Neetel Inside 文芸新都
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「ワッキ!ワッキ!!大丈夫!?ワッキ!!」

甲高い声で俺を呼ぶ声が聞こえる。薄ぼんやりとまぶたに力を入れると背の低い俳優に似た顔をした男が俺のあだ名を呼んでいた。

ああ、この男は軽音楽部の部長で俺と一緒に『ザ・テンポス』を演っている山崎あつしだ。「ワッキ!」目を完全に開いて体を起こすとステージで客席に話しかけている

平野洋一が目に入った。「えっと、あー、今日は皆さんお忙しいところ、ボク達のライブに来ていただいて...」

俺が倒れている間、ずっとMCで間を埋めていたのだろう。フロアはがやがやと騒がしい声をあげている。平野は俺を二度見すると、「今すぐステージに戻ってこい!」

という仕草を幕の裏で倒れている俺と俺の肩に手を回した山崎に見せた。「大丈夫、立てる?」「ああ、大丈夫だ」

体をゆっくりと起こすと肺に激痛が走る。今まで気付かなかったがアバラが何本か折れているのだろう。

肩に重石を載せたような重圧がかかり、起き上がると膝がガクガクと落ち着き無く震え始めた。取り戻した意識はぼんやりと霞み、額は熱を持っていた。さっきまでの夢の世界での自由さが嘘のようだ。

「そうだ、俺は夢を見てたんだ」山崎に肩を貸してもらいながら俺はステージに向かう。「とても楽しい、けど、寂しい夢だった」

俺は顔の前に手を当てて平野に謝ると床に×が貼られた自分のベースポジションについた。「残り時間3分です!」スタッフが俺の背に声をかけると平野が一瞬驚いた顔をみせたが客の方を向き直ってスタンドマイクに告げた。

「どうやら、ベースのワッキの準備が出来たそうです!大興奮のライブ中に昼寝をしてしまう問題児ベーシストに大きな拍手を!!」

平野が音頭をとると俺に向かって大きな拍手が鳴った。みんな俺が倒れた事はただ事じゃないと悟っているように心配そうな、気遣うような、そんな拍手だった。

スタンドにかけてあったスティングレイに手をかけようとした。が、俺はネックの位置を見失いその場に倒れてしまう。「ああ!」という観客から起こった悲鳴が俺の耳にも入る。

隣にいた平野が俺の肩に手をかけてこう呟いた。

「戻ってきてくれてありがとう」

意外な言葉に俺は平野の顔を見上げる。「本当は疑ってたんだ。ライブにこないんじゃないかって。途中で嫌になって投げ出しちゃうんじゃないかって」

平野の告白を聞いて俺はふっとそれを受け流す。「ライブ中だろ?感傷に浸るにはその後でいい」俺は平野の腕を払いのけ自力で立ち上がる。

「世界を変えるんだろ?鱒浦と同じステージに立つんだろ?こんな所で足踏みしてる場合かよ。一発デカいの、かましてやろうぜ!Tーれっくす!!」

俺の言葉を受けて一瞬だけ微笑むと平野は正面の客たちに向き直った。「Tーれっくすか。ボクにはもったいないくらいカッコいいネーミングだ」

俺がベースストラップを首から下げ、元の位置に3人が戻ると平野がマイクに向かって叫んだ。

「さぁ、いよいよクライマックスです!最後の曲、聴いてください!!『KILLER A』!!」

俺はその言葉を受けて今から演奏する曲のコード進行を思い起こした。平野がギターをカッティングし、セリフを呟く。

「ぼくの夢は安定した生活を手に入れること。奪い合いも殺し合いもない平等な世界。核兵器も原子力も必要ない。優しい気持ちがあればいい。けど、けどけどけどけど、」

「そんなモノは手に入らない!!!」

平野が思い切って飛び上がる。俺はその姿に合わせるように跳躍する。山崎がシンバルを叩く腕を振り上げる。全否定から始まる曲に誰もがたじろいだ。

この曲はバンドに入る前の俺の『安定思考』を皮肉った平野が書いた曲だ。不安定な世の中で若者はスリリングな冒険より穏やかな日常を求めるようになった。この曲はその思想に対するアンチテーゼとも言える。

着地でバランスを崩すがなんとか立ち直り俺はその曲にベースラインを付ける。平野がギターを掻きむしりながら告げるように歌詞を歌う。

「親の世代が作った未来の土台 でも目の前の景色はどうだい? 平和な世界は吹っ飛んで、隣の誰かを疑って過ごしてる。
学習しなさいと教師は言う 夢、持ちなさいと先輩が言う」

リズムが鳴り止みカッティングの音が響く。「クソみたいなんだよ。そんなモン」平野の暴言をディストーションが包み込む。

「anything about it!」サビのフレーズが響くと俺は観客の中に泉の姿を見つけた。今来たばかりなのだろう。呼吸が荒く、心配そうに俺を見上げている。

「絵に書いた餅の様!」韻を踏んだ平野のシャウトが俺の耳に絡みつく。はは。お前のセンス、俺はそんなに嫌いじゃないぜ。俺は視線を手元に戻し、意識を演奏に集中させた。

「未来を奪え!世界を嫌え!喜びを歌えよ 世界よ『KILLER A』」

一瞬の沈黙の後、ステージをレゲエマスターが放つノイズが包み込む。俺はその渦の中に色々な人物を見た。アイコ、父親、そして『テル』。

ヤツはステージの下で腕組みをして俺を見上げている。照明から遠い所に立つヤツの顔色は伺えないがきっと皮肉と憤りをたたえた目で俺を睨んでいるのだろう。

父は俺を心配そうに俺の顔を眺め、俺は「大丈夫だよ」と心の声で言い返す。アイコが何か口やかましく俺に言葉を発しているがその声はもう俺には届かない。

俺が生きる世界、進むべく道は現実の世界なんだ。もう部屋でひとり、ベースを弾いていた俺はいない。俺はその渦をかき消すように咆哮をあげた。

体が軋み、汗が体温で沸騰し、意識が明後日の方へ吹っ飛ぶ。最高の気分だ。体の骨が何本か折れている。でもそんな事はどうでもいい。

観客から歓声が鳴り、鋭角的で暴力的な音楽がすべてを包み込む。『KILLER A』、『KILLER A』。平野と山崎のコーラスが響く。鮮やかなる熱狂。俺はこの瞬間が続くようにベースラインを繋げた。


「和樹、大丈夫!?」

演奏が終わり、ステージから降りると泉が俺に声をかけてきた。「来てくれたんだ」ぼー、とした頭で言葉を返すと泉が早口で話しだした。

「お母さんが急に熱だしちゃって、店番抜けられなかったんだ。…頭、どうしたの?」

「ああ、」俺は頭に巻いてある包帯を撫でた。「ファッションだよ、ファッション。巷ではこういう奇抜な格好が流行っているらしい」

「和樹...」「くだらない事言うなよ」

『テル』が俺と泉の間に割って入った。「泉さん、久しぶり。小学生の時以来かな?」「え、ええ。どうも...」

泉が記憶を手繰る表情で『テル』に挨拶するとヤツは俺の顔を見上げた。「和樹」俺は覚悟を決めて奥歯を噛み締める。

「とりあえずお前を許そう」「は?なんだそれ!?」

思いもしなかった言葉に俺はテルに突っかかる。「許すと言ったんだ」頭からつま先まで、俺の姿を見下ろすとテルは話を続けた。

「お前の覚悟と生き様は充分に伝わったよ。正直、そんな体でこのライブをやり遂げるとは思いもしなかった。ただ、」

テルが俺の前に指を一本立てた。俺はその指に焦点を合わす。

「僕が許すのは期限付きだ。お前はこれから何度も死や暴力の誘惑に魅了されるだろう。その度に僕はお前の前に現れる。
お前がその時に僕が許せないような腑抜けた人間になっていたら僕はお前に制裁を加える。その日まで、せいぜい面白可笑しく生き延びてくれや」

言い終わるとテルは俺達に背を向けて入口に向かって歩いて行った。「勝ったんだ...!」俺は膝の力が抜けてその場に崩れ落ちた。

「和樹...」泉が心配そうにしゃがみ込みだ。俺は泉の肩を掴んで叫ぶ。

「勝った!勝ったんだよ!!ずっと、ずっと後悔してた!あの時親父を止められなかった事、テルに謝れなかった事、逃げ出してこの町に引越してきた事。
でも今日、俺は勝ったんだ!前に進めたんだよ!!俺の世界は変わったんだ!!」

俺は顔から涙をこぼしながら泉の体を揺さぶっていた。泉は最初驚いた顔をしていたが次第に俺の気持ちが伝わったのか優しい瞳を俺に向けた。

俺が言葉を吐き終えると泉は歌うような弾むリズムで俺にこう訊ねた。

「生きる理由は見つかった?」

息を整え、俺は泉にうなづく。2012年7月1日。この日、俺は自分の運命を変えた。止まってた時間が、再び動き出した。


       

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