Neetel Inside ニートノベル
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「すげえレース展開だ」
 隣でフレンドが言った。コウは思わずうなずいた。
 レースが始まってから、息つく間もない緊迫した展開に、コウたちは思わず見入っていた。
 そしてコウは考えていた。
 今まで、ナオトのレースにこれほど釘づけになったことがあっただろうか?
 あらゆる記憶をさぐっても、コウにはそんな覚えがない。小さい頃からナオトが飛ぶ様は見ていた。しかしコウ自身、ナオトの飛行に関心を持っていたとはいえなかった。
 ナオトは確かにすごい飛び手だ。努力はもちろんだが、生まれ持ったセンスが抜きんでている。グラインダーを乗りこなすには、まず何よりも天性の恩恵が必要だった。だれもが憧れる。しかし誰でもなれるわけではない。
 だからコウは斜に構えていたのかもしれない。才能でどこまでも優雅に飛ぶナオトを、うらやましく思っていたのだ。この一年は特に。挫折した自分に対し、いつまでも自由に空を飛ぶナオト。あまりに対照的で、コウはナオトがなすことから目をそむけていた。
 しかし、コウは画面越しに実感した。
 これは天性だけでできる芸当ではない。たとえ同じ舞台に、同じ力を持った人間が立ったとしても、その別人はあらゆるプレッシャーに負け、たちまち潰れてしまうかもしれない。あのビル群など、あれだけ速く飛んで衝突したら、とてもじゃないが怪我ではすまないだろう。
 その違いが何なのか、コウは悟った。
 彼らは本気なのだ。
 命を懸けているのだ。
 だからこそ、あそこまで速く、自由に飛ぶことができる。
 だから人を惹きつける。
 なぜそのようなことが、命がけの飛行ができるのか?
 自分のためだけに彼らは飛んでいない。応援してくれる人、応援したい人がいて、彼らははじめて飛ぶことができる。もしもあのレースが誰にも必要とされないものであったなら、彼らはあそこまで本気で飛ぶことはできないかもしれない。
 コウはウメの言葉を思い出していた。自分がこれまでどのようであったか。
「あんたは独りよがりだ」
 確かにその通りだ。いつまでも変われない。自分から動けないし、誰一人喜ばせることができない。あげくふてくされて閉じこもり、今こうして、誰とも会わずに不毛な時間を潰している。
 コウはナオトと何もかも違っている。しかし、それでも同じ時代に生きていて、互いに知り合いだった。しかもその知り合いは、こんなにも多くの人を魅了し、力を与えている。
 何もナオトだけではない。コウのまわりにはヒバリやウメもいた。この前はトウジも自分を気遣ってくれた。誰もが、それぞれに自分のできることを頑張っているではないか。そして、ヒバリたちは自分のことをあんなにも気遣ってくれた。
 それは素晴らしいことだった。
 今、自分はたしかにここにいる。
 それに、心配してくれる人たちがいる。
 なのに、いったい今まで自分は何をしていたのか? 彼らにどんなふうに接していたのか?
 コウはウェブの中継映像を眺めたまま、長い間考えていた。画面の中、選手たちはデッドヒートを繰り広げている。
 彼らのようではなくとも、今、コウが真っ先にしなくてはいけないこと。
 コウは席を立った。重たく沈もうとする身体を引っぱって、緩慢に歩き出す。

 レース会場ではまた順位が入れ替わっていた。
「さあ! 一位でピラミッドを通過したのはルイであります。さすがの貫録! チェックポイント手前で一気に首位を奪還した! それに続くは力技で風を切り抜けたナオトだ! 一か八かの捨て身の飛行は誰しもを惹きつけてやみません!」
「ルイ。今回もヤツが優勝するか? いや、まだ分からねえ。風はどんな飛び手にだって味方する!」
 BBがにやにやしながら言った。
 二番に順位を落としたナオトは、ルイに追いつこうと加速する。しかし思うようにその背をとらえることができない。
 その時、前方のルイがこちらを振り返り、不敵に笑った。
「くそ、あの野郎」
 ナオトはアームを握る手に力をこめた。そのすぐ後ろでは、ビル群を切り抜け、風によるアクシデントを回避したウィングが追いついた。残りの選手はビル風に煽られ、あるものは順位を落とし、あるものは失格した。いま、先頭に位置しているのはルイとナオトとウィングだけだった。以降の選手とは距離が開いている。
「さあ、次は命樹恩寵公園を目指します! 距離がある道のりには、霧の海域が待ち受けている!」
「ここぁ毎回ロクなことが起こらない魔の海だ。事故らねぇよう気いつけな」
 遥か彼方の会場に、まっ白い霧が立ちこめていた。ナオトは機首を上方へ向けて、速度を上げる。

 主のいない部屋。消し忘れた気晶モニタには、グラインドレース中継のCMが流れる。
「さあワールドカップ、お楽しみいただいてますか! 二十秒で分かるサンライズ社製グラインダー『ブライト』の紹介です。赤い翼に小柄な機体、どこまでも飛んでいけるエンジン。これで君もスターだ! 大空へ羽ばたこう。真っ赤なサンライズのグラインダー、『ブライト』!」

 五分後。霧の中を選手たちは飛行していた。
 グラインダーについた方位磁針は目的地を示していたが、きちんと前へ向かっているか、そもそもちゃんと進んでいるのか、ナオトには分からなかった。
 霧の中に入る前は二位だった。前方数百メートルの位置にルイ、後方にいたのは親友ウィング。しかし今、両者がどこにいるのかナオトには定かでない。
 不気味な予感が霧とともにナオトの身体を包みこむ。このあたりは過去にも何度か飛んでいたが、ここまで不吉な気にさせられるのはこれが初めてだった。
「何だろう。イヤな感じだ」
 ナオトはまとわりつく霧を払拭すべく速度を上げる。

 メインスタジアムではラッキーのアナウンスが続いていた。
「さあ、霧の中ではいったい何が起きているのか! 追従カメラもそこまで撮影することはかないません!」
 ラッキーのアナウンスを聞きながら、ヒバリは不安そうにまっ白なモニタを見つめていた。
「レースの行方が誰にも分からないのは、画面が映っていようといまいと同じことさ」
 ウメが言った。
「何があろうと心配はいらないよ」
 しかしヒバリは祈らずにいられなかった。両手をあわせ、ナオトと、そしてコウのことを想った。霧は画面をまっ白に覆いつくす。その画面にたびたびノイズが入ることに、誰一人気がついていなかった。

 まっ白な画面を見ながら、コウもまたナオトの無事を祈っていた。
 世界(ワールド)・鉄道(レールウェイ)の中にコウはいた。メインスタジアムはコウの家からさほど遠くない。電車を使えばほんの数駅だ。コウは家を出た足で列車に駆けこんだ。
 列車の窓からは快晴の大海原が見えた。この空のもと、グラインドレースが行われているのだとコウは思った。今この瞬間、世界にはたくさんの人が生きている。
 車内モニタはまっ白な霧の海を映していた。そこには言いしれぬ気味の悪さがある。
「ナオト、頑張れよ」
 コウはつぶやいた。その画面にもノイズが走っていたが、コウはモニタの調子が悪いのだろうと思い、特にそれ以上考えなかった。

       

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