Neetel Inside ニートノベル
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 おばさんは調理の油と湯気でてかてかと光る顔を手ぬぐいで拭きながら、傍らに置いてあったコップの水を一気に飲み干した。
 私達は、もう一度おばさんに頭を下げ。トレイを持って席に戻った。
「あれ、七海ちゃんはジュースとプリンだけでよかったん?」
 私達が席に着く頃には、熊田さんはすっかりうどんを平らげて、ずずずっと残った汁をすすっていた。
 私は、熊田さんにお釣りの小銭を返す。
「はい。今は飲み物が欲しいなって思って」
「そかそか。まぁ女の子って小食やったりするからなぁ。うちの娘もそやったわ……っていうても小さい頃の話なんやけどな」
「私って、食べる時と食べない時が極端なんですよ」
「そういうもんなんやなぁ」
 私はその場をオレンジジュースに口をつける事で誤魔化した。
「七海ちゃん。ハンバーグおいしいよー。デザートもあるしさ、最高だよね」
 不器用な箸さばきでハンバーグを切り分けながら、繭歌はハンバーグをゆっくり味わうようにもぐもぐと口を動かしている。その表情はとても幸せそうで、好きなメニューが夕飯に出てきた時の小さな子供を見ているようで、なんだか和んでしまう。
「そうそう。二人ともトラック降りたら次はどこ行くん?」
「え?」
 熊田さんのいきなりの質問。
「え、えーと」  
 しどろもどろになってしまい、うまく答えられない。そもそも繭歌に付き添っているだけの私に答えられるはずがない。 
「南に行こうと思ってますです」
 私に変わって、繭歌が答えた。口のまわりにハンバーグのソースをたっぷりつけて。 
「そうなんや。南いうても乗り物使わんと行ける範囲限られてしまうで?旧沖縄なんて車で行けへんし」
 旧沖縄。日本の南端にある街。学校の社会の時間に習ったので場所は知ってるけど。私達の住む街からは遠く離れているし、行った事がないのでどれぐらいかかるのかわからない。
 繭歌の事だから、漠然と言ってるだけなのかもしれないけど。
 もしも、旧沖縄まで行くことになったとしたら。一体どうやって行けばいいのだろう?
 見当もつかない。
「うーん。電車とかバスとか使えればいいんだけどねぇ……」
 繭歌は口ではそう言うものの。あまり深く考えていないのがわかる。
 事実、会話に参加しているように見えて。繭歌の視線は、目の前のプリンに釘付けだ。
「そやなぁ。ほんまは飛行機でも使えたらええんやろけど、今は飛んでへんし。電車とかも都内ぐらいしかまともに動いとらんからなぁ」
 そういう情報は、なんとなく伝え聞いてはいたけど。
 私達の街にいた時は遠くで起こってる事みたいで、あまり実感できなかった。
「やっぱ、ヒッチハイクとか歩いたりでがんばるしかないのかなー」 
 難しい顔でうんうん唸りながら、繭歌はプリンの蓋を開けた。  
 私も、オレンジジュースのグラスが空になったので。同じように、プリンに手をかける。
 プリンの銘柄は、お母さんがよくスーパーで買ってきていたものと同じだった。
「そこはしょうがないんじゃない?少しずつでも、進んでいくしかないよ。無理のない程度にさ」
 とても曖昧な言葉になってしまうけど。現実問題として、私達にはそんな方法しか思いつかない。
 手持ちのお金にだって限界があるし。なかなか、一気に目的地へ。というわけにはいかないのだ。
「はぁ。そう考えるとなんか心配やわぁ。女の子二人だけでこの先行かせるはなぁ。俺が仕事なかったら付いて行ってやりたいぐらいやで」 
 割り箸入れの隣に置いてある、安っぽい銀色の灰皿を引き寄せ。熊田さんは煙草を吸い始めた。
「そんな、大丈夫ですよ。
「そうは言うてもなぁ……」
 私の言葉を最後まで聞いてから、熊田さんは口を開いた。
「そら七海ちゃんはしっかりしとるように見える。けどな、それでもやっぱり俺から見たら高校生の女の子なんよ。生まれた町から今まで出た事ないんやろ?」
「はい……」
 それは、その通りなので。返す言葉がない。
「別に、大人ぶりたいわけちゃうけど。それでもな、君らの住んでた町にもそら悪い奴もおったやろけど。その外側には、比べられんぐらいに悪い事する奴や、悪い大人がおんねん。自分のためやったら、他人なんか平気で踏みにじるような奴が数えられんぐらいおるんよ……」
 実体験に基づくものなのか。熊田さんの言葉は、とても静かで。そして、深い。
 だけど、熊田さんの言葉は。イメージとしてはなんとなく掴めるけど。あくまでドラマとか映画で今まで見たようなものからしか感じとるしかない。
「そやから、なんて言うかなぁ。こうやって誰かの車に乗せてもらうんかて、ほんまは危ない事やねんで?どこ連れて行かれるかわからんしな」
「でも、熊田さんはちゃんと乗せてくれたよ?」 
「そら、俺は……いや、俺の事はどうでもええねん。何が言いたいんかっていうと、これからも旅を続けるんやったら、もっと用心して行かなあかんでって事やねん。」
「うーん。まぁ、とにかくさー。世の中には悪い人もいるけど、熊田さんみたいに良い人もいるって事でしょ?もしかしたら悪い人とも会っちゃうかもだろうけど。そういうのは当たって砕けろーって感じしかないんじゃないかなぁ」
 熊田さんの言う。私達の経験の未熟さの話しはともかく。今の繭歌の発言があまりにも楽観的すぎるのだけは、私にもわかる。
 さすがに、繭歌のようにその場になってから考えよう。みたいな、ノリだけでこの旅を進めていけるとは私は思っていない。

       

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