Neetel Inside ニートノベル
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朝、いつものように訪れた一日の始まり。枕元に置いてあるデバイスから鳴り響くアラームにてコウは目を覚ました。
「……まだ五時。あと一時間はいける」
 寝起きの悪さのため普段から二時間は早く目覚めの時間を設定したそれは、最初こそ正しく機能したものの、途中から二度寝、または三度寝を試みるようになった彼の自堕落さによって、もはや無意味となっていた。
 デバイスを止めるまで鳴り響くアラームに終了の音声命令を下したコウは、再び心地よい眠りに誘われ、ゆっくりと暗闇へと意識を落とした。
 そうした結果、設定してある何度目かのアラームの末に彼が目を覚ましたときは、もはや出社に間に合うかギリギリの時間になっていた。
「やっちまった!」
 気づいたときには時すでに遅く、寝癖のついた自前の赤毛を治す暇もなく、急いで身支度を整えたコウは、朝食も取らずに家を飛び出した。
 住んでいるアパートを飛び出した彼は外に出てすぐ、隣の一軒家に住む妙齢の女性に挨拶を交わし、先を急いだ。眩いほどに輝く朝日は寝起きの彼には辛いものだった。
 現世でいうところの欧州地方の古き良き外観をした建造物が多く立ち並ぶこの中央都市セントラル。
 その中心に建てられ、一般的な人々が住む建造物とは違う巨大施設。これまた現世風にいうのならそびえ立つ巨大ビル郡を中心に、その周囲に幾つも存在する小さな建物たち。
 それこそがこの天獄を統治する『天命機関』の本部施設であり、それに属する各部署に宛てがわれた建物だった。
 そしてコウが今まさに出社に間に合うよう全力疾走している『天警』の建物があるのもまたそこであった。
 午前九時。出社の時間にギリギリ間に合ったコウはダラダラと額から汗を流しながら、自分の席へと座った。
「寝坊ですか、兄さん?」
 そんな彼の元に一人の少女が訪れた。彼を兄と呼ぶものの、その容姿はまるで似ていない。腰まで届くほどの長い黒髪に、見ていると吸い込まれてしまいそうな黒い瞳。背は低いもののプロポーションの取れた体型は自然と人目を引く。
「ここではコウ捜査官だろ? あ、一応上級つけろよ。身内とは言え職場だしな」
 優しく微笑みながら少女を注意するコウ。そんな彼の注意に少女は即座に対応する。
「失礼しました、コウ上級捜査官。見たところ上級捜査官ともあろうものが出社時刻ギリギリに到着した模様。身支度を整えるのに精一杯で朝食を取るのもまだだったのではないのでしょうか?
 そんなコウさんの前にちょうどタイミングよく私が用意した朝食があるのですが、いかがでしょうか?」
 そう言って、少女は後ろ手に隠し持っていたサンドイッチとコーヒーを差し出した。どちらも売店で売っている既製品であった。
「用意がいいなツバキ。さすが俺の妹分」
「解析官見習いを忘れていますよ、コウさん。これでも数ある試験を乗り越えて『天警』に配属されることになった解析班の一員なんですから! これくらい当然です。
 というより、兄さんの寝起きの悪さは施設時代に散々目にしてますから。それに、今日みたいな日はそう珍しいわけでもありませんし」
「そうだな。これで今月に入って五回目だ」
「今月始まってまだ十日ですけどね……」
 一応公私の区別をつけろとコウは口にしているが、彼らの周りに他に人がいないことを確認しているため、コウもツバキも普段通りの口調で話していた。
「とりあえず朝食ありがとう。俺はもう少ししたら特捜の元に行かないといけないし、お前も仕事があるだろ。そろそろ戻ったらどうだ?」
「もうですか? わざわざ朝食を準備して待っていた妹分に酷い仕打ちですね」
「その件は毎度のことながら感謝してるさ。礼はまた近いうちにな」
「はい。それじゃあいつものところで」
「了解。また暇なときにデバイスに空いてる日にちを送っておいてくれ」
「わかりました。それでは、また」
 そう言うと、ツバキはコウの元を去り自分の席へと戻っていった。
「さてと。時間もあまりないことだし、さっさと食べて特捜の元に行くとしよう」
 ツバキから受け取ったサンドイッチを口に運び、口にする。モグモグと何度も咀嚼し、味を噛み締めながら空いている片方の手でデバイスを起動する。
 拳一つ分の大きさの小さな機械。それの電源を入れると機械が作動し、コウの眼前に電子モニターが浮かび上がる。
「音声認識モード。メール起動」
 噛み締めていたサンドイッチを飲み込み機械に向かってそう呟くと、彼の声に反応したデバイスが動き出しモニターに映る映像が切り替わる。メインメニュー画面を映していたそれは、すぐさま彼のメールフォルダーになっていた。
 少し冷めたコーヒで口を潤しながらコウは電子モニターに映る画面をスライドする。待ち望んでいた者からのメールは届いていなかった。
 残ったサンドイッチを全て口の中に放り込むとコウは電子モニターに手を伸ばし、メール画面を閉じた。そして、代わりに毎朝の日課であるニュースアプリを起動し、幾つかのニュースに目を通した。
 そのうちの一つ、ある事件を取り上げた記事にコウは目を止めた。
 そこに書かれていたのは、ここ最近話題になっているとある宗教団体の教団員が起こした爆発事件だった。
 セントラルにおける十地区の一つである第五地区にある図書館を訪れた教団員は、そこに教祖に関する批判書籍が置かれていることに激怒。
 その後、デバイスを使った遠隔操作により前もって図書館に設置しておいた爆発物を起爆し、爆破事件を引き起こしたという。
 幸い犯人は『天警』によりすぐに捕らえられたが、爆発により施設は炎上。保存データは残されているものの、歴史的価値のある多くの貴重な書物を失うことになった。
(昨日は別件で動いていたとはいえ、こんなことがあったとはな……。とはいえ、この分じゃこっちに依頼が来るのも時間の問題か)
 これまでとは違い、今の彼を見るもの全てを怯えさせる冷たい眼差しを浮かべながら、コウは今後起こりうる事態について想定していた。
「おっと、そろそろ時間か」
 電子モニターに表示された時間を見たコウは一度デバイスの電源を落とし、この後に待つ特捜との会議に向かうためにその場を後にした。
 特捜のもとへと向かう途中、寝癖を直していないことに気がつき、彼は急いでトイレに入り、鏡を見ながら髪型を整えるのだった。



「失礼します。コウ上級捜査官であります。入室の許可をいただけますか?」
「待っていたわ。入りなさい」
 『天警』に与えられたビルの上階層の一室。エレベーターを降り、真っ直ぐその部屋に歩いて行ったコウは扉をノックし入室の許可を伺った。部屋の主からの許可を得た彼は毅然とした様子で室内に入室する。
「お呼びでしょうか、日高特捜」
 だだっ広い空間に違和感なく溶け込んで置かれている高級感溢れる机と椅子。それから来客用の用具一式を揃えた室内。この部屋にあるものは必要最低限備えられた事務用具一式とそれ以外は殆ど事件の資料で埋まっている。
 そんな部屋の最奥。タバコを吹かしながら資料を読みあさっている一人の女性がいた。
 年は外見で判断するならば二十代半ば。耳にかかるくらいの長さのショートカットの茶髪にお飾り程度に付けられたピアス。
 タバコを口にくわえ、煙を吸い込む様が妙に似合っていて、まるで彼女がそれを持っているのは当然と主張しているようにも思える。
 数々の修羅場をくぐり抜けてきた肉体は、前線を退いて指揮を主に取るようになってからも微塵も衰えることなく、服の上からでもわかるほど鍛え上げられていた。
「ん? ああ、すまん。少し資料を読むのに集中していた。そうだった、お前に用があったんだったな」
 『天警』における最高地位の一つである特務捜査官の一人である日高美玲は、ここでようやくこの部屋を訪れたコウへの用件を思い出した。
「昨日の件はよくやった。『断罪人』の仕事としてはまあ楽なものであっただろうが、捜査官の仕事と並行して行うのは少しキツかったろう?」
「いえ。それが、自分の仕事ですから。与えられた仕事を処理するのは当然の義務かと」
「相変わらず仕事の時は硬いな。今は私と二人なんだから楽にしていいんだぞ?」
「公私はきちんと分けるものだという考えでして……それに特捜もそれは同じでは?」
「まあ、確かに。だが、その割にはツバキだったか? あいつがここに入ってからはお前の雰囲気が少し柔らかくなったと部下たちの噂を聞くが?」
「いえ、それは……」
「なに、責めているわけじゃない。仕事だからといってあまり硬くなりすぎるのもどうかと私も常々思っていたからな。今ぐらいがちょうどいいと思ったところだよ」
「はぁ。それで、本題は?」
「む。もう少し雑談に付き合ってくれてもいいものの。まあ、いい。昨日起こった爆発事件についてはもう知っているか?」
 持っていた資料を机の上に放り投げ、日高はコウに問いかける。
「先ほどニュースの記事を見ました。また派手にやったものですね?」
「まあな。あそこは天獄の中でも一番の蔵書量を備えた図書館でな。貴重な書物も大量に保管されていたのだが、今回の事件でその一部が燃えたらしい。
 まったく、迷惑なことこの上ない」
 忌々しげに呟く日高にコウは内心で同情した。
「心中お察しします。どうせ、またクレームでも来たんでしょう?」
「ああ、そうだ。その通りだ。
 こっちは昼夜問わず起こる事件の数々の解決に奔走しているというのに、事件を解決しても礼のひとつもないとは礼儀知らずな奴らばかりだよ、まったく」
「仕方ありませんよ。私たちは人から恨まれるような仕事をしているのですから」
「お前は特にそうだろうな。身分が明らかになっていないとはいえ『断罪人』は人々から畏怖され、距離を置かれる。例え誰かを救っても、恐怖を抱かれ敵からは憎しみをぶつけられる」
 先程から日高との会話で何度か出てくる『断罪人』という言葉。これこそ、コウが現在『天警』という天獄における自治組織とは別に受け持っているもう一つの職業だ。
「そうですね。でもそれも当然です。『断罪人』なんてものはハッキリ言って汚れ仕事です。
 厚生の余地がない魂を刈り取り、現世のエネルギーとして消費するために地獄へと落とす悪魔のような所業を平然と行う存在ですから」
「お前、自分で言ってて悲しくならないか?」
「事実ですから。それに、自分はこの仕事に誇りを持っています。
 例え誰からも感謝されずとも、記憶のない〝生前〟に犯した罪を少しでもこの仕事を行うことで償えるのならば、喜びこそすれ悲しく思うことはありません」
 実際にコウは心底そのように思っているからこそ自信を持ってそう答えた。
「まあ、結局こういったことは誰かがやらないといけないしな。悲しいことだが、この世界にいる誰もが皆〝生前〟に罪を犯した者たちばかりだ。
 殆どの人間は再びの現世に転生するために善行を詰み、そうでなくとも平穏無事な生活を営んで〝生前〟の己と決別をするが、中にはそうでない者もいる」
 そう、この世界に住むものは皆人の形をなしているとは言えその本質は魂。あくまでも肉体は仮初の器なのだ。
 ここにいるものは誰もが〝生前〟の記憶を持たないが、魂はその罪を覚えている。だからこそ、一部の者は〝生前〟に犯した罪に惹かれるようにこの天獄で再び罪を犯してしまうことがしばしばある。
「厚生の余地があるのならまだ『天警』が用意した更生施設に入り、罪を償うためにできる限りの善行を積んで、再びの死を迎えた際に『天生』の所による審判で少しでも現世に転生する確率が上がるようにフォローするのがウチの仕事だ。
 けど、中にはどうしたってそれができない者もいる」
 特に重罪とされる殺人、そして自殺など。自分を含めた誰かの死に関わった者は一部の例外を除いてそのほとんどが厚生の余地なしと即座に判断される。
 そうなれば、残された道は二つ。
 一つは、罪を受け入れずさらなる罪を重ねて『天警』から逃げ続けるか、はたまた彼らと敵対し、己が死を迎えるまで戦い続けるか。
 もう一つは『断罪人』による裁きを受けいれ、現世の糧となるべく魂を消滅させるか。
 どちらにしろ、最終的な目的地は同じである。ようはそこに至るまでの過程が違うかどうかだ。
「そのような者が現れた場合は私が……いや、俺たち『断罪人』が始末をつけるということですよね?」
「そうだな。そして、話が少々ズレたがここからが本題だ。先程も話題に挙げたようにここ最近例の宗教団体による事件が増えてきている。昨日の件も含めればここ二ヶ月で三件目だ。
 さすがにウチとしてもこれ以上こいつらを野放しにするわけにもいかないと判断した。
 そこで、お前には捜査官と『断罪人』としての二つの仕事を与える。捜査官としてはこの宗教団体の規模、そして彼らの繋がりなどを洗い出すこと。
 そしてそれらをある程度調べ上げ、この団体の教祖を見つけた時が『断罪人』の仕事だ。教祖の魂を地獄に落とし、一連の事件に終止符を打て」
 見つめられるだけで身も竦むような眼差しで、コウに命令を下す日高。そんな彼女にコウもまた真剣な面持ちで答える。
「了解しました。上級捜査官コウ、並びに『断罪人』序列第七位。ただいまより日高特捜より与えられた任務を遂行します」
「ああ、よろしく頼む」
 そう言って日高は再び机に放り投げた資料を読み始め、コウは任務を開始するために部屋を出ようとした。
 だが、扉の前に彼が進んだ時、ふと思い出したように日高が彼の背中に声をかけた。
「ああ、そうだコウ。今度久しぶりに私の家に来なさい」
 先程までの公的な態度とは違い、柔らかく優しい声色で彼女は提案した。
「はい、それは構わないんですが。どうかしたんですか?」
「うん。ちょっと、家に資料が溜まっちゃって。一度整理しないといけないんだけど、それが一人で片付けるには量が多いから前みたいに手伝ってくれる?」
「いいですよ。それじゃあその時についでに稽古もつけてもらえますか日高さん?」
「構わないわよ。それと、呼び方」
「あっ……。って、これ本当にこう呼ばないといけないんですか?」
「他に人がいるときならまだしも二人の時はきちんと呼ぶようにって言ったでしょ?」
「ハァ……。わかりましたよ、美玲さん」
 最後の用件を聞き終えたコウは溜め息を吐き出しながら静かに部屋を後にするのだった。

       

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