Neetel Inside ニートノベル
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 痛みをこらえてベルはなんとか這い上がると、穴の縁に手をかけた。
「そういうことだ。じゃあなおっさん」
 男の声。今にもゴードンに止めを刺そうとしている。間に合わない――
 ベルは手に思い切り力を込めて穴から顔を出す。その先にあった光景は彼女にとって予想外のものだった。
 男は鉈を振りかざしたまま動きを止めている。その表情は引きつっており余裕がまったく感じられない。
 その一方、追い詰められた側だと思っていたゴードンは逆に平然とした態度で男と対峙していた。手に拳銃を握って。
「分かってるじゃないか。動かないのが賢明な判断だ。少しでも鉈が下に動いたら俺の人差し指がすべっちまうぜ」
 銃口は男の頭に向けられている。この至近距離なら外すことはないだろう。一発で頭を吹き飛ばすことが可能なはずだ。
「お前ら二人もだ」
 ゴードンは穴の向こうにいる男の仲間にも言い放つ。
「余計なことは考えるなよ。こいつの頭に風穴あけてからお前らに銃口を向けるのに二秒もかからない。その二秒で俺を殺せる自信があるなら別だがな」
 仲間の男たちは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら、ゴードンに言われた通り動きを止めている。
「なんで拳銃なんて持ってやがるんだ」
 表情は引きつったままだが強気な語調を維持して男は問う。
「こんな世界だ。銃の一つでもないと一人旅なんてできんよ。いや、今は二人旅か」
 そう言ってゴードンは穴から顔をのぞかせているベルを見てにやりと笑った。
「さて、良心は簡単に捨てられても命を捨てるのは嫌だろう? 命あっての人生だ。武器を捨てて今すぐうせろ」
 銃口を男の頬に押しつける。少しの沈黙の後、男は鉈を地面に落した。仲間二人もそれに習って武器を捨てる。
「よし、消えな」
 男はゆっくりと後ずさってゴードンと距離を取ると、振り返ってそのまま走り出す。仲間たちもそれに続く。
 三人が見えなくなるまで、ゴードンはずっと銃口を相手に向け続けていた。
「あいつらもう行っちゃったの?」
 ベルは穴から完全に這い上がるとマントとワンピースを払った。罠のせいで背中の何か所かに穴が開いていた。
「よう、遅かったじゃないか用心棒。もうカタはついたぞ」
「ゴードンが穴の中にいろって言ったんじゃない!」
「まあ、こういうことだ。今更だが用心棒の仕事は必要なさそうだぞ」
 ゴードンは拳銃を持った手をひらひらと動かした。
「う、うるさい! うっかり穴に落ちなかったら拳銃を出すまでもなく私があいつらを追っ払ってたもん」
「簡単に罠に引っ掛かる時点で用心棒としてどうなんだか」
 ゴードンは何もない空間にパンチやキックを繰り出しているベルを見て笑う。
「ゴードン、拳銃持ってたんだね」
 ベルはゴードンの手の中にある黒い凶器を指さす。
「なんで私と会った時の追い剥ぎ相手に使わなかったの?」
「使おうとは思っていたけど、君が出てきたせいでそれどころじゃなくなっただろう」
 あの時、ベルが現れなかったらゴードンは隠していた拳銃を取り出して今のようにあの場を切り抜けるつもりだったのだ。ベルが間に入ったのはそれを実行する直前だった。
「それにさ」
 ゴードンは突如銃口を自分の頭に向けた。そして躊躇せず引き金を引く。
「ひゃっ」
 あまりにもスムーズに行われた一連の動作に驚いてベルは声を上げる。だが周囲に響いた音はそれだけ。銃声は一切鳴り響かなかった。
「これ、弾が入ってないんだ」
 ゴードンは子供のように無邪気な笑みを浮かべた。
「じゃあさっきのはハッタリってこと……?」
「そういうことだ」
 ゴードンは拳銃を懐にしまう。
 ベルはあっけにとられて口をぽかんとあけながらその様子を見ていた。
「どうした?」
「やっぱり私必要じゃん! 用心棒必要じゃん!」
「今までもこれだけでなんとかなってきたんだけどな」
「じゃあもし銃を持った相手に襲われたらどうするの? ハッタリだけじゃどうしようもないでしょ」
 少しむきになってベルは言う。これには反論できないだろうとでも言わんばかりの得意げな表情を見せた。
「いや、それはないと思う」
 だがゴードンはあっさりと否定した。
「銃器はかなり厳しく取り締まられているからな。まったくと言っていいほど流通していないんだよ」
 新世界政府はアンドロイドと同じほど銃器にも厳しい。基本この世界で銃器を持っているのは軍の人間くらいなのだ。
「それでも裏ではごく少数の銃器が取引されているわけだが、現状では俺が持っているような護身用の拳銃ですら莫大な金額で取引されている。そこらへんをぶらついてるようなチンピラには手を出せない高級品だよ。だから道中で銃を持った人間に襲われることはほとんどないだろう」
「じゃあなんでゴードンは拳銃を持ってるの?」
「実は俺、お金持ちなんだよ」
「なんでお金持ちが危ない旅をしてるのよ」
「趣味」
「嘘ばっかり!」
「まあまあ、そんなに怒るなって。たまたま知り合いにそういうものを取り扱える人間がいるってだけだよ」
「ふぅん」
 ベルは金持ちだという嘘よりは納得した様子を見せる。が、まだ何か言いたりないのか再び口を開いた。
「でもゴードンみたいな理由で銃を持ってる危ない人がいるかもしれないでしょ。だったら私必要じゃない」
「なんでだ。君は銃器相手に何かできるのか?」
「見てよこれ。安心の鉄壁ボディ」
 そう言ってベルは背中を向けた。先ほどの罠によって服に穴があいてしまったが、そこからのぞいている人工皮膚はほぼ無傷と言っても問題のない状態だった。
「銃弾の雨は私という鉄壁の壁によって防ぐことができるからゴードンは私の陰に隠れて……」
「馬鹿言うんじゃない」
 呆れたようにゴードンは言った。
「少女を盾にして銃弾をかいくぐるおっさん、というのはよくない。非常によくない。俺の良心がとがめるなんてもんじゃないぞ」
「でも私用心棒だもん」
「じゃあ銃を持った人間に襲われないことを祈ろうか」
「だからそれじゃ私の仕事がなくなっちゃう」
「女の子に戦わせられるかよ」
 ゴードンは地面に置いていた荷物を背負う。
「さて、無駄話の続きは中でしようか。もう真っ暗だ」
 落とし穴の先にある建物を指さす。
「さっきのやつらはあそこから出てきたからな。多分中に罠はないだろう。今夜はあそこで寝よう」
 落とし穴を迂回して建物の入り口に進む。そして小型の懐中電灯を取り出して中を見回した。
「大丈夫そうだな。中に入ろう」
「私はあんまり疲れてないけどね」
「そりゃあ君はアンドロイドだからな。だが俺は人間だし、おっさんだ。くたくただよ」
 ゴードンは僅かに月明かりが差し込む窓側に座る。
「明後日には目的地に着くだろう。明日一日歩き続けるためにしっかり休まないとな」
「そう言えば、私まだ目的地を聞いてない」
「そうだったな。当面の目的地は、十五号だ」
「十五号……」
 ベルは何かを考えるように少し俯く。暗くてその様子に気付かないのか、ゴードンは同じ調子で話を続ける。
「十五号に数日滞在して物資をある程度調達したら、次は三号に向かう。これが俺の旅の当分の予定だ」
「ゴードンの旅には何か目的があるの?」
「俺の旅の目的か……。最初は色々な場所を回って記憶を取り戻せたら、って思っていたんだが、十年経っても過去の記憶はかけらほども思い出せない。今じゃ知り合いの仕事の手伝いの方がメインだな」
「ふぅん。そうなんだ」
「というわけで明日からもずっと俺の旅は続くわけだ。そろそろ寝ようか。今日も疲れたよ。くったくただ」
 ゴードンは麻袋から寝袋を取り出すと、ベルに放り投げた。
「ほら、使え。俺はマントでなんとかするから」
「私は大丈夫、必要ないから。寝袋はゴードンが使って」
「おっさんが寝袋で少女は床。そんな絵面はよくないだろう」
 そう言ってゴードンは自分の荷物を枕にして床に横になった。
「おやすみ、ベル」
「で、でも私アンドロイドだから眠る必要はないし……」
 ベルが寝袋を持ってゴードンに近づく。ゴードンはそんなベルの言葉をまるっきり無視している。
「ねえ、聞いてるの?」
 その問いに返ってきたのは地響きのようないびきだった。
「寝てる……?」
 ゴードンはベルの言葉を無視していたのではなく、おやすみと言った直後に眠りについいたのだ。旅の疲れなのか歳なのか、あまりにも早い寝付きだった。
「もう、いびきがうるさいよ」
 ベルは寝袋の中に入って丸くなる。
「おやすみ、ゴードン」
 アンドロイドは眠らない。だが、ベルは与えられた寝袋の暖かさをその身に感じながらゆっくりと目蓋を閉じた。


「……臭い。オヤジ臭い」
 寝袋に染みついた臭いに、ベルは思わず鼻をつまんだ。
 アンドロイドは眠らない。それはいいがなぜ嗅覚はきっちりあるのだろう。ベルは三大欲求がないのに五感をきっちり備えている自身の身体の性能の高さを呪った。

       

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