Neetel Inside 文芸新都
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「渕谷部先輩、今日いつもより元気ないですよ? どうしたんですか」
 体育祭の資料に目を通している渕谷部に珠希が尋ねる。顔を上げると、向かい側に椅子を置いて座っている珠希と目が合う。テーブルの木の色よりわずかに暗いだけの、彼女の褐色の瞳に映っている自分の姿が儚く見える。
「別に大したことじゃないよ。しかし、ちゃんと人の不幸に気を配るなんて、さすがに私の一番弟子だけのことはあるね」
 冗談めかして陽気に答えこそしたが、実際には渕谷部は傷ついていた。
 六限目が終わってからホームルームが始まるまでの間の空き時間に、渕谷部は告白するつもりで功二に話しかけてみた。できる限り心象よく、親し気に声をかけたつもりだったが、何故だか功二は苛ついていた。しかも、昔よく一緒に遊んだこともあまり記憶に残っていないらしかったことは渕谷部を落ち込ませた。結局、思いを打ち明けられずにホームルームを迎え、クラス委員の仕事に身が入らない状態になってしまった。
「先輩のおかげで中学からずっと気を配るのが仕事ですから。でも、先輩の優しさには全然敵いませんよ」
 この子、私が優しい善人だって信じてるんだ。
 笑顔が地の珠希がにこやかに返すのを見て、以前から感じていた珠希へのやんわりとした、しかしそれでいて確実に心の片隅に巣食っている嫌悪感を感じる。だが、それは同時に虚像の渕谷部に憧れて努力をしている珠希を騙し続ける自分にも向けられている。
 エアコンの弱い風に乗って、珠希の髪の先が少し揺れるのを見る。珠希は髪型を変えないから、昔も今と似たような揺れ方をしていたのだろう。顔つきもあまり変化はなく、幼い感じがする。だが、珠希は間違いなく以前の珠希とは違う。明るく振る舞う珠希の所作はわずかになめらかさに欠け、ぎこちない。好きだった以前の珠希とは、違う。

 渕谷部が珠希と知り合ったのは、小学生だった頃の通学班がきっかけだった。五年生の春に珠希の家族が団地を出て近所の借家に引っ越してきたのだ。無邪気で子供っぽい性格でありながら下級生の面倒見がよい一つ年下の少女は、常にクラス委員を務めてきた渕谷部の作業意欲を刺激した。珠希が中学に上がるなり、渕谷部は生徒会役員に立候補しかけていた彼女に、生徒会よりクラス委員の方がクラスに密着した仕事ができ、友達のニーズに応えられる、とクラス委員に引き込み、イロハを叩き込んだ。みんなの幸せを第一に考える。渕谷部のモットーを立派に受け継いだ珠希はたまにクラスメートに煙たがられる程熱心に働いた。


       

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