Neetel Inside 文芸新都
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.不自然なイレギュラーと俺
 俺は息を潜めた。
 外に誰かいる。それは確か。今用を足しているのか?どういう状況でトイレにいるのかがわからない。こいつが退出するのを待って出るのはマズい時間かもしれない。こいつが、もし……いや、ないとは思うが、意図的にここに来ている。例えば、俺がここで10分休みを潰しているのを知って、静かに尾けて来たとか、或いは毎回この個室が閉まってるから正体を確かめに来たとか……。前者なら、俺が顔を見られても問題はない。既に俺という人間がここに居るのを知っているのだから。後者だとマズい。俺が今ここで外に出ることで、俺という人間がここを毎回使っているのを知られる。そして、『トイレの番人』とか、そういうあだ名がついたりして学校全体に広がったらマズい。特に、同じクラスの人間だったら……。いや、また考えすぎだ。そんなことをする暇人など、世界中探してもいるだろうか。いやいない。ならば、これは偶然だと考えろ。外のこいつはただの物静かな、イレギュラー。そう割り切ればいい。
 俺はもう一度、耳を澄ました。
 いない……のか?
 時計を見ると、もう授業まで1分を切っていた。考えている暇はない。何よりも、教室に遅れて到着する。それだけは一番あってはならないこと。授業が始まっている段階で、教室に戻ると全員から奇異の眼差しを受け、俺の穏便な学校生活に幾らかの支障を来す。最優先事項。俺は思い切って押し戸に力を入れた。

 誰もいなかった。
 やはり、杞憂だったのか。
 俺は安堵する間もなく、教室へと速足で駆けた。
 
 教室へ戻ると同時に英語の教師が入ってきた。間に合ったか。同時にざわめいていた教室内の連中も各自自分の席へと散らばっていった。
 俺は英語教師の発音の悪いカタコト英語を聞きながら、ゆっくりとトイレで起きた出来事を反芻した。
結局、ただの考えすぎという結論に至る。そう自分に言い聞かせ俺は授業に身を入れることにした。

 翌日、一限目、二限目の10分休みを『寝たフリ』でやりぬけた。前の席の東原という不細工な女子が大声でアイドルについて興奮しながら語っていたのが非常に不愉快だった。
 俺は早くあそこで安息を図りたかった。もはや、生活の一部になっており、うるさい日常から俺を救い出す唯一の存在になっていた。生存の糧。
 俺は颯爽と3限目が終わると西棟へと向かった。
 よし、今日も誰もいない。ここはもう俺だけの聖域になってきているな。
 ふぅ……。俺は溜息と共に東原への若干の殺意を吐き出すと、心から落ち着いた。ここに来ると、なぜか吸ったこともないのに煙草を吸いたくなる。俺は近い将来喫煙者になっている気がする。高校生の内には吸わないだろうが。


 コツッ……。
 微弱な足音。だが、この静まりきった室内では目立つのに十分すぎる音だった。
 また……なのか……?
 昨日のことはもう、俺の考えすぎということで水に流し、終止符を打ったはずだった。
 だが二回目……。流石にこれは。
 昨日と同様気づいたら侵入している。本来ならばもっと早い段階で感知できるはずなんだ。そう、奴がこのトイレ内部に入る前に。そしてもっと継続的に足音や用を足す音が聞こえなくてはならない。なのにこいつは昨日と同様一時的、断片的な足音を残す。それ以降なにか音沙汰があればいいのだが、あくまで一瞬だけ。
 考えなくてはならない。こいつについて。そして正体も。
 だが、まだ安々と顔を見せるわけにはいかない。まだ、俺という人間がこの中にいると相手に知れてない可能性があるからだ。
 しかし、このままジリ貧になるのもキツい。とにかくこいつが今どこにいるのかを知る必要がある。
 俺は這いつくばって、ドアの隙間から覗いてみた。
 足だけだったが、見えた。やはりいた。
 奴はもう出口近くまで行き退散といった具合だった。追うべきか。奴も生徒なら教室へと戻るはず、その後ろ姿さえ追えば、どの教室へと行くのか特定できる。
 というより、後ろ姿さえ視認できれば、大体誰かはわかる。うちの学年は4クラスしかないのだ。俺でさえ大体の同学年の人間を把握している。
 俺は音を立てないよう、奴の後を追うことにした。奴が待ち伏せしている可能性もある。俺は細心の注意を払いながら、外の様子をうかがった。奴の姿は見えない。どっちに行った?左か右か。
 うちの学校の校舎は4つの校舎が、つまり、東西南北の棟が長方形に近い四角を作って中庭を囲うように建てられている。南北の棟は、東西の棟の長さに比べると、少し短い。隣立する棟は通路でつながっている。4クラスのうち、2-1から2-3クラスまでは東棟にクラスがあるのだが、それにはみ出た2-4のクラスは南棟にある。このトイレは、西棟にあり、かつ北棟よりにある。ここから左に、つまり南棟方向に誰も歩いている人間が見えないとなるとは奴は北棟を経由して東棟に行ったのだろう。俺がいつも往復している道。
 俺も教室へと早く戻らなくてはならない。
 北棟の通路にはそれらしき人間はいなかった。教師と女生徒が複数名。
 曲がって東棟の通路を確認。今度は人が大勢いた。あれは二組の連中だろうか。どうやら下の階へ移動している。それにまぎれて多くの人間が階段へと移動していった。これじゃ、奴が誰だかわからない。
 仕方ないか。俺は足早に教室へと戻った。
 
 その後の授業中、俺は色々と考えを巡らせていた。
 奴の目的は一体なんだろうか。またしても俺の考えすぎなのだろうか。俺を観測するだとか、正体を確かめるとか、そういったことは全部思い込みだろうか。偶々、足音のない、気配がない奴という可能性も十分にある。だが、だとしても、その存在そのものが気に入らない。俺は奴の正体を確かめたい。
 まず、奴が俺に意図をもって接近するという前提で考えを進めよう。
 わかることはまず、4組ではない。あの時、南棟に向かう人間がいないことは確かだった。猛ダッシュしてもあのタイミングで南棟まで行ける奴は少ないだろう。東棟を経由して4組まで行った可能性もあるが、それは今は捨ておこう。
 続いて2組の人間の可能性も少ないと思う。なぜなら、あの時、2組は移動教室だった。既にほとんどの人間が移動していた可能性が高く、仮に2組の中に奴がいるのであれば、あの時、俺が教室に入る時刻とおなじく2組の教室にいたであろうまだ教室へ移動していない少数の人間が、奴ということになる。そんなリスク、(もし、奴が自分の顔を見られるということを警戒しているなら、という前提だが)を犯すとは考えにくい。
 と、ここまで考えて俺は思った。
 なぜ奴は俺がトイレの個室に『その時いる』と知っているのか。奴も毎時間あそこに行っているわけではないだろう。
 俺は、曜日ごとにあのトイレへ行く時限を変えている。それは曜日単位で見れば規則的であるが、週単位でみれば、つまり全体的に見ればかなり不規則なはずである。
 にもかかわらず、奴が、俺が個室にいる時間帯を特定しているということは……。
 これは自分のクラスの人間であるという可能性が高いだろうか?
 奴が普段からあのトイレを利用していて、個室が埋まっていることに気付いて、そこから個室が埋まっている時間を特定していった……。いやそれは可能性が低すぎる。
 可能性が高い方を取っていけば、やはり、自分のクラスで俺の動向を目視しているから特定できる、という考えに至る。ということは奴は既に俺が個室にいる人間だということを知っているのか……?
 だとするならば、奴の目的は一体なんなのだろうか。特定の時間埋まっている個室の中の正体。それを確かめるために、という動機ならばわからなくもない。だが、さっき挙げた前提だと、ただ俺にプレッシャーを与えるだけになっている。それが目的なのだろうか。
 それ以上はもう憶測の域を出ない。というかそもそも全てが憶測で、俺の被害妄想の可能性もあるわけだが。

 とりあえず、次の接触でどうするかだ。気配は感知できるのだから、もういっそのことその瞬間に個室から出て、正体を確かめればいい。奴が個室の中にいる人間を俺だと知っているのだから。こちらとしても、もうリスクは無い。
 ……だが、俺はそれはあまりしたくない。奴の鼻は奴が知らないうちに明かしたい。なんか負けた気がするからだ。
 と思ったが、具体的な方法手段は何があるだろうか……。

       

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