Neetel Inside 文芸新都
表紙

見開き   最大化      

 槍を低く構え、自らの心臓の鼓動を聞いていた。その音を聞く度に、気が高まっていく。この気が限界に達した時、俺とハルトレインは刃を合わせる事になるのだろう。そして、決着をつける。
 一粒の汗が額に浮かんでいた。少しずつ、それは頬へと伝っていく。
 槍を握り締め、全身に力を漲らせた。これが続くのは、数秒か、数十秒か、それとも数分か。全力で、命を賭して、闘い抜く。そう、心に決めた。
 汗が顎の先に伝った。視界が揺れている。気が熱を帯びているのだ。ハルトレインの全身も、陽炎で揺れている。
 風。それが吹き抜けると同時に、顎から汗が離れた。目を見開く。気を開放する。
 汗が地面に落ちた。
 跳躍。ハルトレインと同時である。槍を突き出した時には、すでに互いの位置が入れ替わっていた。地面を踏みしめ、身体を回す。同時に槍を振るった。ハルトレインが槍を縦に構えて、それを防ぐ。二本の槍がぶつかった瞬間、お互いの身体がモノのように吹き飛んだ。原野の草が宙を舞う。
 身体を丸め、回転しながら地に降り立った。しかし、その時にはハルトレインの姿が視界から消えていた。視線を左右に走らせる。居ない。
 ハッとした。殺気である。左右ではない。上。感じると同時に後ろへ飛びずさった。衝撃波。巻き起こる。間一髪でかわしていた。
 空からの奇襲だった。ハルトレインは空を飛んだのか。いや、吹き飛んだ力を利用して、上空に舞い上がったのだろう。そして、俺ごと地を貫いてきた。その衝撃で、周囲は原野の草と砂埃で覆われていた。
 再び、ハルトレインの姿が消える。砂埃である。心臓の鼓動が跳ね上がった。見えない恐怖というのは、人の心を圧倒してくるのだ。しかし、それはハルトレインも同じのはずだ。それに気付き、俺は目を閉じた。全神経を耳に集中させる。肌は、ハルトレインの気をこれでもか、という程に受けていた。つまり、近い。
 草の擦れる音。違う。人が混じっていない。草だけが擦れ合う音だ。ハルトレインは動いていない。いや、本当に動いていないのか。その疑念を元に、目を開きそうになる自分が居た。開いた所で、見えるのは砂埃だけだ。そう自らに言い聞かせ、集中した。
 風。耳の中で渦巻く。しかし、同時に音を捉えていた。横に跳躍する。俺の居た位置に、ハルトレインが飛び込んできた。それを視界に捉えると同時に、地面を蹴った。
 槍を突き出す。ハルトレインが身体を回してかわす。右足。前に出した。気を放った。ハルトレインが上体を反らす。気のフェイントである。隙。
「もらったぞっ」
 声をあげると同時に、槍を放った。閃光。手応えは無い。穂先を綺麗に撥ね上げられたのだ。ハルトレインに俺の槍は見えていないはずだが、それでも槍の柄で撥ね上げられた。しかし、姿勢を崩している。
 そこに向けて、再度、槍を放つ。今度は蹴り上げられた。驚愕である。目が別のところにも付いているのか、と思えるほど正確かつ完璧な動きだった。やはり、この男は天才なのだ。そして、史上最強の男。
 ハルトレインが地に槍を突き立て、それを軸にして後方に飛びずさった。そして、再び槍を構えなおす。
 激しい呼吸で肩が上下していた。汗が幾筋も頬を伝っている。しかし、それはハルトレインも同じである。あの男とて、人なのだ。どれだけ、超常的な動きをしようとも、神ではなく、人だった。
 かつて、俺の二人の父も、神と呼ばれた事があった。しかし、二人とも、それは死に際だった。シグナスは闘神、ロアーヌは鬼神。人は、死の淵に立つと、人でなくなるのかもしれない。そして、俺もハルトレインも、その領域に片足を踏み入れようとしているのではないか。いや、すでに踏み入れたのかもしれない。
 今は呼吸をするのも苦しい。すぐにでも地に倒れ込みたい。だが、それは本当に限界なのか。おそらくだが、二人の父は、この限界を超えたのだ。だから、人ではなくなった。人でなくなった先に待つのは、死だった。
 死という言葉を連想したが、去来してくる特別な想いなどは無い。むしろ、死さえも構わない、という想いだった。死が一体、なんだと言うのだ。
 呼吸が整わない。槍を持つ手は異常に重たく、立っているのがやっとだった。激しく動いていた時の方が、よほどマシだったとも思える。
 それでも、口元は緩んでいた。いや、笑っていた。ハルトレインも同じである。おそらく、俺達は分かっている。限界を突破する瞬間が、すぐ傍まで来ている事に。
 さらに乱れる呼吸。もう、意に介さなかった。闘いに身を任せる。ハルトレイン、俺はお前と闘い抜く。そして、共に逝こう。限界を突破した先に、そして、死を超えた先に。
 吼えた。跳躍する。汗を飛び散らせ、槍の一撃。ハルトレインも放っていた。二つの刃が、ぶつかる。
 その瞬間、全身が躍動した。力が溢れんばかりに漲る。燃え盛った。血が、身体が、気が、命が燃え盛る。
 限界を突破した瞬間だった。ハルトレインの槍とぶつかった瞬間、あの男の気が俺の身体に流れ込んできた。それが何かを呼び覚ましたのだ。
 槍。放つ。いつもは一度しか放てないものが、二度、三度と放てた。ハルトレインも同じである。刃が触れ合うと、必ず閃光と火花が散り、原野の草が消し飛んだ。
 呼吸の荒さはもう無い。いや、呼吸の必要性すらも感じなかった。止まった時の中で動いているようなものだ。一呼吸の間に、幾通りもの動きが出来る。
 槍。飛んでくる。それを身体を開いてかわした。しかし、それでも鎧に火花が散る。気だけで、抉り取ってきたのだ。反撃で槍を放つ。全く同じ現象がハルトレインにも起きていた。
 闘って、闘って、闘い抜く。その先に待つのは死だろう。勝っても、負けても、それは変わらない。だが、俺はそんなものはどうでも良い。この男と、決着をつける。
 ハルトレインの気。一気に膨れ上がった。何かが来る。同時に脳裏へと記憶が蘇った。童。剣。光。そして、失った誇り。
 一度に去来してきた。ハルトレインが腰元の剣に手を伸ばす。見とめた。奥義が来る。しかし、槍を放っていた。完璧な隙。限界を突破した今なら。いや、間に合わない。どうする。
 鞘から白刃が覗いた。時が遅い。ゆっくりと、白刃が抜かれていく。それをしっかりと認識しているのに、身体が付いてこなかった。身体の限界突破が終わったのか。精神だけが、限界を突破したままなのか。
 抜かれた。斬られる。覚悟した。
 瞬間、何かが弾けた。闘気。感じたが、俺とハルトレインのものではない。どこから。剣が迫ってくる。しかし、それが俺に到達する事は無かった。
 光だった。ハルトレインがその光をかわしていた。
 吼えた。同時に槍を放っていた。その槍は、まるでハルトレインに吸い込まれるように、しっかりとその身体を貫いた。
「終わった」
 ハルトレインだった。しっかりとした声。
「お前の勝ちだ、レン」
「何故、何故、光をかわしたのだ」
「光ではない。バロンの矢だ」
 その瞬間、俺の心は暗澹としたものに覆われた。あの男は、俺とハルトレインの勝負に、水を差した。殺してやりたい。そうも思った。
「限界を突破した私でも、あの矢はかわすしかなかった」
「あの矢が無ければ、俺はお前に」
 討たれていた。言葉には出来なかった。どうしようもない後悔の念と、異常なまでの悲憤が全身を支配してきたのだ。
「これが運命だった。しかし、私を討ったのがお前で良かった」
「ハルトレイン、俺は」
「なぁ、レン。本当に私たちは、争うしかなかったのだろうか。お前の父を討ってさえいなければ、私たちは」
「言うな。言わないでくれ」
 涙が流れていた。何故かは分からない。決着はついた。それなのに、心は締め付けられる。
「そうだな。もう終わったのだ」
「ハルトレイン」
「泣くな。男だろう」
 そう言って、ハルトレインの眼から生気が消えた。終わった。全てが終わった。
 槍から手を離すと、一人の男の亡骸は地に伏した。
 同時に俺も地に倒れ込むのを感じた。死ぬのだろう。限界を突破した先に待つのは死。しかし、それが訪れるとは、俺はどうしても思えなかった。
 ただ、意識は遠のいていた。

       

表紙
Tweet

Neetsha