Neetel Inside ニートノベル
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 思わず彼女に声をかけようとした時、玄関のチャイムが鳴る音が聞こえた。それまでうつむき加減であった彼女は顔を上げ、不思議そうな表情で僕を見る。
「この音はなんでしょう?」
 来客の知らせを告げる音ではあるが、それを説明する前に僕は腰を上げ玄関に向かうことにする。
「千代さんちょっと上行ってて」
 そう言いながらリビングから二階に繋がる階段に指を差し、彼女に背を向け玄関へと向かう。母も玄関へと着ていたが、来客が誰なのかをおおよそ理解していた僕は「ああ、大丈夫」とだけ言い母を台所へ戻す。
 玄関の扉を開けると、外の熱気が全身を覆った。その熱気の中、昨日千代さんが寝た後に、今日来てもらうように連絡を入れておいた、身長は僕より少し低い程度の女性が一人そこにたたずんでいる。夏の暑さに合った、上は白地のシャツに下は青のショートパンツという至極シンプルな格好で彼女は来たようだ。
「おお、来たか」
 僕がそう言うと「お邪魔します」と一言だけ言い、足早に玄関の中に足を踏み入れた。
「あー、涼しい」
 彼女は肩にかかる程度の長さの髪を少し掻き分けるようにしてそう言う。季節はちょうど夏まっさかり、外と室内とでは雲泥の差である。目の前にいる彼女も、外の暑さにはうんざりしているのか、気だるそうな表情をしている。
「まあ、上がってくれ。とりあえず部屋まで行こう」
 そう言い、彼女を家の中に招き入れる。なるべくならばさっさと部屋に招き入れたかったのだが、そうも行かない。
「こんにちはー、お邪魔しまーす」
 家に上がるや否や、彼女は家の中に居る人ならば誰でも気づくかのような声量で挨拶を始めたからである。そうなると当然母も台所から出てきて挨拶をし始めた。
「こんにちは、ちとせちゃん。お久しぶりねー」
 まだ洗い物の途中であったのか、エプロンのすそで手を拭きながら母は言う。
「お久しぶりです。今日もまた暑いですねー」
 この挨拶を皮切りに、長い長い雑談が始まるのは目に見えていた。初対面ならばすぐに終わったであろうが、この「ちとせ」という女性は僕が小学校に入る前からの付き合いであり、いわゆる幼馴染のポジションに当たる人だからである。
 当然、母とも何度も面識があり、中学校に上がった頃から、滅多に家に来ることはなくなった物の、それでも幼馴染というポジションに変わりはなかった。
「ちとせちゃんにはお姉ちゃんが居たのね」
 そう言われた彼女の方を見ると、頭の上にハテナマークでも付いていそうな程の呆気に取られた様子であった。
「お姉ちゃん……ですか?」
「おばさんもうびっくり。それにちょっとだけ……複雑かな」
 彼女は何を言われているのかまったく理解出来ていない様子であった。このままではいつまでたっても部屋に招き入れる事が出来ないと判断した僕は「そんなのいいから」と二人の間に割って入り、話を中断させる。
 困惑した表情の彼女の腕を少し引っ張り、多少乱暴に階段を上がり僕の部屋の前まで連れてくる。
 彼女の方を見ると、まだ呆気にとられた表情をしており、母が何を言っていたのか分かっていない様子であった。
 無理もない。僕の知る限りでは彼女に姉どころか妹さえもいないのだから。突然そんな事を言われても、当の本人は何がなんだか見当もつかないであろう。
「よく分からないんだけど、結局何の用で私を呼んだの?」
 昨晩、彼女に電話を入れた時、用件を伝えずに「とりあえず来てくれ」とだけ言い、来てもらった為、何も知らない状態である。
「まあ、とりあえず入ってくれ」
 そう言い部屋の戸を開けて彼女を部屋に招き入れる。わざわざ部屋の外で説明する物でもないと思い、実際に見てもらってから、その際に説明をする。というよりも彼女にしてもらうと言った方が正しいであろうか。
「ハヤトさん?」
 僕の部屋の中にすでに居た彼女は、戸を開けると同時に僕の名前を呼ぶ。
 彼女の方を見ると、部屋の戸から対角線上に置かれている僕の机のイスに座り、至極退屈そうにしていた。
 彼女は僕の方を見て気づいた様だ。僕以外にも人が居るという事に。
 僕とちとせが部屋に一歩踏み入れるや否や、千代さんからは「お姉さま!?」という言葉、ちとせからは「なんで!?」という疑問の言葉が同時に部屋に響いた。
 気づいたのは千代さんだけではなく、ちとせも同様であったようだ。
 千代さんの「お姉さま!?」という言葉は若干分からないが。ちとせの「なんで!?」という言葉はおおよそ見当が付く。
 何故ならば千代さんとちとせの外見が瓜二つだからである。雰囲気こそ違えど、二人が横並びになれば、それこそ双子と言われてもなんら違和感のない程である。
 昨日、わざわざ救急車を呼んだりせずに、我が家に千代さんを招き入れた理由の一つがこれだ。
 千代さんを一目見たとき、顔もおおよその体型もちとせに近く、一瞬彼女かとも思ったが、長年の付き合いがある故に、雰囲気が違うから、別の人だろうと思ったからである。第一、ちとせが「明治の女学生」の格好をしたところなど今の一度も見たことがない。
 ちとせに姉や妹がいない事は既に知っていたが、恐らく何かしらの関係のある人物ではないかと思い、千代さんを家に運び入れた次第である。
「なんで、という言葉を出すという事は、ちとせの知り合いという事でいいのかな?」
 僕がそう隣にいたちとせに聞くと、彼女は必死に首と手を横に振り始めた。
「いや……なんで私がいるのかとびっくりして」
 昔からの付き合いであるが故に、彼女の言っている事が嘘ではないという事が分かってしまうのが残念である。これが嘘であるならば大分楽ではあったのだが。
 気づいた時には、千代さんが僕とちとせの目の前まで来ていた。なにやらちとせの事を観察しているようである。
「うーん……?」と少し唸る様に言いながら、ちとせを上から下へと舐め回す様に見ている。ちとせとはまた違った意味で驚いている様だ。
「千代さん、お姉さまって何?」
 僕がそう聞くと一度僕に視線を戻した後「ええっと……ですね?」とだけ答えて、またちとせの観察に戻った。
 ちとせは今どういう表情をしているのかと思い彼女の顔を見てみると、非常に困惑した表情をしていた。彼女との付き合いはだいぶ長い方だと思うが、こういった表情をしているのは初めて見たと思う。まるで「ヘビに睨まれたカエル」かのごとく身動き一つしないで観察されているようだった。
「ひっ……」
 ちとせが声にならない声をあげる。
 何を思ったのか千代さんが突然ちとせに抱きつき始めた。ちとせの方は完全に思考が停止しているのか、両手を上げ、降参のポーズを取っている。
 千代さんの方はというと、抱きつきながら満面の笑みでちとせの匂いを嗅いでいた。ちとせの表情はこちらからでは見えないが……どういった様子なのかを見てみたい気もする。
「うーん、お姉さまそっくりです」
 千代さんはそう言いながらもちとせから離れようとしない。それどころか、すりすりと頬擦りをし始めた。
「はい、千代さんそこまでストップ、タイム、スケベ」
 これ以上はまずい事に、いや、今の時点でも相当まずい事になってはいそうであるが、この続きを若干見たい気もするが仲裁に入る。

       

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