Neetel Inside 文芸新都
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 駆けた。退路は慎重に選び、犠牲を最小限にするよう努めた。おそらくだが、一回の伏兵は避けた。埋伏場所を避ける形で駆けたのだ。しかし、その代わりにハルトレインからの強烈な攻撃を受けた。反撃は噛ませたが、犠牲はどうしても出る。
 一体、どれほどの回数の伏兵を受けたのか。六回か七回。まだ、伏兵はあるのか。大胆すぎる戦法だが、だからこそ嵌った、という気がしてくる。今更だが、この期に及んで大規模な伏兵があるとは読みきれなかったのだ。
 スズメバチ隊は二百ほどの兵が脱落していた。熊殺しも似たようなものだろう。ハルトレインの追撃が強烈で、防ぎ切る事が出来ない。ましてや、振り切る事など。
「レン殿、このままでは壊滅します。離散も考慮に」
 ジャミルが言ったが、それを行えば、この戦での決定的な敗北を招く。しかし、考えている暇もない。
 無数の浅手を負っていた。矢も具足に突き立っている。後方から、嵐のように矢が降り注いでくるのだ。振り切りたい、しかし振り切れない。スズメバチ隊の馬は粒揃いだが、ハルトレインの軍の動かし方が巧みだった。というより、丘陵や林を避けて駆けなければならないため、どうしてもその分だけ進行にロスが出る。
 反転して、一矢を報いるか。ハルトレインは先頭である。一合だけなら、直接ぶつかる機会は得られる。その一合で、首を取れば。
 この命、失ったとして悔いは無い。戦場に出てきた時に、これだけはいつも心に刻み込んできた。そして、俺はハルトレインを討つためだけに、戦を続けてきたと言っても良い。
 手綱を握った。もうほとんど、決心しかけている。このまま無様に散り散りになって、生き恥を晒すよりも、雄雄しく散るべきではないのか。
 それも、ハルトレインを討って散る。
「ジャミル」
「俺が反転します」
 ジャミルだった。俺の声に重なっていた。
「レン殿は、駆け続けてください。本陣の旗、あそこに向かって」
「待て」
 言ったが、すでにジャミルは反転していた。共に五、六騎が付いている。俺の周囲は、旗本で固められた。
 即座に矢がジャミルに集中し、共に付いていた兵が落馬した。だが、ジャミルはまだ駆けている。
「将軍、全速で駆けてください」
 旗本。だが、ジャミルが。
「副官の命を無駄になさらぬようっ」
「ジャミルは死ぬぞっ」
「将軍を救うためです。お気を確かにっ」
 腹の底から声を出した。吼える。ジャミル、何をしている。
 旗本がタイクーンの轡を握った。尻を叩く。風。その間、何度も振り返った。ジャミルが一騎だけで、敵陣に突っ込んでいく。
 肉迫。そこで、敵味方の姿で視界は覆い尽くされた。
 吼え声。ジャミルのものだ。だが、それがぷっつりと一瞬で途切れた。
 討たれた。兄のように慕ってきた、俺のかけがえのない存在が、討たれた。それも、呆気ないほどにだ。
「ハルトレインめぇっ」
 怒りで狂いそうだった。父だけではなく、ジャミルまでも。手綱を握り、タイクーンに反転の意志を伝えた。だが、タイクーンが言う事を聞かない。
「タイクーン、反転だっ」
 手綱を何度も引っ張る。しかし、タイクーンは強い拒否反応を示し、ただ、ひた駆ける。
 生き延びろ、と言っているのか。いや、ジャミルの死すらも乗り越えて、ハルトレインを討て、と言っているのか。
 唇を噛んだ。血がしたたってくる。その血の味で、いくらか冷静になる自分が居た。
 とにかく、ここは生き延びるしかない。バロンと合流すれば、いかにハルトレインとて、追撃の手を緩めるはずだ。ジャミルがハルトレインの気を引いたことで、僅かだが距離を離せた。
 ジャミル、お前の死は無駄にはしない。してたまるものか。そうやって、俺は自分に言い聞かせた。そうしないと、正気を保てそうになかった。
 次の瞬間、丘陵。圧力。雄叫び。
「隻眼のレン、貴様の首をここで取るっ」
 フォーレ。伏兵だった。完璧な不意打ちである。スズメバチ隊の両脇が、一瞬にしてごっそりと抜け落ちた。乱撃。味方が次々に落馬していく。
「兄上っ」
 シオン。それで、俺は何かを悟った。もう良い。
「兄上、諦めないでくださいっ」
 心が、折れる。その瞬間が、すぐ傍まで来ている。
 ハルトレインに、俺は。
「レン、負けんじゃねぇっ」
 その声は、俺の全身を貫いた。闘志。炎のように燃え上がるそれは、激しい馬蹄と共に、フォーレの伏兵隊を蹴散らす。
「獅子軍」
 喊声。天地を貫き、獅子のごとく騎馬が戦場を駆け回る。
「てめぇ、後でぶん殴ってやるから、さっさと行けっ」
 ニールだった。すれ違い様、吐き捨てるように、ニールが言った。その先には、ハルトレイン。
「やめろ、ニール、殺されるぞっ」
「俺を、シーザーの息子を、獅子軍をなめんなぁっ」
 一撃。叩き込んだ。しかし、その反撃で一気に獅子軍が削り取られる。それでも、ニールは退かなかった。脇でクリス軍がリブロフ軍を抑えている。
 全員が、全員が俺を生き延びさせるために動いている。何のために。
「兄上、ハルトレインを、ハルトレインを討ちましょう。必ず、その機会は来るはず」
 気付くと、俺は本陣に帰り着いていた。生きて、帰ってきた。しかし、それに対して、俺は大きな意味を見出せないでいた。
 だが、ハルトレインを討つ。これだけは、何としてでも成さなければならない。
 ズタボロになった獅子軍が、帰陣してくる。その後方では、弓騎兵隊がハルトレインを追い払うように矢の嵐を浴びせていた。

       

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