Neetel Inside 文芸新都
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人と妖怪シリーズ
【風に揺られる風神さん】

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 渦巻く風が今日も世界を包み込む。
 そのスーパーは街の隅に位置していた。誰も気付かないようなひっそりとした店だが何故か潰れない。近くに大学があり、一人暮らしをしている学生によってその経済は保たれているからだと思われる。客層も近所の老人を除けば若人が多い。
「今度の学園祭、ドーナツって言うのもいいんじゃないかな」
 手作り菓子のコーナーにて、ホットケーキ用のパウダーを手に持った女性が声を弾ませる。白のワンピースに、薄手のパーカー。どこにでもいそうな格好なのに育ちがいいのだろうか、どこか気品が漂っていた。
「ドーナツ、好きなの?」
「うん。家でよく作るんだ。揚げたてって美味しいんだよ?」
「へぇ……」
 生返事を不審に思ったのか、女性が隣に立つ男性の顔を覗き込んだ。こちらは女性に比べると全体的に貧相だ。どこか頼りない、いかにも草食系といった印象が際立つ。女性が安そうな服を上手く着こなしているのに対して男性はまだ真新しい服を着慣れないでいるようだった。カジュアルだが落ち着いた色合い。服の系統から察するに、横にいる彼女が影響していることが周囲の人間にも容易に分かった。ただ、似たような服を着ているのに印象は随分変わる。
 急にお嬢様にグイと顔を寄せられて焦ったのか男性はどぎまぎして視線を逸らせた。
「で、でもあれじゃないかな、ほら、揚げ物をする場合は教授の申請がいるって」
「そういうのはゼミのみんなに任せれば良いじゃない。上手くやってくれるよ」
「まぁ、そうだけど……。佐伯さん結構人使い上手いというか、荒いね」
 すると佐伯と呼ばれた女性はビクリと体を震わせた。
「そうかしら」
「あ、気に障ったならごめん。そういうつもりじゃなくて……ええと経営者的と言うか」
「経済学部に入ったらよかったかな。それか経営学部」
「いや、そう言う事じゃなくて……。そ、そそそれに佐伯さんがいないと僕は困るよ」
 男性が反発する。舌が回らず、少しどもっている。人付き合いが下手なのだろう。人の目を見るとき、一度か二度躊躇うように視線をさまよわせていた。
 その様子を見て何故か佐伯は嬉しそうに笑みを浮かべると、再び商品棚に向き直った。
「じゃあ久保君は何がいいと思う? ゼミの出店」
「僕の意見なんか通らないんじゃないかな」
「良いから。聞かせて」
「実はさ、揚げアイスクリームってどうかなって」
「アイスを揚げるの?」
「別の大学の学祭に行った事があって、そこで売ってたんだ。すぐ溶けちゃうけど、美味しかったし面白いかなって」
「へぇ……、気になるなぁ」
「な、何なら作ってあげようか?」
「作れるの?」
「作り方調べたから。あ、でも場所がないか」
「久保君の家は?」
「え?」
「久保君一人暮らしだし、ここから家近いし。それに私、久保君の家に行ってみたいなって……」
 そこまで言うと佐伯は少し顔を赤らめて顔を背けた。
「駄目かな」
「だ、駄目じゃない。全然駄目じゃないよ」
「よかった。じゃあこのケーキパウダーは購入ね。あとアイスも買わないと」
「アイスどこに置いてたっけ」
「あっちだよ」
 佐伯はそう言うとごくさりげない動作で久保の手を掴んだ。急に手を握られ、久保は今生の幸せを噛みしめるようにぐっと目を瞑り天を仰ぐ。その姿を見て佐伯はおかしそうに笑った。
 会計を済ませた二人は、レジ袋に商品を詰め込んだあと、今後の予定について話した。家で揚げアイスを作るという話が拡大し、いつの間にか晩御飯も一緒に作る流れになったのだ。
 カレーでも作る? ビーフシチューが良いかも。材料がないや。いま買えばよかったね。買う? いや、また買いに来よう。近いもんね。うん近い。
 二人でいると何をやっても楽しい。そんな幸せが滲み出ていた。傍から見ればあどけない新婚夫婦そのものだ。まだ学生だろうし、恐らく二人は付き合ってもいないだろうけど。
 彼らの様子に、スーパーに来ていた老人達も微笑ましく笑みを浮かべていた。そっと若かりし日の事を回顧するように目を細め、初々しい二人の姿を眺めている人もいる。
 店を出ようとして、ふと久保は何か落ちていることに気がついた。
「どうしたの、久保君」
「これ……」
 ハンカチだった。タオルのような材質で、センスの良いユルキャラが描かれている。
「誰のだろう。お店の人に届けたほうがいいかな」
「あ、でもあの人が落としたんじゃないかしら」
 佐伯が視線を向けたその先に、スーツを着た世にも若く美しい女性が一人。大人びた印象で、誰からも慕われる頼りがいのあるキャリアウーマン。
「どうして分かるの?」
「だってあの人さっき私たちと同じコーナーにいたじゃない。その時このハンカチを手に持ってたもの。可愛い柄だなって思ったから覚えてる」
「よく見てるね、さすが。ちょっと渡してくるよ」
 女友達とまともに話すことにも慣れていないのに。人が良いであろう久保はすいませんと小走りで声をかけてきた。
 私に。
「ハンカチ、落としてませんか?」
 差し出された物を私は優美に受け取ると、にっこり微笑んだ。
「ありがとう。これ、大事なものだったから」
 するとおよそ童貞青年であろう久保は私の世界的美貌に胸を打たれたのか、言った。
「なんて美しい人なんだ。佐伯さんなんかよりずっと良い」
「あら、やだわ本当の事を……」
「きいぃぃ、悔しいけど私じゃ世界一周しても敵わないわ。ぐりりりり、久保君帰ってきてぇ」
「無理だよ佐伯さん、この人の美しさに比べたら君なんかペッだ」
 そこで私は彼の頬をそっと手の平で包み込んだ。
「いけないわよ。レディを泣かしたら。いくら私がそこにいるちんちくりんなお嬢様より四千倍ほど美しく凛々しく果てしなく優しい存在だからと言っても、あなたみたいな陰キャラには勿体ない素晴らしい子じゃないの。私には到底及ばないけれど」
 私はそう言うと颯爽と振り返ってスーパーを出た。
「いい恋しなさい、若者達よ」
「ありがとう! ありがとう!」
 泣き叫ぶ乳臭い大学生二人の歓喜の声を背に受け、私は後ろ手にビッと二本指を立てた。
 今日も街には優しい風が吹く。私と言う女神を包む、美しい大気の流れが。

「ね、いいこと言ったでしょ」
「ええ、そうね」
「本当に、二人とも、涙を流しながらね、私の事を見つめて……」
「辛かったわね、本当に。涙、拭きなさいよ」
「泣いてないわよ」
「本当はどうしたの」
「えっ」
「ハンカチ」
「……投げつけました」
「それから」
「唾を、吐きました」
「奢りよ。朝まで飲みな」
「うぅ……ありがと吾郎ちゃあん」
「その名を呼ぶんじゃねぇよ!」
 私は風巻楓、OLだ。
 見た目二十五だが今年で五百歳になる。
 彼氏は出来た事がない。
 友達からは時折こう呼ばれる。
 風神さん、と。

       

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