Neetel Inside ニートノベル
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弟が男の娘だなんて兄さんは認めないっ!
第3話 「委員長さんの月」

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 ザザ―――と雨音が耳朶に染込む。
 午前にはその澄明な青と太陽の赫奕(かくえき)を見せていた空も、時間が経過するにつれ、濃淡のない灰色へと変わっていき、給食を取る頃には篠を突き始めていた。
 俺は普段通りにして、久し振りに炒と齋藤と共に食事を取っていた。しかしながら、こんなにまったりとした昼食を得たのは退院してから初めてかも知れないと、俺は厚切りトマトが中身のサンドウィッチを頬張りながらしんみり想う。
 日常を恋しく感じる程に、退院してからの日々は予想以上の疲労に溢れていた。始に思い出すのは、同級生や教師からの事件の質問、犯人はどんな風貌だった? 声は訊いたかなどと、答えを何度、反芻したか数え切れないぐらいだ。
 その度に罪悪感に駆られた。委員長を守る為とは言え、何十人もの人間を騙す事には胸が痛む。だが、人の噂も七十五日とは良く言ったもので、俺の場合は土日挟んだことでほとぼりが冷めたらしく、今日はそんな嫌な回答をする事もなくただ普通に昼食に有り付けている。
 もう嘘を吐かないで済むと俺は安堵し、オレンジジュースをストローで飲み込む。心なしか飲み慣れたオレンジの酸味がとても甘く感じる。
「酷い雨だねー」
 抑揚の無い声で前に座る炒がそんな事を言う。どことなく合成音の様に訊こえるのは情が籠もっていないからであろう。 
「ああ、そうだな」
 相槌を打ち俺は窓の外を覗く。大粒の雨がグラウンドを削る様に零れ落ちる。その為、硬地も泥濘化してしまっている。綺麗に咲いた薄紅もこれでは不憫極まりないだろうに。そう憐れむも櫻に対して、してやれる事もなくただ視線を送るだけだ。
「そのサンドウィッチ美味しいの? 何か不味そうに喰ってるけどさ」  
 唐突に齋藤が話しかけて来た為、俺は喉を詰まらせ少しばかり咽た。
「うーん、微妙かな……」
 実を言うとトマト自体あまり好きではない為、旨いか旨くないかと問われると旨くはない。
 金欠で仕方が無く一番安いこのサンドウィッチを買ったのだ。
「そうか、微妙か……なら俺は買わないことにしよう」
「そうした方が良いと思うぞ」 
 そんな雑談を交わして居ると、炒がふふっと鋭い犬歯を剥きだしに嫌な笑みを浮かべた。
 一瞬、嫌な予感が過ぎる。 
「ふふふ、実は僕気が付いたことがあるんだけど、訊きたい?」 
 彼の細い目が少しだけ見開く。
 それにしても一体、何に気が付いたと言うのだろう。
「何だよ、何に気が付いたんだよタクジロー」
 炒の事をタクジローと呼ぶのは幼稚園から仲の良かった齋藤、彼のみだ。
「俺も訊きたいな。炒何に気が付いたって言うんだよ」
 と平静を装ってはいるが、もし俺を襲った犯人が解ったなんて言った曉には俺はすぐさま彼の口をこの微妙なトマトサンドウィッチで塞ぐとしよう。
「訊きたいかい? ではもったいぶって……」
 ああ、じれったい。
「もったいぶらないで早く教えろよー! タクジロー」
 ツンツン頭の彼がクロワッサン片手に急かす。 
「……ああ、そ、そうだな早く言え……よー」 
 どうしてこんなにも俺は動揺が隠せない性分なのだろう。彼らに訊こえるのでは無いかと、怯えるほどに鼓動が高鳴る。
「では言うぞ……」
 思わず息を呑む。
「実は委員長は―――フがッ!!」
 委員長と言う単語が訊こえた時点で反射的に俺はとっさに、用意していた彼の口に食べかけのトマトサンドを思いっきり捩じ込んだ。
 ぐにゅぐにゅとパンは歪に形を変えながらカレーパンの咀嚼物がまだ残る口内へとダイブしていく。しかし、耳の無いパンを彼の口に押し込む事にそんなに膂力が必要無いと言う事に気が付いておらず、と言うよりかは隠蔽しなければと言うある種の強迫観念のあまり、恐ろしい程の素速さで口内に侵入してしまった。
 何というか気が付いたときには薄い粘着性のある液体の感触が纏わり付いていた。
 そうか指ごと逝ったのか。
「……………」
 ――――――ああ。
 一瞬の静寂を挟み彼が喘ぐ。
「フがッガッがッ、フガフガガがフフガガがフッアッ―――」 
「お、おい森崎ストップ、ストップ!」 
 ガランと齋藤が俺の手を掴むために、立ち上がった勢いで椅子が倒れた。それが、クラスメイトの注意を惹くことになり―――。
 またも俺は同級生や教師達から質問攻めに遇うことと成った。



 *



 先程まで降っていた雨もそのなりを潜め、今では雲の裂け目から西日が漏れ出していた。
「本当に唇が裂けるかって思ったッ!」
 彼の声が耳を劈く。
「いやいや、本当に悪かったって」
 斜陽が差し込むタイル張りの廊下を三年という特権で左から齋藤、俺、炒の順で横並びで歩く。幸いな事に彼の唇や口内が俺の爪で傷がつくこともなく笑い話になっていた。が、後々考えると俺は常軌を逸していた行動を取っていた為、思い出す度に顔を紅潮させる事になった。
 ああ、トマトサンドはトラウマになりそうだ。
 そうトマトサンドとの決別を計っていた時に、齋藤が快闊な声で話しを振る。  
「まあ、タクジローの唇が裂けてたら大変だったけどね。本当に真っ赤なトマトサンドになる所だったよ」 
「なんか嫌だなそのトマトサンド……」
 炒も、トマトサンドはもう食べたくはないだろう。 
「俺はもうトマトサンド自体視たくもなくなったな……」
 俺はどんよりしながら、窓の外から廊下へと視界を変える。
「あれ、誰か手振ってないか?」
「そうだね、誰だろう」 
 炒と齋藤がそう口にするので、俺は目を細めた。薄らとだが、廊下の先の方に人影が見えた。痩身で背の高い―――女の子だ。細い腕を元気よく左右に振っている。
「誰だろう……?」
 周りに合わせてみたものの俺の額には大粒の汗が滴っていた。それも冷や汗所ではない、液体窒素レベルの冷たさだ。もう俺の瞳には彼女にしか見えなかったのだ。いいや恋に落ちた初心(うぶ)な少年と言う訳ではなく。
 思わず俺は歩幅を狭める。少しでも彼女と遭遇する時間を先送りにしたいのだ。
 しかし、相対するかの様に彼女の方が小走りで駆け寄ってくる。普段は廊下は走るの禁止! と口うるさく注意しているのに。
「どうしてこんな時だけ……」
 俺は二人に訊こえない様、囁いた。
 ああ、不幸だ。
 さながら、某とある小説の少年の如く不幸だ。
「三人揃って仲が良いのねー!」
 爽やかな声と共に現れた彼女を視て俺はなんだかうんざりした。
 本当に神様がいるのなら、相当ひねくれ物だろうと俺は天井を一瞥し、彼女と目が合わないようにそっぽを向く。
「仲が良いのは偽りですよぉ~」
 馬鹿みたいに炒が笑う。どうしてだろう、羨ましく見える。
「まあ、偽りにしろ何にしろ一緒に居る事には、変わりはないんですけどね。腐れ縁って奴かな」
「ふーん、腐れ縁ねー、それじゃ私と森崎君も腐れ縁だねー」 
 話しを振るなッ!!
 それも腐っているのは委員長さんの方だからッ! 
「はは、そ、そうですね……」
 頭をボリボリと掻き乱しながら、俺は出来の悪い作り笑いを浮かべる。否、正直に言うならば、顔を引き攣らせているだ。
「それでね、三人仲良いの所を邪魔しちゃう形なんだけど、ちょっと借りて良いかな森崎君」
 俺は耳を疑った。
 何かの訊き間違いだと信じた。そんな、急にやってきて借りられるなんて、そんな嘘みたいな事があるはずない。それにあの事件の所為で俺がどんだけ苦労したと思っているんだ彼女は。
「え、えっと俺、今日歯医者だから……」
 間髪入れずに、
「勿論ですよ、委員長さん」
「ええ、こんな奴持っててください」
 お前らッ!! 幾ら委員長が可愛いからって鼻の下伸ばしてンじゃねぇ!!
 俺は彼らを思いっきり睨み付けるが、二人とも口笛を吹くと言うこれまた古典的な方法で知らないと黙りを決め込む。
「ちょっと待ってくれ、俺の言い訳ぐらい訊いてくれよッ!」 
「どうせ言い訳なんだから良いでしょ? さぁ、行きましょうか森崎君!」  
 彼女は悪魔の様な笑みを作ると俺の左腕に自らの右腕を絡める、まるで恋人だ。それに、彼女の身体が密着するため、ひじに柔らかい感触が……これはアレなのだろうか。
 しかし、と言うかやはり、俺でも驚いたこの行為に、二人が何のリアクションも取らない訳が無く、見事なまでの驚愕の表情を浮かべていた。齋藤に至っては開いた口から涎までたらして、本当に阿呆の様だ。 
「じゃあバイバイ」
 彼女は残された俺の友人二人に手を振り、階段の方へ向かう。
 俺はどうにかして抜け出す事も出来たが、この肘に当たる柔らかな感触が愛おしく離れられなかった。男なら誰しもそうだろう。(ツカサは覗く)
 もし、これが彼女の策だとこの時にでも知っていれば、俺は―――いや、知っていてもやはりついて行くだろう。

       

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Neetsha