Neetel Inside 文芸新都
表紙

見開き   最大化      

 思うように弓が引けなくなっていた。連続で引くと、息切れを起こしてしまうのだ。どうやら自分にも、老いというものがやってきたらしい。鏡で顔を見る度、白髪や皺の数が増えたという気はしていたが、実際に弓を引いてみると、老いを実感してしまう。
 すでに五十歳をいくつも過ぎているのだ。若い頃と比べるのは、きっと愚かな事なのだろう。いや、若い頃と比べてしまう事自体が、老いたという証明なのかもしれない。
 僅かな休憩を挟んで、再び弓を射た。矢は的を貫き、そのまま粉砕する。威力は衰えていない。敵兵の盾を貫き、気が充溢しきった時など、盾ごと敵兵を吹き飛ばす事だって出来る。それも、三人を一度にだ。ただ、連射が出来ない。これが戦場では何を意味するのか。
「さすがですな、バロン王」
 供の一人がそう言った。さらに続けざまに、賞賛の言葉を押し並べてくる。それが阿っているように聞こえて、私は微かな不快感を覚えた。
 最近は、こういったご機嫌取りのような者が近くにつく事が多い。ヨハンには、どうにかしろと伝えてあるが、どこからか入り込んでくる。つまるところ、能力はあるのだろう。そして、世間的に言えば、世渡りが上手い部類だという事だ。
「若い頃は、連続で放てていた」
 その者には目をくれず、私は静かにそう言った。
「いやいや、バロン王は老いても尚、壮健でいらっしゃる。まるで、あのレオンハルトのように」
 また、おだてが始まった。聞いていると、その場で斬り捨てかねないので、私は馬を走らせた。馬の振動が、身体の芯に響く。疾駆させて、戦場を駆け回る事が出来るのも、もうあと僅かの時しか残されていないのかもしれない。
 愛馬のホークは死んでいた。二代目が居るには居るが、先代とは全く違う性格をしており、私には合わなかった。今は乗り手を探している所だが、きっと若い者にあてがわれる事になるだろう。二代目のホークは、負けず嫌いで荒々しい性格なのだ。
 馬といえば、タイクーンの二代目が居た。タイクーンとは、剣のロアーヌの愛馬である。初代はアビス原野での戦いで、ロアーヌと共に命を散らせたが、二代目は牧場で乗り手を待ち続けている。先代に負けず劣らずの名馬である。そして、乗り手を選り好みする所もそっくりだった。
 遠乗りを終えて、ピドナ政庁に戻ると、ヨハンが待っていた。
「また、お出かけですか?」
「悪いか? 国とメッサーナは今、休戦状態にある。馬にぐらい乗っておかないと、戦場に出れなくなってしまいそうでな」
「バロン様は王です。戦は軍人に任せておけば良いのではありませんか?」
 この所、ヨハンの小言が多くなっていた。これは昔からだが、ランスが死んでしまってから、より一層うるさくなったという気がする。それに加えて、最近では戦は軍人に丸投げすれば良い、という考えが芽生え始めている気配もあった。
「それよりヨハン、あの供の一人は何だ? あぁいう人間を私が好まないのは知っているだろう。危うく斬り捨てる所だったぞ」
「あれでよく働くのです。彼も必死なのでしょう。バロン王に認められたい、という一心があるはずです。別に不正はしておりませんし、ある程度は耐えて頂かねばなりません」
 その言葉を聞いて、私はため息をついた。
「とにかく、バロン様は王なのです。良いですか、王たる者は」
 こうなると黙って聞くしかなかった。
 思い返せば、私は文官との相性があまり良くない。北の大地を治めていた時も、ゴルドという者が文官のまとめ役だったが、このゴルドとも仲は良くなかったのだ。
 ゴルドは私の父親代わりの男で、小うるさい所が苦手だったが、数年前に穏やかに死んでいった。それを伝え聞いた日の夜は、一人でひっそりと涙を流したものだった。
 一通り、ヨハンの説教を聞き終えて、私は私室に入った。扉を叩く音がするので返事をすると、しわがれた声が聞こえた。
 クライヴである。現在の大将軍だが、高齢で戦場には立てそうにも無かった。最近では、馬に乗る姿も見ていない。
「長い説教でしたな」
 皮肉めいた笑みを浮かべながら、クライヴは部屋に入ってきた。
「疲れたよ。遠乗りよりも、ずっとしんどい。だが、ヨハンには苦労をかけている。メッサーナの政治は、あの男一人の手にかかっているようなものだからな」
「みな、老いました。特に私などは、見ればすぐに分かるほどに」
 ヨハンも老いた。クライヴは、そう言っているような気がした。だからこそ、あの説教なのだと。
「クライヴ、ここは私の部屋だ。昔のように、軍人同士として話さないか」
「バロン様は王ですが」
「その王である私が言っているのだ。ヨハンと同じような事は言ってくれるな」
 私がそう言うと、クライヴは低い声で笑った。了承の返事という事だろう。
「老いたな、本当に。今日、遠乗りをしてみたが、連続で弓が引けなくなっていた」
「なに、まだ馬に乗れる。私など、馬にすら乗れなくなった」
「クライヴ、いくつになった?」
「さぁなぁ。六十五はいっているだろう。七十に達しているかもしれん。ただ、いつからか自分の年齢の事を考えるのはやめたよ」
 そう言って、クライヴは寂しそうな眼であらぬ方向を見ていた。顔に刻まれた皺が、はっきりと老人の顔だと主張している。
「バロン、私はいつまで大将軍をやっていれば良い?」
 しばらく間を置いてから、クライヴは言った。
「どういう事だ?」
「もう戦場には立てん。馬にすら乗れん。そんな男が、大将軍などやって良い訳があるまい」
「若い者たちは慕っているのだろう?」
「どうかな。見方を変えれば、労わっているようにも見える」
 クライヴは退役を望んでいるのかもしれない。軍人は戦場で死ぬ事を夢見るものだが、クライヴはその戦場にすら立てなくなったのだ。そうなれば、退役して静かな暮らしをしたいと願うのは自然な事だろう。
「後継はどうする?」
「難しいな。年齢で言えばアクトだが、あれは大将軍という柄ではない。メッサーナ軍が朴訥になりかねん。かと言って、クリスでは貫禄が無さ過ぎる。となればレンだが、若すぎて他がついてこんだろう」
「私も同意見だな。せめて、シーザーが生きていれば良かった」
 荒々しすぎる男だったが、大将軍に据えても違和感はないという気がする。特に若い兵などは、喜ぶ者が多かっただろう。
「惜しい男を亡くしてきたな、バロン。シーザーもそうだが、ロアーヌやシグナスもそうだ。この二人のどちらかが生きていれば、安心して軍を任せられた。いや、天下が取れていただろう」
「すでに逝ったのだ。仕方あるまい」
「もう少し、この老骨に鞭を入れるしかないか」
「そういう事だ」
 それから、今後の事を少し話し合った。黒豹がウィンセ暗殺で動いている事なども話したが、クライヴの反応は無きに等しかった。軍人である。心の底では、嫌悪しているに違いなかった。しかし、昔のように軍と軍だけで戦う時代ではなくなっているのだ。謀略や暗殺なども、視野に入れて動く事は必要だった。
 私の後継者についても、話題として挙がった。私には、マルクとグレイという二人の息子が居るが、長子のマルクは不出来な為、後継者として据えるのは不安だった。一方、グレイは武術をよくやり、勉学にも精を出す。何より、弓が得意だった。きちんと修練を積めば、名を挙げる事も難しくないだろう。
 王として適任なのは、どう考えてもグレイだった。ただ、長子としてマルクが居る。
「後継者問題は、早めに片付ける事だ。過去にも、それが問題になった国家は多々ある。中には、滅亡に至る国もあった」
「分かっている、クライヴ」
「後継者を決める事が出来るのは、バロン、お前だけだぞ」
 クライヴは最後にそれを言って、部屋を出て行った。
 分かっている事だった。それでも、決めかねているのだ。しかし、いつまでも迷ってはいられない。マルクかグレイか。決めなければならないのだ。
 気付くと、日が沈みかけていた。

       

表紙
Tweet

Neetsha