Neetel Inside 文芸新都
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         *

 アウラに後処理を任せ、気が向いたら来ても良いと告げ、俺はその足でバーに向かう。
「あらま。ここで会うとは珍しいじゃない」
 エリだ。このキャンプにいる六人の医師の中の一人で、三人いる女医の中では一番若い。といっても、年の頃は三十前後だろう。小柄で童顔だから若く見えはするが。
「もしよかったら一緒に飲まない?」
 手招きして俺を誘っている。
「光栄なことで」
 勿論、乗る。今日はこいつと話をするためにここに来たのだ。
 四人掛けのテーブルの、エリの隣の椅子を選んで座る。
「サカってんの?」
 不快ではないが意外そうな声でエリ。
「礼儀としてだけどな」
 向かいの椅子に座りなおす。
「じゃ、礼儀として『残念だわ』と言っておくわ」
 ウェイターにチーズのベーコンロールとビールを注文し、届くのを待って、
「かんぱーい」
 エリは何故か盛り上がっていて、わざわざ俺の国の言葉で言う。
「さっそくで悪いんだけどさ、エリに訊きたいことがあって来たんだが、いいかな」
 グラスを傾けつつ
「そうじゃないかと思ってたのよね、でもね」
 意外そうでもなく言う。
「身長とスリーサイズと年齢は、ひ・み・」
「はいはい」
 立てた人差し指を口の前で左右に往復させるエリの言葉を遮る。
「ぶー。で、何かしら」
 俺のベーコンロールを一個持っていく。
「エリって、割と物知りだよな」
「そうでもないわ。知識なんて正しい判断の確率を上げるただの道具よ」
 めんどくさそうに言う。
「責任があるから間違えることができない、どんな状況でもね」
 ベーコンロールを口に押し込んで。
「それだけのことなのよ」
 懐かしい言い回しだが、エリにとってはうんざりするやり取りなのかもしれない。少なくとも一年前までは週に数回、この会話を繰り返していたのだから。
「充分だ」
 俺はビールで口を湿らせて一息入れて。
「世界って、なんなんだろうな」
 グラスを口につけたまま、エリの動きが止まる。そして
「……入院治療する?今なら私の特別看護がオプションでつくけど」
 真面目な声で問われてしまった。
「特別看護のみを別の機会にお願いする。が、真面目な質問だ」
 ベーコンとチーズを分離しながら。
「今日、警邏担当地域の子供にそう訊かれたんだ」
「そう」
「俺はそれに答えることができなかった」
「うん」
「エリならなんらかの答をもってそうな気がしてな」
 俺は煙草を咥える。火は点けずに唇で弄ぶ。
「世界に比べて自分の手は短い。そう言われた」
「そりゃ、どんな人もそんなものよ」
 エリは氷のみになったグラスをカラカラと回す。
 ウェイターがやってきて、エリはカルアミルクを注文する。
「世界は広がるのよ、しかも光速で」
「はあ? もう酔ってんのか?」
「広がるのよ。子供には子供なりの、大人には大人なりの腕の長さがあってさ」
 火を点けずにいた煙草を灰皿に置き、チーズを口に運ぶ。
「そして、科学には科学の腕の長さがあって、宇宙は光速で広がっている」
「ふむ」
 チーズをビールで流し込み、ベーコンを丸め、口に入れる。
「科学はやっと無人探査機が太陽系を出て、大地を踏むのは月が精一杯」
 エリは軽く会釈してカルアミルクを受け取る。
「学べば学ぶほど腕は長くなるわ。でもね、それ以上に世界が広いことを知らされるの」
 グラスを自分の顔の前に掲げ、ウィンクして。
「そして、こうやってもっともらしく誤魔化すのが私の腕の長さの精一杯ってところ」
 そう言っておどけて笑ってみせる。
「掴める世界ってのは必ず、見えている世界よりは狭いのよ」
 そして、ちょっと寂しそうに目を伏せる。医者になるという目標を現実にしたエリでも取りこぼした夢があったのかもしれない。そこまで深くエリの事情に踏み入ったこともなかったな。
「あくまでも私の経験上の話、だけどね」
 一転して明るい声を装う。
「ところで、私の方もちょっと興味があることがあるんだけど、ね」
 ちょっと驚いた。
「私とあなたの仲ってことで少々の不躾は許してほしいのだけれど、いいかしら」
 この言い方は、おそらくアウラに関することだ。
 公にも私にも極めて近い人型兵器を話題に出す時、人は後から刺されることを恐れる。それほど『恥』に近い道具なのだ。あれは。
 俺はカウンターの方に上半身を向け、手で合図を送ると、気付いたウェイトレスが笑顔でやってくる。
「フィッシュアンドチップスと、フランクフルトと、ピッツァマルゲリータ。そして、黒ビールを」
 はい、と小さく答え、ウェイトレスは空いた皿を持って去る。
「あら、優しいのね」
 つまらなそうにエリは言う。
「聞いてみなきゃわからんからな。エリにわからんことが俺にわかるかどうか自信ないぞ」
「そこは気にすることではないわ。ただの世間話の延長のようなものなのよ、本当に」
 黒ビールとフランクフルトがテーブルの上に置かれる。
「それならそれで、エリもつまみながら気楽に話せばいいよ」
 ウェイトレスに空いたジョッキを手渡し、黒ビールを手元に寄せる。
「ありがとう。あなたのところの、あの子。アウラちゃんだっけ?のことなのだけれど」
「うん」
 エリがフランクフルトを咥える。なんかエロい。わざとだろ、こいつ。
「あくまでも一般的な話なのだけれども、データ記録って、任務前にするのが多いのよ」
「そうなのか」
 ウェイターがテーブルの上に置いたフィッシュアンドチップスをエリが横目で睨む。そうして、それを俺の目の前に移動させながら、
「そうなの。でも、アウラちゃんは、任務報告直後にしているのよね」
 エリがフランクフルトの皿を抱え込んでしまったので、フィッシュアンドチップスを食う。
「何か支障が出るのかな」
 指先を紙のおしぼりに擦り付ける。どうせまたすぐに油がつくんだけど。
「さっき言ったとおり、ただの世間話の延長よ。一日一回という規定を外さなければ何も言われないとは思うけど」
「だよね。ところでこれ、食わんの?」
 フィッシュアンドチップスを示す。
「ザベスと呼ばれるより嫌」
 そりゃ本気で嫌なんだな。眉間に皺を寄せる。
「理由聞いてもいい?」
「子供の頃食べてたのより美味しいのが悔しいからよ」
 なるほど。納得しながら黒ビールを一口。
 相変わらず妙なところを気にする人だな。兵士の人数分存在する人型兵器がバーゲンに並ぶ目敏い者が如くデータ記録のために列を成してもしょうがないだろうに。
 しょうがないと思うとはいえ、それで仕事に支障が出ても面倒だしな。
「念のために訊くけど、いつくらいの時期から?」
「気付いたのは、この前の雨の日のちょっと前あたりかしら」
 思ったより最近の話だな。
「うーん……」
 ウェイターがピッツァマリゲリータを持ってくる。エリはそれを受け取り、次のカルアミルクを注文する。
「さっきの話の子供なんだけどさ、犬を拾ったみたいでね」
 これくらいしか思いあたることがない。
「そういえばワクチンの申請があったわね」
 なるほど、という表情で数回細かく頷く。
「初の対処でデータが不足してたようだから『戻り次第データ記録』を指示したことが数回あったな」
 黒ビールを口に含む。ゆっくりと口の中を湿らせ、嚥下。
「ふうん」
 エリはグラスの底、一口分のカルアミルクを飲み、グラスをテーブルに置く。
「それくらいしか思い当たることはないかな」
「そう、ありがとう。変なこと聞いてごめんなさい」
 表情からは、その理由に納得したのかどうかは窺えない。だが、それ以上深く追及してくるつもりも無いようだ。
「変なことついでに俺も質問していいかな」
「何かしら」
 フランクフルトを一本だけ皿に残したまま、ピッツァの六片の中のひとつに齧り付きながら応える。
「エリたち医者も記録兵器連れ歩いてるよな。なんで?」
 エリが一本のフランクフルトが乗った皿を、俺の方に寄せる。俺が注文したんだけどな。
「私たちも階級で動いてるし軍属扱いだからね」
 その一本を咥え、皿をテーブルの端に寄せる。そんな行動の間に食い終わる。
「前線では敵であっても治療するからね、その時に手を抜いてないかーとか、治療放棄してないかーとか、虐待行為してないかーとか。色々煩いのよ、こっちも」
 なるほど、聞いてるだけで煩わしい。
 ジョッキを引っ掛けないよう気をつけながら、エリの前の皿からピッツァの一片を取る。
「エリがF型を選択したのは驚いたな」
 エリが纏う空気が変わった。
「何か誤解しているようだけど──」
 一瞬だけ。
「私の監視兵器は、LDF──ラブドールタイプではないのよ」
 俺はといえば、ピッツァに齧りついていた。大量にかいた冷や汗を誤魔化すために。
「あれは、MNF──医療用。メディカル・ナース・フィメールというタイプ。それに」
 エリは一旦言葉を区切り、小さく手招きをする。
 素直にテーブルの上に身を乗り出す。平手打ちされるくらいの覚悟は決めた。
 エリも俺の顔をめがけて身を乗り出してくる。唇が触れるかと思った瞬間、エリは顔の軌道を変え、
「何度も肌を重ねたあなたにそう思われるのは、ちょっと寂しいかな」
 耳元、小声でエリはそう囁く。そして、
「……忘れられた女みたいで」
 そう言って姿勢を戻した。
 胸の高さに両手でグラスをもって、エリは悪戯っ子のように微笑んでいる。
 忘れてはいない。忘れている筈は、ないのだが。
「相変わらず怖い女だな」
 俺は姿勢を戻す。意味もなく指先を紙のおしぼりで拭う。
「安心して。紳士の国は淑女の国でもあるわ」
 だから怖いんだよ、とは言わない方が賢明だろうな。
「本当は、礼儀としてではなくて、心の底から残念に思っているのよ」
 目を伏せ、彼女の故郷の言葉でぽつりと呟く。
 俺は聞こえなかったことにする事にした。

       

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