Neetel Inside ニートノベル
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 その小柄な影はノックを二度程し、ガチャリとドアを開け保健室に入ってきた。
 俺の想像とは裏腹に、影の正体は少女だった。髪型は短いボブ、肌の色は委員長に負けず劣らず真っ白で、瞳は二重で大きく、しかし似合わない黒を持っている。色の事ではなく、過去の傷を背負っているような。光のない瞳と表現すれば伝わるだろうか。年齢は俺等と同じぐらい。痩せ形で、ここでは見慣れない他校の制服を着ているのだがサイズが大きいのか袖がかなり余ってしまって手が全く見えない。邪魔にならないのだろうか。
「こんにちは」
 中々綺麗な声をしている。中性的というのか、分からないが。少年の様な声の持ち主だった。  
 まあ、一通り説明したところで悪いのだが、俺が一番に注目した点はそれらでは無かった。俺が注目したのは、その目だ。見えている方の目ではない。
 眼帯の方だ。
 チヒロ・ヒナタと言う名の少女は、左目が不自由なのか、ただ単に怪我をしているのか、もしや何かのコスプレなのか、真意は不明だが左目にガーゼの眼帯を当てていた。両耳にかけるタイプの眼帯で長らく使っているのか酷く薄汚れていて、それでは逆に目に悪いのでは無いかと心配させられる。
 そこで、委員長が瞳を輝かせた。
「こ、こんにちは貴方が、チヒロさんですか?」
「ええ、私がチヒロヒナタです。初めまして」
「何時も、メイド服を製作して頂き、ありがとうございます!」 
「いえいえ、飛んでも無いです。それに私だけじゃなくて、そこの花藤さんにもかなり手伝って貰っていますから」
 すかさず、花藤がいやいやと遠慮がちに手を振る。内心ほっとした。彼が奥深くまで関わっていた、それもメイド服を着ていたと思うと、何だか無性に嫌な気分になる。
「えっと、それで……貴方はどちら様ですか?」
 元々ナユサイズの為、委員長が傍にいるだけで、酷くチヒロが小さく見えた。
 小動物で例えるなら彼女もナユと同じ栗鼠だな。
「わかりませんか? 私ですよ、私!」
 委員長はそう云うと、自分の顔を指で示す。
 初対面だから、分からないだろって云いたいね。
 チヒロは顎に手を添え、少々考える素振りを見せると、急に思いついたように「あ」と声を上げた。ああ、可愛らしい声だ。
 もしかして、これが萌えとか云う奴なのだろうか。
「もしかして、ねこみみデストラップさんですか?」
 は?
 委員長が声を大にして、
「正解です!」
 猫耳デストラップ。委員長のハンドルネームの様だったが、流石にヤバイだろ。色々な意味で。ネーミングセンスがどうと言う話しでは無い。ただおかしい。この後に委員長から直接聞いた情報によると、正しい表記は猫耳Deathtrapだそうで、猫耳は漢字表記、DeathtrapはDが大文字で、それ以外が小文字らしいって、何を説明しているんだろうね俺は。
「初めましてチヒロさん。私が猫耳Deathtrapこと、瞭野蒼です」
 委員長が改めて自己紹介をすると、チヒロは見る見るうちに瞳の色を変え頬を染めた。玩具を買い与えられた子どもの様だ。最初からそうしていれば、美少女で済むのにな。まあ、先程と比べ、どれぐらい明るくなったかと云うとだな、「猫耳さぁん! 逢いたかったよぉ~!」なんとか云って委員長に抱きついて、その豊満な胸に顔を摺り摺りするぐらいだ。遠目から見れば親子に見えなくとも無い感じで、和気藹々。彼女が見知っている人物だからそうなったとは思うがしかしだな、それはそれは、いきなりの事だったので彼女の反応に俺は驚いた。そして委員長のグラマラスなその胸が四方八方にぽよん、ぽよんと揺れるのをただ眺めるのもどうかと思うと、必然的に目のやり場が無くなり、気が付くと俺はそろそろと身体を花藤の方へとに向けていた。
 意気地無しとでも呼んでくれ。
 俺は紳士失格だ。だが、失格したのは俺だけでは無い。
 花藤だ。
 花藤は、そんな彼女達を気にせず中空に焦点を結び度々コーヒーに口を付けて、一見ニヒルな雰囲気を醸し出している様に見えたが、観察していると、ちらちらと視線が横に動いていた。
 オッサン、見るならしっかり見なさいな。
「猫耳さん。逢えて本当に嬉しいです」
「私も嬉しいです、チヒロさん」
「それで、彼はもしかして例の森崎君ですか?」
 突拍子もなく名前が出たため、俺はもの凄い勢いでチヒロの方へ顔を向けた。チヒロは俺を一瞥し、コクリと頭を下げ、また委員長に目を戻す。
 委員長が俺の事を話したのか?
「え、ええ。そうね、彼が森崎輝之君。ツカサ君のお兄さんよ」
「あ、よろしく。チヒロさんだったけ……?」
「はい、チヒロヒナタです。はじめまして」
 差し出されたチヒロの手に、反射的に俺も手を出し握手を交わした。彼女の掌はメレンゲの様に柔らかく暖かかった。温もりとかって云う奴だな。本当に微笑まれたら天使と勘違いしてしまいそうだ。もう花藤との握手とは大違いだ。
 そこで、花藤がコーヒーを飲み終えたのか会話に参加してきた。
「それでチヒロ君、今日君が遠出してまで伝えたかった事とは何なのかな。今朝の連絡では、ここに着いてから全てを話すとか何とか云っていたが……そろそろ話して貰えないかな」
「はい。花藤さん。そのつもりで居ます」
 チヒロは「皆さん訊いて下さい」と前置きをし、
「今日、私がここまで来たのは、ほかでもないです。次の夏コミの事です」
 やっぱりな、と俺は何故だか心の中で頷いていた。
「それで、次の夏コミで何かあるんですか?」
 委員長が口を挟む。
 花藤もパイプ椅子から立ち上がり数歩歩き、彼女を真剣な眼差しで見下ろす。
「実は、次の夏コミで私達は漫画をどちらが先に完売させるか、と言う勝負をすることになってしまったの」
 勝負? 完売を競う?
 疑問に思っていると「勝負か……」と花藤が疲れ切ったような溜息を交え、そう云った。
「はい」
 チヒロも入ってきた当初の様な重苦しい表情を浮かべ、眉根を顰めていた。
 その二人の顔を見ただけで、何となくだが俺も察しがついた。多分、その勝負こちらにほぼ勝ち目がない、云ってしまえば負け戦のような物なのだろうと。
 沈黙。
「……それで、その相手のサークル名は分かってるんですか?」
 委員長の問いに、チヒロは小さく頭を揺らし肯定した。
 そして、微かに唇を動かし、
「相手は同人サークル『アリスの眼(まなこ)』です」
 と、云った。
 アリスの眼?

       

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