Neetel Inside 文芸新都
表紙

人と妖怪シリーズ
【便所飯レクイエム】

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 便所飯が僕の日課だ。
 便所飯とは文字通り便所で飯を食う行為のことである。友人のいない大学生が一人ぼっちで昼食を取る際、周囲の視線から避けるために使う禁じ手だ。
 便所飯にはいくつの弊害がある。その中でも大きな物といえば臭いだろう。例えば隣の個室で用を足している人がいるとして、脱糞音は音楽プレーヤー等を使用しイヤホンをすればごまかせるが、臭いだけはそうは行かない。特にお昼休みの後半はトイレの使用率が激しくなるので、弊害はより顕著になる。それに、便所飯をしている事を悟られるわけにもいかない。
 その為僕の様な便所飯を喰らう者はいち早くトイレに駆け込み、いち早く出て行く必要がある。全ては行動の速さとタイミングが重要だった。
 昼休み、講義終わりのチャイムが鳴ると僕の勝負は始まる。僕はサッと立ち上がると、早歩きで十三号館のトイレに向かった。十三号館は僕の居る四号館と隣接しており、主に法学部の院として使用されている建物だ。新設されたばかりなので内装が綺麗なのが特徴である。もちろん、トイレも。
 大学に入学して三年間、今まで様々なトイレを使用してきた。しかしこの十三号館のトイレに勝る物はなかった。
 十号館の経済学部棟のトイレ。十三号館に負けず劣らずの清潔度を保ってはいるが、いかんせん学生が多いのが困りものだ。それにトイレに行くまでに多くのカップルや、男女混合で行動する学生を目にする。彼らを目撃した後に自分のやろうとしている行動に目を向けてしまうと精神的に落ち込み、便所飯どころじゃなくなる。
 三号館のトイレ。汚く、異臭が消えない。
 一号館のトイレ。どうやらここは一部の学生の中では『スポット』となっているらしい。この間カップルがトイレの中で『いたしている』現場に遭遇して酷い目にあった。
 人の姿がなく、静寂に包まれており、清潔で、基本的に臭いもしない。おまけに他の学生に認知すらされていない十三号館のトイレは、僕の様な便所飯をする学生にとっては天国とも言えた。高確率で個室が開いているのだ。
 いつもの様に早歩きで階段を降り、廊下を歩く。四号館の廊下は十三号館と直通していて非常に便利だ。目的のトイレはすぐそこ。扉を開け、中に入る。よし、今日も個室は使用されていない。
 僕は個室に入ると鍵を閉めた。やれやれ、これでなんとか一息つけるな。安心して便器に向き直る。
 ぎょっとした。
 網タイツをはき、ガーターと女物の下着を身につけた、禿の太ったおじさんがそこにいた。顔には目元だけ隠れる仮面を着けている。仮面舞踏会で使われる様なやつだ。
「よう、今日も来たな」
 おじさんはよっこらせと立ち上がると、さぁ座れとばかりに脇にどいてくれた。腰に手を当て、得意げに僕を見る。
「喰えよ」
 僕は叫んだ。

 おじさんは自らの名前を『便所神』と名乗った。文字通り、便所に住まう神様と言うわけだ。古来、便所が出来た時から存在し、全国各地の便所情報を掌握しているらしい。
 僕はその様ないきさつを狭い個室の中で聞かされた。その時僕は個室の鍵を開けようと必死になっていたわけなのだが、不思議な事に鍵が開かなかったのである。
 彼はもがく僕を見て「便所の中なら俺は無敵だ」とのたまった。どうやら鍵が開かないのはおじさんの力らしい。
「便所の神様って言うのは生まれた時からそんな格好をしているんですか」
 その質問におじさんはどや顔で答えた。
「これはな、趣味だ」
 一瞬本当に神かと信じかけたが、やはりただの変態である。僕は再びドアの鍵を開けようと躍起になったが、やはり開かない。と、不意に下腹部に激痛が走った。まるで大きな爆弾が今にも爆発せんとするばかりである。下腹部の痛みは物凄い勢いで入り口まで迫ってきた。僕は隣の個室に移ろうともがく、しかし鍵は開かない。
「俺の能力についてお前に知っておいてもらおうと思ってな。俺は人の便意を自由に操ることが出来るんだ」
 どうやらこの急激な痛みもこのおじさんの仕業らしい。なんて事を。
「遠慮することはない。さぁ、どかんと一発便器にかましてやれ。俺が見守っていてやるから」
 お前が居るから我慢してんだよこっちは。
 おじさんは僕に早く用を足すよう促す。しかし僕は首を振った。
「今ここで出してしまうと臭いがでます。僕は、僕は昼飯をまだ食べていない」
 臭いの充満した個室で弁当などごめんである。それを聞いたおじさんはハッとした。
「そうか……そうだったな」
 おじさんは申し訳なさそうに視線を逸らす。すると下腹部の痛みは急激に引いていった。不思議に思っていると、おじさんは言った。
「さっきまで最高に大がしたかったのにいざ便所に入った途端引っ込んでしまう事あるだろ? それも俺の仕業だ」
 随分と迷惑な奴だ。そうは思うが、ここまでされてはこの目の前の変態が神様だと信じざるを得ない。
「……すまない、やっとこさお前と話せるとなって浮かれていたのかもしれないな」
「やっとこさって、おじさんは前から僕の事を知っていたんですか?」
「神様だからな。便所を使う奴のことは誰でも知っているさ。例え女子だろうとな」
 恐ろしい話だ。もしこの人の話が本当なら、世の女子達は毎日自分のトイレ姿をこの訳の分からないおじさんに見守られていると言うことになる。
 僕がドン引きしている事にも気付かず、おじさんは続ける。
「お前の事は前々から着目していたよ。全国各地で便所飯をするやつは少ない。便所で飯を食う行為だけでも割と印象に残るのに、お前と来たらその中でも群を抜いて飯の食い方が美しいからな。俺が見た中で、お前はベスト便所飯ニストだよ」
 ナンバーワン便所飯プレーヤーとして認められても微塵も嬉しくなかった。
「それで、どうして急に僕の目の前に現れたんですか」
「急にじゃない。俺は以前からお前が便所飯をする姿を見守っていた。お前なら俺の相方になれると、そう思ったわけだ」
「なんなんですか……相方って」僕は便所飯をしたことを心底後悔した。
「聞いたことはないか? ある日突然神様と名乗る女の子と出会ったりする話」
「うん? ……まぁアニメや小説の中ならありますけど」
「そうだろう。実はアレはな、神様協会と言うところに申請を出しているんだ」
「神様協会」
 その単語を繰り返すと、おじさんは頷いた。関係ないがこの人の姿はマウスボールを加えると完成する気がした。SMクラブにいそうだ。
「神様が様々な事柄を書類申請する場所、いわゆる神様の役所だ。突然目の前に神様と名乗る女の子が出てくる話は、全て神様協会の許可を得ているんだ」
「そんな許可いるんですか」随分事務的な話である。それにしても物語の中の話と現実を混同させているこのおじさんの理屈は理解不能である。
「もちろんだ。もし神が好き勝手に自信の能力を使い出したら世界の秩序と言うものが壊れてしまうからな。相方申請と言うのがあり、人と出会う女の神様は皆そこで申請しているという話だ」
「はぁ、そうなんですか」
 割とどうでもいい話だ。そもそもこんな変質的な格好をした人間が何を言おうと説得力なぞ存在し得ない。ただ、そこで先ほどの僕の質問に帰結することに気付いた。
「なるほど、つまりおじさんは僕を相方として書類申請したと」
「そう言うことになるな。相方申請をする神様は多くてな。二年前に申請したんだが順番待ちだったんだ。そして今日、ようやく書類が受理されたのさ」
 そして僕の目の前に姿を現した。
 ある日突然神様と名乗る美少女が目の前に現れたらテンションも上がるという物だが、こんな珍妙な格好をしたおじさんが出てきた日には人生最悪の日となることうけあいだ。そもそも二年前から目をつけられていたのが恐ろしい。丁度僕が便所飯を始めた頃じゃないか。
「まぁでもこうしてようやくお前と出会えたから、俺も便所の外に行けるというわけだな」
 僕は眉をひそめた。
「どういう事ですか」
「今日からお前は俺の相方だ。俺はお前の守護神のような物になったというわけだ。俺は便所を守る義務がある。それゆえに今まで便所しか移動が出来なかった。しかしお前が相方となることで、お前の傍にも移動出来るようになったのさ」
 どういうわけだ。理屈もその相方システムもよく分からない。
 ただ分かったことがあるとすれば、おじさんが移動できる媒体として僕を選んだと言う事と、もう一つ。
「つまり今日からお前は便所みたいな物になったと言うことだ」
 僕の人生がより一層最悪になったということだ。

       

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