Neetel Inside 文芸新都
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「先輩、お暇でしたらデートしませんか」
 ホームルームの終わりが告げられた後、机を下げて鞄を右手に取り、教室を出た有に、春子は元気よく話しかけた。
「デ、ート?」
「はい、デート。ラジカセを買いに行くんです。ナカコーは日直の仕事があるから遅れるし、圭一は面倒くさがり屋だから雨の日は多分遊びません。だから二人だけで行きませんか?」
 春子はにこやかだったが、その裏にどこか気を使っている部分が感じ取れた。昼休みの騒動の影響だろうか、それとも考え過ぎだろうか。なにはともあれ、笑顔の春子の申し出は断りようがないし、事実有は暇だったので二つ返事で誘いを受けた。
「よーし、じゃあ行きましょうか」
 そう言うと、春子は有の手を掴んで引っ張りながら歩いた。

 神村高校前からバスに乗って、有の家とは反対の方面に向かって五つ目のバス停で二人は降りた。「章家商店街前」という名前が示す通り、すぐ近くの十字路がアーケードになっていて商店が建ち並ぶ。その中を歩きながら、春子は有に尋ねた。
「そう言えば先輩、朝歩いてましたよね。バス乗らないんですか」
「うん。ずっと歩いて通学してるけど」
 春子の質問に有はそう答えた。春子は少し考えて、こう続けた。
「やっぱり、四季の移ろいを楽しむとか、そういう感じなんですか」
「別に、そんな高尚なこと考えてないよ。ただ、その……。なんていうかな、他の人が話してるのとか、聞こえにくいでしょう。そこが安心」
 小柄な春子が、女子としては長身の部類に入る有を見上げる。その真っ直ぐすぎる目に一瞬自分の視線が合ってしまい、有は慌てて目を逸らす。少し頬が赤くなる。
「先輩もそう思うんですか。私も人の話が聞こえていやだなって思うことがあるんですけど、歩くのが面倒くさくて」
 少し間を置いて、春子は目を細めた。
「でも、先輩と一緒なら、歩いてもいいな」
 少し甘えた懐っこい調子で春子は言った。媚びや計算のない、ナチュラルな子供っぽさがそこにあって、有はドキッとさせられた。
「明日から、朝先輩の家に迎えに行っていいですか」
「えっと、私はいいけど……。春子、大変じゃない?」
 春子はかぶりを振った。
「ぜーんぜん平気ですよ。むしろ、歩かない方が写真部として微妙かも」
 二人は「安江無線」という電器屋の前で立ち止まった。ショーウィンドウにはいかにも高級そうなスピーカーが居座って、商店街の庶民的な安っぽさには不似合いな威風を見せていた。
「ほんとはこういうのも欲しいけど、今はいらない」
 そう呟いて春子が店に入り、有もその後について行った。
 「安江無線」には電子レンジやミシン、アイロン等の家電製品風のものはあまりなかった。ビデオテープやCD、MD、蛍光灯や電球、そしてAV器具がメインのようだ。名前のわりには、無線機も置いていないようだった。
 春子がラジカセを見比べている間、有は所狭しと並べられた商品をあてもなく眺めた。やがてカウンターに目が行ったが、カウンターに座っている店主らしき老人は客に構う素振りも見せずに新聞を広げていて、特に興味深いものではない。独り言を言いながら真剣にラジカセを選ぶ春子を見やるのとほぼ同時に、春子は全体的に青系の寒色を使った箱を手に取って、カウンターに持っていった。
「これ下さい」
「一万二千円」
 老人は新聞から顔を上げずに、「宣告した」と形容出来る風に無愛想に返事した。ゆったりした動きで春子は代金を財布から取り出し、品物を受け取って二人は外に出た。
「これで終わりじゃないんですよ」
 春子は再び有の手を取って、二軒隣のラーメン屋の前に立ち、ガタガタと音を立てて鈍く開く自動ドアの間を抜けた。
「いらっしゃーい、って春ちゃんじゃないか」
 厨房に立っている頑固そうな男性がそう発するや否や、食欲をそそる匂いと湯気、古くて調子外れのラジオの割れた音声が有の五感を刺激する。客はいなかった。 
「おじさん久しぶりー」
 春子が男性に手を振る。察するに、春子はちょっとした常連客であるらしかった。
「その子は誰だい? えらいべっぴんさんだねぇ」
「友達です」
「は、初めまして」
 気後れを感じながら有は会釈をした。男性は豪快に笑った。
「で、なんの用だい? まさか立ち話をするためだけに来た訳じゃねぇだろ」
「ラジオを下さい。これ、代わりと言ってはなんですが」
 そう言って、春子はさっき買ったラジカセの入ったビニール袋を差し出す。男性はそれを受け取り、箱を取り出して説明書きを三度読み返した。時々、ほう、と頷いていた。
「そうだな、じゃあ勝手に持ってけドロボー」
「やったー」
 春子は小さくガッツポーズを作り、カウンターのピンク電話に背を向けていたえらく旧式なラジカセのプラグを引っこ抜いた。唐突に放送が途切れる。コードを巻き終わると春子はそれをビニール袋にしまった。
「失礼しましたー」
「あーい」
 男性に挨拶をしながら二人は店を後にした。店内の熱気が体から抜けて少し涼しい。
「前からこれが欲しかったんですよ、これ。音が悪いし、古くさいし、なんか懐かしい。あの駅の隅っこに置いたらいい感じですよ、きっと」
 不思議なことを言う子だな。
 そう思って有が顔を向けると、春子は満面の笑みを浮かべていた。
 バス停までの短い距離を歩く間、真っ赤な傘の似合う少女を、有は気付かれないように観察した。


       

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