツ。どこからどう見ても今日の私の格好と隅から隅まで一致していた。
 彼女はまるで何かを言いたいのを必死で我慢しているかのような様子で、口元に折りたたんだ人差し指を添えて困惑しているような様子だった。なんとなく挙動不審に見える。私もテンパッているときはこんな風に見えているんだろうな……気をつけよう。自分のふりみて我がふり直せってやつだ。
 彼女に関しても、面倒なので何らかの呼び名がほしいところだ。私は少し悩んで、見た目一発で非リア女という呼び方に決定する。
 ……自分で自分にあだ名を付ける経験はもう一生したくないなと思う。
 結局のところ、その固まっていた空気を解凍したのはやはり空色オヤジだった。
「何がなにやら分かっていないと思うけど……、さすがに匂いを感じないことや音が聞こえないこととには気がついているよね?」
 想像よりも幼い喋り方に、私は少し面食らってしまった。空色オヤジはそんな私の様子を意にも介していないようで、そのかすれたダミ声で話し続ける。
「今この地球で動いているのは、君と僕と、それからもう一人の君だけだ。大気の構成分子が静止しちゃうとさすがに呼吸困難で死んじゃうだろうから、それだけは例外的に静止していなけどね」
 私は仮にも理系の学問を修めている者である。空色オヤジの意図はさーっぱり分からなかったが、言っている内容はわかる。そりゃあ大気分子が静止したら人間は死ぬだろうなぁ……あはは。だってそりゃあ息できないし……。
 あはは……。
 電波!電波電波!
 何を言っているんだこのオッサンは。動いているのは私たちだけ!? 大気分子を静止!? ちょっと設定甘くないかなぁ電波さん。もっともらしく出来ているけど、その話なら光子も停止しているはず! つまりは光がない! それなら私があんたたちの姿を見られるはずはない!
 頭の中とはいえ、同じ土俵に立って反論してしまっている時点で私も十分に電波なのかもしれない。
「ホンットに電波!」
 そんなことを必死に考えていたせいで、私は思考をそのまま口に出してしまっていたようだ。
 ……というのは勘違いだった。
「ホンットに電波ですよね……! でも、今の人類は光のことを全く把握出来ていないんだそうですよ。光子とか、波とか、光っていうのはそんなもんじゃないんだそうです。だから時間が止まっていても、光は無条件で動くことができるらしいですよ。私もついさっき説明を受けたばっかりなんですけど……」
 その勘違いの原因は、自分と全く同じ声の人間が目の前にいることだったらしい。私の脳内反論に対して、非リア女はきっちりと説明をつけてくれた。
 そうしてそこまで言って、彼女はまた口元に手を当てて黙りこくってしまった。
 もう言うべきことは終わった。そんな感じだった。
 しかしたった今聞いた非リア女の言葉の中にはまた聞きなれない言葉が出てきた。「時間を止める」って、こいつは一体何を言っているんだろうか。それでも時間遡行工学科の生徒か! そんなんだから林田教授にしょっちゅう頭をぶったたかれるんだよ。まったく……処女のくせに……。
 ……そんなことを考えるくらいには私は動転していたし、しかも目の前の女が自分であるという認識を受け入れ始めてしまっていた。
 二人の私がおそらく同じ程度にテンパッていると、空色オヤジのダミ声が発せられた。それは普通の声とは違う、滲むような響き方をしていた。
「そういうことなんだよ。時間があんまり無いから、彼女の説明で納得してほしいな。……本題に入ってもいい?」
 そう言うと空色オヤジは、いよいよ、というように帽子に手をかけて角度を少し整えた。何度か細かく調整するその様子からは、異常なまでの几帳面さが感じられた。
「時間が無いのはさっき言ったとおりなんだ。要点だけ言わせてもらうよ。僕たちは君に時間遡行能力をプレゼントしに来たんだ」
 例外的に動いているらしい大気分子は、その言葉をしっかり私の耳に伝えてくれた。

       

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