Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      

「何で私が浮き足立ってるのよ……」
 トイレについて開口一番。一人で不安になって一人で慌てて、鞠乃に心を乱されて馬鹿馬鹿しいにも程がある。正也には普段通り冷静に、とお願いしている身がこの様では立場もない。
 ここから先は二人の進展如何が重要視されるべきであって、私の私情は介入していい場面ではない。鞠乃と正也を見守ることに従事し、私はそれを落ち着いて見ていればいい。それだけだ。
 とにもかくにも私が冷静になるのが先決。それさえできればどうにでもなる。こうして彼らのところから一旦引いて、二人きりにするのも目的上好都合だろう。
 後ろ手で個室のドアを閉め、鍵をかけて絶対開かなくなったそれに背中からもたれかかる。場所が場所なので遠慮したいところだが、数回深呼吸を繰り返して気が立つのを抑えた。心音を、いつも鞠乃に聞かせている一定の拍に戻してから、頭を働かせる。
 先程確認したが、店内には私達と同じ学校の制服を着た男女ペアの客、所謂カップルというのが何組といた。
 それらと家の鞠乃と正也を見比べても、代わり映えがしなかったのが少しだけ、悔しい。兄弟かと思えるほどの身長差があれど、二人が寄り添っているところは他のカップルたちと何ら遜色ない。
 まだそんな関係でないことは当事者含め私が一番分かっているのだが、重要なのは、周りからそれっぽく見えるという点。もっと言えば、不自然に感じず見ることができるという点である。
 アレがもし正也の代わりに私がいて、異常にべたついたりしていれば奇異の目が飛んでくることだろう。正也と鞠乃がべたべたしてたとは言わないが、とりあえず私といるよりは正也が隣にいてくれる方がよほど健全だ。その事実を自戒として認識すると同時、これからの計画を練る上での指標とする。
「さて」
 思うのだが、どうにも男子一人に対し女子二人、という割合は奇妙じゃないだろうか。個人的にこの偏りは歪に感じる。男女一人をカップルと見立てたとき、残った女子はどう見られるのだろうか。
 どれにせよその一人、つまり私は余りで邪魔にしか映らない。男女二人ずつなら均整が取れるものの、鞠乃はおろか私には正也以外の男友人がいないため、その穴を埋めることは不可能。そも、いたとしても私達三人の間に割り込めるかは甚だ疑問。
 したがって消去法の末、このアンバランスな輪を正す手段は邪魔者である私が身を引く以外にない。
 考えるだけなら、とても簡単な方法だった。
「とはいえ……」
 それをどう実行するかが問題だ。
 恐らく私が輪から外れるのは造作もないことだろう。「二人で遊びに行ってきたら」とでも提案すればそれで済む。
 だが切り出すにもタイミングがある。正也には、段階を踏んでゆっくりと、と急がなくてもいいような体で説得した手前、あまり急かしたくはないのだが、私としては一刻も早く鞠乃を連れ出してほしいという気持ちが今になって現れ出てしまった。
 当の鞠乃も、いきなり正也と二人きりで遊びになんて言われたらどう反応するだろうか。気の知れた相手なら奔放な彼女のことだから何の抵抗もなくすんなり受け入れそうでもあるが、私抜きで、と条件が加わるとなると分からない。じっくり時間をかけて正也と過ごす日を増やしていけばこんな懸念も生まれないのだが、果たしてどれぐらい掛かるだろう。
 結局、しばらくは私が耐えながら付いてあげたほうがよさそうだ、という結論しか導き出せなくてもどかしい気分になる。恋は焦ってはいけない、などという古臭い言葉があるが、まさか他人事でコレを実感することになるとは。
 そう思って、鞠乃のことを他人事で片付けている自分に気が付いた。
 本当は何よりも自分のことなのに、鞠乃と正也二人だけの話だと割りきって、ここまで思考を巡らせていた自分にはたと気付かされて、
「……何、やってんのかな」
 虚しくて悲しくて、しょうがなくなる。
 そろそろ戻ろう。一人になっても一緒にいても心的環境が変わらないのならどこにいたって駄目なのだろう。それに、あまり長く席を離れているとまた鞠乃に心配を掛けさせてしまう。
 必要はないのに律儀に手を洗い、出口に差し掛かる。心なしか店内客が減ったように見える。私もそろそろ別に用事がある店に行きたいなと思いながら、自分たちが陣取った席を見やった。
 こちらからだと鞠乃が背中からしか見えないのだが、正也と話すときにやる大げさなジェスチャーが健在なところを見ると、会話が盛り上がっていることが伺えた。対面に座る正也もずっと笑顔だ。
「……あぁ」
 アレほど順調そうな二人を見て、何で蚊帳の外にいる私が一人で勝手に思い悩んでいるのかなと思う。あの様子なら別に、私の尽力など不要ではないか。
 杞憂だったんだな、と思うことで何となく胸がすっと軽くなった。
「あ、おかえりー。だいじょぶそ?」
「うん。恥ずかしい話だけど、苦しいだけだから」
「昔から少食だよなー志弦。ケーキ一つでそんななるか?」
「女の子はそんなに食べないのー。まさやんデリカシーないんだからぁ」
「……」
 会話の役割分担が完璧なこの構造に、一種の居心地のよさを感じる。ごく自然に往来する無遠慮と突っ込みの応酬が馴染んでいた。
「ねぇ鞠乃。どこか遊びにいきたいところとかない?」
「えぅっ? 次行くとこかぁ。全然考えてなかったや」
「あぁ違う。今日ここ学校下じゃなくて。水族館とか映画館とか、そういうところ」
「うーん?」
 息ぴったりな二人を見ていたら、何も詰まることなくそんな言葉が出てきた。さっきまで一人で沈んだように考え込んでいたことが嘘みたいだった。
「どしたの? 急に」
「夏休み、私がバイトでなかなか遊びに行けなかったじゃない。たまの休みも家でぐったりしてたり、鞠乃も家事で手空かなかったり。だからちょっと遅いけれど、土日辺りに、って思って」
 バイト先は飲食店なのだが、夏の行楽シーズンになると外食しにくる家族やカップルが増加し、夏休みで浮かれた学生も客層に入り込んだりしてほぼ毎日駆り出されていたため、遊びにいくことは愚か家で休まることもほとんどできなかった。
「ね。学校始まっちゃったけど、勉強の息抜きもしたいでしょ?」
「あたしは別に大丈夫だけど……」
「そんな事言わないで、行ってきたらいいじゃない」
「あ、あのぉ」
 言い出しづらいことでもあるのか、語尾を弱めて口を淀ませる。何を懸念しているのだろう。
「アレ、えっとさぁ、お金、とか」
「あぁ」
 そんな事まるで心配する必要はない。
「高校生でも、働けばそれなりに稼げるものなのよ」
「そ、それでも」
「気にすることじゃないよ。元々仕送りで生活費はまかなえるし、その上で不自由ないようにってことでバイトしてたんだから」
 不自由ないようにというのは生活に支障をきたさぬよう、ではなく遊びたいときに節制などの気兼ねなく思い通りにお金が使えるよう、という意味である。
 つまり抑制によるストレスをためず精神的に余裕を持ちたいがため稼いでいたようなもので、ここで遠慮されたら何のためにバイトをやっていたか分からない。
 加え、夏休み中寝るかバイトするかという状態にあった私が、分担して行うべき家事をおろそかにした面もあり、その穴埋めが全部鞠乃に回ってしまっていた事実もある。
「その謝罪も含めて、ね」
 基本的には奔放で楽しいことが大好きな鞠乃ではあるが、利己的なところがなく、空気を読むというか自分の立場を弁えるというか、見た目によらず年齢相応に大人らしい思考ができる子である。本人は学校下が好きなのに、家事の優先や、私の体調を慮って外遊を控えたりなど、周囲をよく見て自己を抑え行動するところがあった。
 それを踏まえると、働いてお金を得るのは私なのでそのお金を使うのに躊躇いを感じるのだろう。私には鞠乃と共に暮らす上で個人の財布という発想は持っていないのだが、そう言っても鞠乃は理解をしてくれない。
 そのため、鞠乃を説得するにはそれなりの因果を伴う理屈が必要なのだ。どこにも連れていけず申し訳なかったこと、それだけでなく家事の負担を一方的に増やしてしまったこと、これら二点の恩返しとして受け取って欲しいという旨を伝えれば、
「……う、うん」
 とても利口だった。
 あとはその隣で自分も関係あることに何一つ気付く様子なくエスプレッソと格闘している正也を巻き込むだけである。
「正也もどう?」
「え、あ、俺?」
「えぇ。きっと部活の練習とかで休みなんてなかったでしょ」
「言われればそうだな」
 そうでなくとも一緒に行ってもらわなければ困ることを多分この男は全く理解していない。どうして私がこの話を持ちかけたのかいい加減把握しそうなものなのだが、こうも鈍いと素直に頷いてくれなそうで些か面倒を感じる。
「ホラ、この先も少し練習できない日が続くのよね? だったら折角の機会だし、息抜きで時間を潰すのも悪くないんじゃないかしら」
「おぉ、まさやんも誘うの?」
「そう。一緒に登下校はしたことあるけど、一緒に遊ぶってことあまりなかったじゃない」
「そだねー。小学校以来かもぉ」
「たまにはこういうのもいいんじゃない? ね、正也」
「あ、あぁ。そうだな」
 やっと飲み込んだようだ。よくもまぁここまで朗々とこじつけができたものだと自分で感心してしまう。
「ねぇね、志弦ちゃんはどこ行きたいっ?」
 楽しいことが実行されるとなると、遠慮がちだった態度から一変してそのことばかり考える鞠乃の切り替えの早さに、
「んー……そう、ね」
 私はまだそこまで思考がついていってなかった。
 一緒に行くべきか行かざるべきか。未だに決めかねていた。
「私の要望はどうでもいいから、二人で決めなよ」
 答えることもできずとりあえずの先送り。
「俺はぶっちゃけ学校下でもいーんだがー……」
「あたし! あたし遊園地行きたい!」
「あら。ふふ、そう言うと思った」
 学校下で遊覧欲求が満たされる正也はこの際無視するとして、ファンシー趣味全開な鞠乃お気に入りの遊園地は、息抜きと称して遊びに出かけるこの計画には適合している。高校に入ってから縁遠くなった遊園地が近辺に一つあるのだが、昔から鞠乃はあの場所が好きだった。
「遊園地ってあそこか? 海沿いにある」
「そこそこ。正也行ったことない?」
「あるにはあるけど……ずっと昔の話だぞ」
「あたしも中学校卒業してから行ってない気がするー! 話してたら急に行きたくなっちゃったや」
「おあつらえ向きね。久々にああいう場所で遊ぶのも面白そう」
 コレで行き先はほぼ確定しただろう。同時に私の身の振り方もだ。
「土日ってことはつまりつまり、一日中遊べるかもってことだよね?! 遊園地以外にも他にどっかいけるんじゃないかな!」
「あら、まだ行きたいところがあるの?」
「違うよぉ、志弦ちゃんが行きたいところ本当にないのかなって思ったのっ」
「あぁ、えっとね鞠乃……私は行けないと思うな」
「え……」
 正確には行かない、という表現なのだろうけれど。
「ど、どーしてぇ……?」
「土日祝日はバイト先が混むのよ。夏休みが終わったとは言え、休日が忙しいのに変わりはないから」
 最もらしい理屈を言い並べて納得させようと試みる。実際のところ土日が混むのは本当だが、店も鬼ではない。稼ぎどきと言えど希望を出せば休ませてくれる。
 博物館や美術館などと下手に背伸びされた場所に行くと決まったら、いくらこの仲良し二人組でも会話に困る可能性があるだろうから、その時は休んででもついていこうとは思っていたが、遊園地ならただでさえ楽しい場所だし鞠乃お気に入りとあって一人でも楽しめるぐらいだから、ハイテンションな鞠乃が正也を巻き込んでひたすら遊び尽くす姿を想像できた。そこに私の助力は必要ないだろう。
「だから多分休めないと思うわ。ついていけないのは残念だけど、二人で楽しんできなさいな」
「ヤだっ!」
「うぉっ!」
 私の不参加表明を聞いた瞬間、鞠乃が急に甲高く拒否の声を上げた。驚いた正也がシュークリームのカスタードをこぼしてる。
 そして私も、ここまで強く声を張られたことにビックリしていた。
「べ、別に私のことは考えなくてもいいのよ? 気兼ねしないで、遊んでおいでよ」
「嫌だって言ってるのっ! 何で、何で志弦ちゃんだけお留守番なのさ!」
「お留守番って言うか、まぁその、仕事だし」
「じゃああたしも行かない!」
 ぐ、と言葉に詰まった。そう言われてしまっては無理矢理押し通しても望む結果にならない。
 また理詰めで説得しようかと考えたとき、
「志弦ちゃんだって夏休み全然遊べなかったの同じでしょ? バイトバイトでずっと忙しくて、家でもぐったりして寝ても疲れ取れてなさそうだったし、あたしなんかよりずっとずっと余裕なかったじゃん!」
「そ、それで家事手伝えなかったのは謝るわ。だから」
「そうじゃないってっ!」
 大きくかぶりを振って私の言葉を否定する鞠乃。その仕草一つ一つが子供っぽいのに、
「元気がない志弦ちゃん見て、大変そうだなって思うことしかできなくて、励ましたりマッサージして楽にさせてあげることぐらいしかできなくてずっと申し訳なく思ってたんだからっ! 志弦ちゃんの苦労考えたら、あたし一人で家事全部やることなんて屁でもなかったよ! お礼したり謝らなくちゃいけないの本当はあたしの方なのに、志弦ちゃんが働いているときに遊んでなんて絶対いられないもん!」
 言うことはやはり相応に考えてくれていたようだった。
「……参ったわね」
 説得しようとしていた側が、説得されてしまうとは。
 私を置いて二人だけ、という組み合わせで遊びにいくことに憚りを感じるところまでは予測できたが、まさかココまで嫌がられるとは思わなかった。遠慮してくるようだったら口車に乗せて勧めてあげるだけで済んだところ、逆に説き伏せられてしまっては返す言葉が出てこない。
 自分では苦とも何とも感じていなかったのだが、夏休み中の私は鞠乃からはとても辛そうに映ったのだろう。流石にこちらが遠慮しすぎたかと、話の運び下手を実感する。
「息抜きが一番必要なのは志弦ちゃんの方だよ! その志弦ちゃんが行かないって言うならあたしも絶対行かない!」
「分かった。分かったわ鞠乃」
「まさやんが一緒でも、志弦ちゃん置いてなんて絶対ヤだっ!」
「分かったからちょっと、落ち着いて鞠乃、ね」
「……んぅ」
 あまり店の中で大声を出されるのも困りものである。
 ココまで言われてしまっては私が引くわけには行かない。ここで引いて話そのものがなかったことに、なんて結果に終わらせるわけにはいかなかった。
「……ありがとね。店長に休みもらえないかどうか、掛けあってみるから」
「ホント?」
「本当よ。事情話せば少しの同情くらいしてもらえると思う」
「やっぱり休み取れなくて駄目でした、二人でだけでも行ってきなさい、とかナシだよ?」
「しないしない」
 心配性というか、疑り深いというか。こういうところで鞠乃は確証を求める。
 その心配を煽らないよう、もしかしたら本当に休みが取れない可能性があることは伏せておく。まぁ恐らく、長期休暇中一度も休日希望を申し出なかったことを考慮してもらえば、温情措置は下してくれるだろう。この件にはそれほど恐れることはない。
「楽しみね、遊園地」
「うん! ひっさしぶりだよねー。何か新しいアトラクション増えてないかな」
「あー俺もちょっとそれ気になるわ。周りの人間がさ、色々新しくなったって言ってくるもんだから」
「ホントっ?! あーでも、昔のやつも残っててほしいなぁ。懐かしさに浸るのも大事だよねっ」
 すっかり童心に返った鞠乃を見て、コレはコレでいいか、と思う私がいた。正也にフォローを約束した手前もあるし、少なくとも悪い結果ではない。
 ただ、遊園地でも鞠乃と正也の仲睦まじげな光景を眺める羽目になることを思うと、先の事とは言え気が重くなるのもまた一つの事実であって。
 とりあえず目下の悩みの種は、バイト先の店長にどんな理由をつけて休みを希望するか、であった。

       

表紙
Tweet

Neetsha