Neetel Inside 文芸新都
表紙

LittleBAR
06.ハイボール、1つ

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 2日前に作ったカレー(味がしみてておいしい)。
 閉店間際に買った、お惣菜のポテトサラダ(50円引き)。
 賞味期限ギリギリの低カロリーヨーグルト(結局朝ごはん代わりにはならなかった)。

 これが、キョウコさんの本日の晩ごはん。


 ひな壇芸人が騒いでいるだけの、さしておもしろくないバラエティー番組(と言いつつも毎週観ている)。
 
 これが、キョウコさんの本日の晩ごはんのお供。


 そして……


 近くのコンビニで買ったジョニーウォーカー赤ラベル(ポケットサイズのミニボトル)
 同じコンビニで買った炭酸水(ペットボトルに入ってるヤツ)

 これが、キョウコさんの晩酌セットである。


(ちなみにキョウコさんの格好は、スーツを脱いでシャツはそのまま、下はジャージを履いています)


「ふふふふふ~」

 独り身のマンションの一室で、キョウコさんは怪しげに笑います。
 事の発端はいたってシンプル。LittleBARにも通い慣れたことで、一度自分でハイボールを作ってみたい、そう考えたのです。

 とは言え、キョウコさんはお酒に関しての知識はまったくありません。
「ウィスキーと炭酸を混ぜればできるだろう」ぐらいの考えしか持っておらず、それは大げさに言うと、興味本位で株をするぐらいに危険なことでしょう。

 キョウコさんは意気揚々とウィスキーの栓を抜き、元カレさんから貰ったコーヒーカップ(あいかわらず未練がましい)に注ぎます。


 なみなみ


「あはは、いいところをワイプで抜くなぁ。ナイスリアクションっ」


 なみなみなみ


「うわ、入れすぎたっ」

 テレビに夢中になっている間に、ウィスキーはコーヒーカップの半分以上入ってしまっていました。
 明らかに危険な配分でしたが、キョウコさんは何も気にしません。そこに炭酸水をなみなみと注ぎ――


(できたっ。コウベハイボールならぬ、カミヤハイボール!)

 今さらですが“カミヤ”とはキョウコさんの苗字です。自分で作ったハイボールに名前をつける辺り、テンションの上がり具合が伝わってきます。

 スプーンを持ち、そのまま両手を合わせて「いただきます」。そしてすぐにスプーンを置いてカミヤハイボールとやらを一口。


 ぐびっ


「うひゃあ!」

 あまりの辛さ……アルコールの刺激に、すぐに口を離してしまいます。
 まあ、無理もありません。ウィスキーのほうが炭酸水よりも多く、ウィスキーの炭酸割りと言うよりは炭酸のウィスキー割り。そうそうまともに飲めるはずもありません。

 これは緊急事態だ! と言わんばかりに飛び上がり、食器棚からグラスを取り出しカミヤハイボールを半分に分けました。
 そして改めて、コーヒーカップに炭酸水を注ぎ、それを一口。

「うーん……」

 いくらか飲めるようにはなりましたが、おいしくありませんでした。
 夢の中で見た、コウベハイボール。お客さん役だったバーテンダーはとてもおいしそうに飲んでいました。
 他には、LittleBARで作ってもらったハイボール。比べたら逆に失礼に感じてしまうほど、美味なハイボール。

「ううーん……はははっ、今回はいい編集だなー」

 悩むのも一瞬、テレビに向かって笑うこと数瞬。キョウコさんはカレーをぱくぱくと食べ始めました。
 それっきり、カミヤハイボールについて考えることはありませんでした。

 技術的なことを言ってしまうと、カミヤハイボールの元になっているコウベハイボールは、ウィスキーはキンキンに冷やしています。分量だって決まっていますし、そもそもウィスキーはジョニーウォーカーではなくサントリー角の白ラベルです。

 感性的なことを言えば、コーヒーカップでハイボールというのは少々味気ないのかもしれませんね。それに場所が自分の部屋、非日常感を感じるバーと比べると生活感に溢れすぎています。


 そんなわけで、キョウコさんの初めてのハイボール作りは、成功とは言い難い結果で幕を降ろしました。


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「……あれ?」

 カミヤハイボールに失敗した次の日、キョウコさんは出先から直帰しているところでした。
 一軒のバーがありました。普段ならまず通らないルートですので、そのバーのことを今日初めて知りました。

(へー、近くにこんなところあったんだ。LittleBARとはまた違う雰囲気だなぁ)

 キョウコさんが思う通り、このバーはどこかオープンで、全体的に明るい感じがしていました。
 たしかに店頭の照明はややきつめでしたが、それだけの効果ではないでしょう。

(ふーん、へーえ……気になるなぁ、気になるなぁっ)

 店の前でうろうろ、ふらふら。こっそりと窓から店内の様子をうかがうと、カウンターに一人座っているだけで空いている様子。

 店頭のブラックボードに書かれている料金を見て、さして財布に厳しくないことも確認し、キョウコさんは抵抗なく扉を開きました。
 バーの経験はLittleBARしかありませんが、あそこに慣れれば大抵のバーは入りやすいことでしょうね。

 店内はLittleBARよりやや広めというだけで、そう大差はありませんでした。違う点を挙げるとすれば、ここには液晶のテレビがあって、wifiの利用が可能。そして――

(わぁ、女性のバーテンダーさんだ)

 キョウコさんと同じ年齢ぐらいの女性でしょうか。そんな女性がカウンターの向こうにいる光景に、キョウコさんは妙にくすぐったい気持ちになってしまいます。

(美人さんだなー……)
「いらっしゃいませ。お一人ですか?」
「は、はいっ」

 見とれていたことをあたふたと隠し、言われるがままにカウンターに座ります。
 出されたメニューは、LittleBARのそれとは違い、柔らかみのあるフォントにカクテル1つ1つに小さな写真が載っていて、とても親近感が湧き、わかりやすい。

 こういう配慮は、女性だからこそ気づくのだろうか……と、キョウコさんは思いましたが、きっと自分がバーテンダーをしていてもここまで気が回らないだろうと思ったので、これはここのバーテンダーさんの気配りだと思うことにしました。

 メニューを軽く眺めましたが、キョウコさんはすでにオーダーを決めていました。

「ハイボール、ください」

 先日のカミヤハイボールの出来がよほど悔しかったのでしょう。少しでもおいしいものを作りたい……という意識が働いたかどうかはわかりませんが。

「ご指定のウィスキーはありますか?」
「え、いえ……適当に」(あせあせ)

 胴の長いグラスに、これまた長い真四角のアイスブロックが入り、グルグルと回ります。グラスの周りに霜がついたところで、メジャーカップからウィスキー(緑色の、三角すいのボトル)が流れ落ち、そこにサブザブと炭酸水が注がれます。
 最後にキュっとレモンが絞られて、キョウコさんの前にやってきました。

 ハイボール1つで、LittleBARとはぜんぜん違う……と感心したところで、くぴりと口をつけます。

(……ん?)

 炭酸の口当たり、喉を通るウィスキーの風味。そしてわずかに残る、レモンの香り。
 初めて飲んだ味の、ハイボール。

 でも。

「お仕事の帰りですか?」
「あ、はい。今日はちょうど、このへんで仕事があったもので」
「そうですかぁ、お疲れ様です」

 女性同士というのもあって、キョウコさんとそのバーテンダーの会話は弾みました。

 脱サラして、バーをオープンさせたこと。
 普段はバイトを雇っているけれど、今日は1人だけということ。
 家でもできる、簡単でおいしいハイボールの作り方、などなど。

 ……そうそう、理想の男性についての話題もあったようですが、それは本編から脱線しかねないので割愛しておきますね。

 ハイボールを飲んで、サービスで出されたチョコレートを食べて、キョウコさんは店から出ました。

「…………」

 キョウコさんは、帰路から外れて歩き出しました。

 先ほど飲んだハイボール。決しておいしくなかったわけではありません。少なくとも、カミヤハイボールと比べると十数倍はおいしくはありました。

 口に合わなかった、というわけでもありません。

 なのに、それなのに。

「……何か、違う」

 決定的に何かが違う。キョウコさんはお酒に詳しいわけではありませんし、もちろんその何かがわかるはずもありません。
 ですが、LittleBARで飲んだハイボールとは決定的に違う、それだけはわかりました。

 歩きは次第に早くなり、ついには小走りになりました。
 暗い路地を通り、ようやく見えたLittleBARの明かりの中に飛び込みました。

「おや……いらっしゃいませ」

 グラスを磨いていたのでしょうか。ピカピカのグラスを掲げ、ライトに当てて見上げているバーテンダーがいました。

「おひさしぶりです、2週間ぶり……でしょうか? ラスティネイルのおもしろい作り方を調べましたので、ぜひ」
「ハイボール、ください」

 キョウコさんの気迫にバーテンダーは驚きつつも、さっそくハイボールの作り始めます。その様子を、キョウコさんはじっと、じぃっと観察します。
 グラスはやっぱり胴長。けれど、紙のように薄いグラスです。そして氷は、小さめのアイスブロックが入り、その上に丸い氷が置かれます。
 あとは同じでした。空の状態でグルグル回り、そこにウィスキーと炭酸水。LittleBARではレモンは絞られませんので、これで完成。

(ぱっと見は同じなんだけどなぁ)

 一口飲んで、その感想は変わります。

「あ、ああっ」

 自分が求めていたものは、まさにこれ。まるで自分の身体の一部のように溶け込んでいくようでした。

「お味はいかがでしょうか?」
「……これ、どうやって、作るんですか?」
「ウィスキーに炭酸水入れるだけですよ」

(ぜったいそれだけじゃないし!)

 しかしこの先は企業秘密かもしれない。そう思うと、キョウコさんもなかなか強く出れません。

「せめて、せめてヒントを……」

 ここまでされると、ちょっと惨めですね……

「ヒントですか……うーん……今日は、いつもよりちょっと暑かったですね」
「え?」

 言われてみると、今日はたしかに暑かった。でもそれが何? キョウコさんの疑問は膨らみます。

「それに、お客様は走って来られたのでしょうか? 息を切らして、それに汗をかいておられます」
「は、はあ」
「そこでハイボールの注文は、きっと喉を潤したいのだろう、そう思いまして本日のハイボールは炭酸がキツめ、ウィスキーはやや少なめで作らせていただきました」
「え?」

 膨らんだ疑問が一気にしぼむような想いでした。

「あとは、グラスですね。普段よりも薄いグラスにしました。口当たりと飲み心地のキレが増しますので、スッキリするにはうってつけなんですよ」
「もしかして……」

 客一人一人に見合ったレシピで作っている。そんなありえないようなことに、キョウコさんは質問の答えとして行き着きました。

「これがヒント、ですね。答えになってしまったかもしれませんが……」
「そうですね、答えですね……いえ、でも、ありがとうございました」

 今飲んでいるハイボールは、もしかしたら今日しか飲めないハイボールかもしれない。そう考えると、何だか感慨深く思いました。

「ところでお客様」
「はい?」
「新作のラスティネイル、召し上がりませんか?」

(あ、作りたいんだ)

 クスクスと、キョウコさんは笑ってしまいます。

「はい、じゃあ次に……でも今は、このハイボールを楽しませてください」

 すでに半分になったハイボールを見て、いつもとは違って『もう半分しかない』と思うキョウコさんでした。

       

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