Neetel Inside 文芸新都
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剣と槍。受け継ぐは大志
第二十章 決戦

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 あの中のどこかに、ハルトレインが居る。俺は官軍の布陣を見ながら、そう思っていた。
 ハルトレインはいわば宿敵である。父の仇であるというのもそうだが、俺は左眼を奪われ、武人としての誇りすらも奪われた。左眼を斬られた時、童の首を取るほど、自分は落ちぶれていない、と言われたのだ。
 確かに、あの頃の俺は童だった。戦う目的ですらも曖昧なまま、戦場に出ていた。しかし、心は武人だったのだ。それでも、ハルトレインは俺の事を憶えてすらいなかった。
 屈辱だとか、絶望だとか、そういう感情は全く無い。ただ、倒すべき相手であり、乗り越えなければならない相手。俺にとってハルトレインは、そういう男だった。
「速攻をかける」
 軍議の場で、バロンが言った。これに対して異を唱える者は居なかった。ハルトレインの戦の手腕は、これまでの戦いで幾度と無く見てきた。まず、野戦では敵無しである。特に正面からのぶつかり合いに強い。あえて弱点を挙げるなら、好戦的すぎるという部分だったが、これは矯正されている。度重なる戦は、あの男に成長の機を与えたのだ。
 その上で、南でさらに経験を積んだ。これが何を意味するのかは別として、やはり速攻が最も望ましいだろう。
 馬上だった。タイクーンが前足で土を掻いている。夏である。日差しが、原野を照らしていた。暑い。槍を握る手の平は、汗で滲んでいる。
 やがて、日が中天に差し掛かった時、開戦の角笛が鳴った。
 風。俺はスズメバチ隊と共に、駆け出していた。右翼である。左翼にはシオンの熊殺し隊が居て、中央は獅子軍だ。メッサーナ軍きっての精鋭騎馬隊、三軍が原野を駆ける。
 官軍の騎馬隊に動きは無い。歩兵で止めるつもりなのか。やがて、矢が届く距離に達した。雨のように降り注ぐ矢の雨を、縦横無尽に駆け巡ってかわす。しかし、かわした先に歩兵が居た。リブロフの旗。槍兵である。
 スズメバチ隊の勢いに怯まず、槍の穂先を揃えてくる。さらに別方向から圧力。ヤーマスの旗。これも槍兵だ。両側からの絞り上げるような挟撃だった。力任せの突破は苦しい。さすがに調練が行き届いている。盾持ちで動きは鈍いが、軍としては堅い。
 敵軍の間を縫うようにして駆け、盾の隙間に向けて槍を何度も放った。その度に、敵兵が螺旋のように吹き飛ぶ。しかし、敵陣自体に乱れは無い。しっかりと陣形を維持し、確実に挟撃をかけてくる。
 動きが窮屈だった。同時に何か違和感を感じた。檻。その言葉が頭に浮かぶ。この挟撃、何かおかしくはないか。
 戦況の把握に努めた。シオンの熊殺し隊は、フォーレ軍の弓矢で総攻撃を食らっている。損害は無いに等しいが、攻めに転換できていない。次に獅子軍。そこに目を向けた瞬間、俺の心臓の鼓動が鳴った。
 龍の旗印。ハルトレイン。騎馬隊が前に出ていた。獅子軍とぶつかり合っている。


 強烈な軍だった。俺の獅子軍が弱いんじゃない。敵が強すぎるのだ。軍としての質もそうだが、指揮官の力量に差がありすぎる。それも、どうしようもない程に。
「ちくしょぉっ」
 手も足も出ねぇ。かろうじて、この言葉だけは飲み込んだ。口に出して言えば、兵が不安になる。そして、士気の低下に繋がる。
「ニール将軍、ここは他軍との合流しかねぇっ」
 傍に居る副官が言った。俺もそうしたいが、レンもシオンも自分の事で手一杯だ。特にレンは、逆茂木(さかもぎ:馬止めの柵の事)の要領で、槍兵に囲まれてしまっている。レンなら、どうにでもするだろうが、単独では難儀する状況だ。動きを封じられているに等しいのだ。
「シオン将軍と」
「駄目だ。弓矢の犠牲になる。あの雨は獅子軍じゃ、避けきれねぇっ」
 そんな調練も積んでない。必要ないと判断したからだ。こういう所は、どうしても親父に似てしまった。
 敵軍は徹底していた。メッサーナ軍の最精鋭である、スズメバチ隊と熊殺し隊を動かさないようにしているのだ。殲滅ではなく、動かさない。確かに、この二軍は倒そうとすれば骨が折れる。だが、動かさないだけならば。
 簡単な事だった。しかし、これまで誰も実行しようとしなかった作戦だ。
 ノエルか。それとも、ハルトレインか。いや、作戦の質を考えると、ノエルの策だろう。そう考えると、血が滾る。この手で、ぶった斬ってやりてぇ。あいつのせいで親父は。
 瞬間、角笛が鳴った。後退の合図である。バロンはこのままでは瓦解する、と見たのだろう。弓騎兵だけでも来てくれれば、と思ったが、バロンも歳だ。もう、俺達のようにはいかない。
「背を見せずに退がれ、迎撃しながらだっ」
 言って、後退を開始する瞬間だった。
 もぎ取られた。一気に五百、いや、一千の兵が一瞬でもぎ取られた。後退の調練もロクにしなかった。むしろ、攻撃以外の調練をしなかった。だから。いや、違う、そういう次元ではない。野戦での経験と才能の差だ。これが、指揮官の差なのだ。
 後退をやめた。下手に後退し続ければ、良いようになぶられる。
「ニール将軍、何を」
「黙ってついてこいっ」
 手綱を引く。獅子軍が一斉に原野を駆け始めた。その後を、ハルトレインの騎馬隊が追ってくる。とりあえず、逃げまくってやる。
 後退の角笛が、何度も鳴り響いていた。
「うるせぇ、黙って見てろっ」
 軍学など知るか。そんなもん、犬にでも食わせちまえば良い。俺は俺のやり方でここを切り抜ける。
 駆けた。全速。陣形を縦一本の線にした。目標。見定める。ヤーマスとリブロフの旗。
「突っ込めぇっ」
 喚声。敵槍兵の背後を突き破る。レンのスズメバチ隊。見えた。合流した。
「レン、何をやってんだ、早く俺を助けろっ」
「あぁ、任せろ」
 そう言って、レンとスズメバチ隊は敵軍の包囲網を脱した。
 バロンの後退の角笛があったからこそ、出来た芸当だった。あれが無ければ、俺はハルトレインから逃げる事も出来なかっただろう。後退命令が出ているのに、他軍と合流する。さすがのハルトレインも、ここまでは読めなかったという事だ。
 スズメバチ隊が原野を飛翔する。その先には、ハルトレインの騎馬隊があった。
「獅子軍はスズメバチ隊と連携を取る。後に続けっ」

       

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