Neetel Inside ニートノベル
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 ウメとナオトの家の二階。ドーム型の家の半分ほどが開放され、鮮やかな青に染まる空が見えた。
「お、来たのか少年」
 ナオトが爽やかに言った。たいして歳も違わないのに少年はない、とコウは思いながら、
「飛ぶのか?」
 ちょうどコウとナオトの間に、ソログラインダーの機体があった。
 グラインダーは一人、あるいは数人で乗る小型飛行機械で、百年前にスカイウェイ社が「次世代の散歩手段」として発売した。
 もともと移動用の機械だったが、いつしかレースや曲芸を披露する文化がめばえ、今ではメトロ・ブルーをはじめとする近隣の惑星でもっとも愛されるスポーツとなった。
 競技用のグラインダーはエンジンが内蔵された搭乗部(ステップ)とウイングからなる。通常ステップに立って乗り、手元まで伸びたアームを握って飛行する。このアームにぶら下がって逆さまに飛ぶことが人気で、アクロバット飛行などで頻繁に使われる。政府は交通時におけるこの乗り方を禁止していたが、あまりにも違反者の数が多いため、ついに黙認せざるをえなくなった。
 ナオトはステップに立った。コバルトブルーの機体が白い日射しを受けてまぶしく輝いた。
「六年前のトリブライト社製グラインダー、『ツバメ』だ。デリケートな機体だったがようやく調整が終わった」
 メットゴーグルをはめたナオトは重心を腰とともに落とし、
「飛翔(フライ)!」
 次の瞬間には空に舞い上がっていた。
 上空八十メートルまで一気に上昇すると、ナオトはそのままグラインダーから飛び出した。ナオトが宙返りする間、アームから延びたロープワイヤーでつながったツバメは、旋回して真上に飛び上がる。ロープが縮み、ナオトはツバメをぶら下がり飛行の体制でキャッチした。そのまま滑空し、螺旋を描きながらこちらへ戻ってくる。背後に夏の入道雲が白い山のように盛り上がって、印象的なシルエットを作った。
「すごいわねー、さすがメトロ・ブルーが誇るグラインドのプロ」
「あのくらい準備運動だろう、あいつは」
 コウが言った。ナオトの飛行は小さい頃からずっと見てきた。年々まぶしくなっていく。
 戻ってきたナオトはデッキのへりにグラインダーを静止させ、
「次こそは優勝してやる」
「頑張ってね。勝ったら何かごほうびをあげるわ」
 ヒバリが言うと、ナオトは首をかしげた。
「はて。こっちがリクエストしてもいいのかい? それは」
 ヒバリは口をUの字にして、
「そうね。優勝できたらそれでもいいわ」
 クスクス笑った。ナオトはグラインダーの出力を切って、
「そういやコウ。お前、一級情報士はもう目指さないのか?」
 コウは固まった。ナオトに悪気がないのは知っていたが、不意に言われたので心構えができなかった。
「受けない。あれはもういい」
 コウはヒバリが所在なさそうにしているのを感じつつ、
「それよりナオト。レース頑張れ」
「おう。まかしときな」
 コウは一階に下りていった。ナオトはコウの背中を見つめていたが、
「変わらないな。あいつは」
「ええ。もう一年以上あんな状態」
 ヒバリはうつむいた。
「高等プログラムを受けてたときはあんなじゃなかったのにな」
 ナオトは言った。
「落第してから閉じこもっちまった」
 ヒバリは何も言わなかった。青いグラインダーのウイングを見つめていた。
「コウは臆病なのよ。傷つきやすい。そのくせ自分に甘いから」
 コウとヒバリは国の義務教育による選択式プログラムを受けて育った。コウは情報系で、ソフトウェアの開発などを行う。ヒバリは技能系、ハードウェアの開発を行う。
 中等部まではコウのほうが優等生だった。しかしコウは高等部から大学部に上がる過程で必要な一級情報士の資格試験を落とし、以来ふさぎこむようになった。一方、ヒバリは資格を取得し、今は学生をしながらボランティアとして働いている。
 メトロ・ブルーは魚類の輸出とグラインダーレースによる惑星振興で栄えたため、働かずとも生きることはできる。そんな環境からか、コウのような落第者とヒバリのような学生・社会人との二極分化が進んでいた。社会問題と言われてすでに長い時間がたった。
「でもコウならきっと元に戻れるわよ」
 ヒバリは言った。ナオトは息をついて、
「それ、会うたんびに聞いてる。俺にはあいつが誰かのために何かするようになるとは思えないな」
「そんなこと」
 しかしヒバリの言葉は続かなかった。彼女の迷いと裏腹に、デッキの上空はどこまでも澄んでいた。

 その後、コウはヒバリに片づけを手伝わされた。ウメの家は二階建てのドームで、あまり広くはない。しかしウメは希少な本や雑貨を取っておくので、部屋によっては定期的に整理が必要だった。
「ああもう、掃除用ロボットでも買えばいいのに」
 床に積まれた本を収める棚を探しながら、コウが言った。三方を本棚で塞がれているウメの書斎は、すでに多くの書籍であふれ、片付けるのが困難になっていた。
「入りきらないのは処分するから持ってきてっておばあちゃんが」
 ヒバリがハードカバーの本をプラケースに入れて言った。
「すごいわね。こんなにたくさん本がある」
 埃をかぶった表紙をなでてヒバリは言った。コウは、
「こんなのウェブにいくらでも閲覧可能な状態で保存してあるだろう」
「おばあちゃんは電気を使ったものがあまり好きじゃないのよね。普段はできるところだけ自分で掃除してるって。ほんとはあの自動車椅子も使いたくないみたいよ。ナオトがそれじゃ心配だからって買ったらしいけど」
「全部機械に任せりゃいいだろ。あー疲れた。帰っていいか」
 コウは本を投げ出して樫の椅子にへたりこんだ。ヒバリは半開きになった本を丁重に持ち上げて、
「たまにはやる気にならないの? いつもそんな感じじゃない、あんた」
「こんなの無意味だ。本なんか重いだけだろ。今さら買い取ってくれる人もいないだろうし」
 ヒバリはケースに拾った本を収め、蓋をした。
「さ。これ持つわよ。こっち来て」
「ナオトはどうして手伝わないんだよ」
 コウが腹立ちまぎれに言うと、
「レースが近いから余計なことをさせたくないの」
「レースね。惑星代表ともなると日常業務はおざなりで構わないってわけか」
「コウ、そんな風に言うものじゃないわ」
 ヒバリがたしなめても、コウはまるで聞く耳を持たなかった。
 二人がケースを持って居間に戻ると、ウメが、
「おおご苦労だったね。本当は処分しないのが一番いいんだが、この古い家はあまり大きくないからねえ」
「本当はこんなの持たないのが一番いいと思う」
 コウが言うと、
「ぼうや、本の優れた点はね、ウェブなんてものに繋がなくても読めるってことさ。電気を必要としないものが、今のこの星でどれだけ貴重か分かるかい?」
「分かる必要を感じない」
 コウは冷たく言った。しかしウメは意に介さない様子だった。
「いずれ分かる日が来るよ」

       

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