Neetel Inside ニートノベル
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 海洋惑星メトロ・ブルー。
 温暖化により海面が著しく上昇したこの星では、海上に設けられた居住区で人々が暮らしている。居住区には集合住宅であるビルドと、半球形の一軒家であるドームがあり、コウは街はずれの海辺にあるドームで暮らしている。
 もうずいぶん昔から、この星の陸地がしだいになくなっていくことは懸念されていた。が、人々はついに海洋化をくい止めることができなかった。その間、文明だけは飛躍的な発展を遂げたものの、引き換えに多くの生物が絶滅した。
「あいかわらず海しかないな」
 コウがつまらなそうに言った。ヒバリは背伸びをして、
「でも私はこの星が好きよ。だってこんなに綺麗だもの」
 ドームから街へ至る桟橋の上。一面の海を眺めつつ彼女は言った。
 時おり水上高速船や小型飛行船が行きかう、青と緑の惑星。ヒバリはこの星を愛し、コウは嫌っていた。
「何にもないじゃないか。ムダに数の多い魚がいなかったら、この星は本当に終わってる。外へ輸出できるものなんか他になんにもないし」
 メトロ・ブルーは近隣の惑星と交易協定を結ぶことで経済的に安定していた。何もない惑星に恒久的平和があるというのは皮肉な話だった。
「魚かあ。陸地の生きものがほとんどいなくなってしまったのは残念よ。種が絶えたらもう蘇ることはない。クローンは作れてもね」
 ヒバリは遠くの海上に浮かぶ大樹を見つめた。海の上に巨大な樹木があるのはメトロ・ブルーにおいてよく見られる風景だ。
「止められなかったのかしら。大量絶滅に、海洋化」
 コウは失笑して、
「無理だね。人間は結局堕落する運命なんだ。それは今この時代においても同じなのさ。ってわけで僕は帰る」
「お待ちなさい」
 立ち去ろうとするコウの襟首をヒバリはひっつかんで、
「ウメおばあちゃんの家に行くわよ」
「ああ?」
 ヒバリは笑って、
「お手伝いに行くの。あとナオトのグラインダーが調整終わったみたいだから。それ見に」
「手伝いなら機械がいくらでもやってくれんだろ」
「本気で言ってるの? 機械に人間の代わりはできないわ。それに話し相手にはなれないもの」
「近頃の人工知能と会話プログラムはかなり優秀だと思う」
「いいから来なさい」
 ヒバリはコウをひっぱり出し、電気エネルギー式小型海上船に押し込んだ。
「ちゃんとシートベルトしなさいよ」
「勝手に押し込んどいてよく言うぜ」
 しぶしぶコウはベルトを締めた。
「よろしい」
 ヒバリは満足そうに言うと、運転席に座ってキーを回した。
 水上を滑走する船の中から、気晶ディスプレイによる浮遊広告や森林住居などが見える。
「ほんとに相変わらずだな。広告がなかったら相当退屈な風景だ」
 コウは過ぎ去る風景をぼんやりと眺めていたが、
「あ、グラインドやってる!」
 ヒバリは海上を飛ぶ少年たちを見つけて歓声をあげた。単独飛行機械(ソロ・グラインダー)を操ってレースしている。
 グラインドレースはこの星系における代表的なスポーツだ。グラインダーと呼ばれる小型の飛行機械を操り、空を舞う。年に数回、メトロ・ブルーをはじめとするいすれかの惑星でレースが行われる。ヒバリをはじめ多くの人がファンだった。
「楽しみだわ。きっと今年も白熱すること間違いなし」
「あんな曲芸飛行の何が楽しいのかさっぱり分からない」
 水を差したコウにヒバリは、
「あら、スポーツに熱くなるのは陸地があった頃からの人間のたしなみよ」
「たしなみね」
 弧を描いて自由に飛行する少年少女をコウは恨めしそうに眺めた。
 青く輝く海の上を二十分ほど走ったコウたちは、やがて半球形(ドーム)の小さな住居に到着した。街から大きく外れた場所にあるので、近くには他の家や木々がほとんどない。
「相変わらず何にもないところだな」
「相変わらずの減らず口ね」
 ヒバリは船を停泊させると、コウをしっしと追い出し、自分も降りた。
 簡素なドアをノックしながらヒバリは、
「ウメおばあさーん、ヒバリでーす」
 直後、どたどた走る音が中から聞こえ、
「ようヒバリ!」
「あら、ナオト。こんにちは」
 出てきたのは二十代の青年だった。短い髪に、少し日焼けした肌。爽やかな笑顔に八重歯がのぞく。
「来てくれたのか。ばーさんも喜ぶぜ。さ、上がってくれ。ん?」
 ナオトはヒバリの後ろにいたコウに目を留め、
「おうヒキコモリ少年、お前も一緒だったか」
「別に来たくなかった」
 コウは視線を落として言った。ナオトは笑い、
「は。いつも通りだな。まあいい入れ」

 家の中は床張りで、年季の入った木目が褐色の模様を作っている。だいぶ昔に流行した様式だった。
「おお、よく来たね。若いの二人」
 テレビを見ていた老婆がコウとヒバリに気づいて言った。ウメばあさんだ。高齢で、足の自由が利かない。代わりに意志と言葉は今でもはっきりしている。
 ナオトはウメの孫で、ヒバリとコウとは小さい頃から仲がよかった。面倒見がいい近所のお兄さんだ。
 自動車椅子を動かしながらウメは、
「さ、適当に座んなさい。ナオト、何かいれておくれ」
「あ、私がやります」
 歩きかけたナオトを制してヒバリがキッチンに駆けた。残ったコウは居心地が悪そうにしていたが、
「ほら座りなさいぼうや。遠慮はいらないよ」
「別に遠慮なんかしてない」
 そう言うとコウは楕円形のテーブルまでずかずか歩き、一番奥に座った。
「まだ口答えする元気があるだけマシだな」
 ナオトが言って、コウの向かいに座った。キッチンからヒバリの声がする。
「みんな何飲むの? コーヒー? 紅茶?」

 十分後。
 ヒバリが入れた紅茶を飲みながら、コウは落ち着かなかった。ウメばあさんの家に連れてこられるたび、似たような気持ちになる。
「どうしたんだいぼうや」
「何でもない。つうかいい加減その呼び方やめてくれよ」
「おや、ぼうやはぼうやじゃないか? 今日もヒバリに引っ張ってこられたんだろう。でないとあんたみたいなもやしっ子が外に出るはずないからね」
「う、うるさい」
 コウは頬杖をついてそっぽを向いた。窓の外には海と空しかない。他の惑星から来た旅行客であれば賛嘆する景色も、コウにとっては退屈でしかなかった。
「ほらぼうや、糖蜜クッキーがあるよ。お食べ」
 ウメはクッキーの入った受け皿をさし出した。
「子ども扱いすんな。いらない」
 コウは皿を押し戻した。ウメはふっと息をつき、
「まだあのまやかしの世界に浸ってんのかい? まったく世話ないよ」
 ウェブのことを言っているのだとコウにはすぐに察しがついた。
「ぼうや。あんたみたいなのが自分の世界に閉じこもっちまうとね、自分でも気づかないうちにどんどん屈折しちまうのさ。まだヒバリが世話焼いてくれるだけありがたいと思うんだね」
 ウメの説教に対して、コウは苛立たしげに窓の外を見ているだけだった。遠くに薄い青色をした雲がかかっていた。スコールが降っているのだろうとコウは思った。
「おばあちゃん。その話はいいって。コウも毎回聞かされたんじゃちょっとかわいそう」
 ヒバリが言った。ウメは、
「おや、説教されに来たんじゃなかったのかい。残念だねえ」
「いつも放っといたって聞かせてくるくせに」
 コウがぶつくさ言うと、ウメは「ほっほっほ」と笑った。
 ヒバリはクッキーをひとかけかじった。
「それよりナオト、今度のレース出るんでしょ?」
 ナオトは袖をまくった上腕二頭筋をふくらませ、
「ああもちろんだ。今度こそあのルイの野郎から優勝をもぎ取ってやるぜ」
 そう言って立ち上がり、
「ちょっと上まで来いよ。グラインダーの調整がちょうど終わったところなんだ。見せてやる」
 にかりと笑うと階段を駆け上がっていった。
「あっ、待ってよ」
 反射的にヒバリも立ち上がった。
「コウは。行かない?」
「行かない」
 ヒバリは少し迷ったが、一人で二階に上がっていった。
 コウはそのあともぼんやりと窓の外を見ていたが、
「この星じゃ何もしなくたって生きていける」
 そうつぶやいた。ウメはコウを見て目を細め、
「その通りさ。だがね、あたしやあんたみたいな木偶の棒でも生きていられるのは、もっと昔の人たちがたくさんの苦労を重ねたからだ。ぼうや、利口なあんたならそれくらいは分かっているだろう?」
 コウはふたたびため息をついた。ウメの家に来るたび、こうして説教を聞かされる。
「この星は人種がすっぱりと二つに分かれちまった。あんたのように嘘の世界に閉じこもっちまうものと、こんな海しかない星でもちゃんと人の役に立とうとするもの」
 ウメは冷凍乾燥(フリーズドライ)の葉からいれた緑茶をすすり、
「でもね、ずうっと昔はそうじゃなかったんだよ。あたしが生まれるよりももっと前さ。大陸と呼ばれるものがこの世界に存在していた頃。その時代の人らは、ちゃんと一人一人がつながりを持っていた。それがどうしてこんな世の中になっちまったのか、それはあたしにはわからない。何せウェブはあたしが子どもの頃にもあったんだ。小さい頃はずいぶんとはまったものだよ」
「そうなのか?」
 コウは訊いた。意外だったらしい。ウメはゆっくりとうなずいて、
「ああそうさ。わたしゃ人づきあいがはっきり言ってヘタだった。何か逃げ込める場所がほしかったのさ」
 ウメはクッキーをつまむと、指先で砕いてから口に入れ、茶を飲んだ。
「でもダメさ。たとえあの画面にいるのが同じ人間でも、ちゃんと隣にいて、ほんとうの姿が見えて、触れることができないんじゃあね。いつかねじまがっちまうよ」
 コウは黙っていた。ウメの部屋を見渡すと、普通の家にはあまり置いていないようなものがちらほらあった。CDプレーヤー。将棋盤。クラシックギター。コウはかろうじてそれらの名前を知っているだけだった。使い方が分からないものもたくさんある。
「せっかく来たんだ。上にも行っておいで。あんたにはナオトやヒバリがまぶしく感じるかもしれないが、だからといって避けていたんじゃ何にもならないよ」
 ウメはそう言うと、リモコンで気晶モニタのスイッチを入れた。ローカル局のテレビ番組が古いドラマを映していた。
「でないとあんたもこんな偏屈な年寄りになっちまう」
 しぶしぶコウは階段を上がり、二階のデッキに出た。

       

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