Neetel Inside 文芸新都
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【 とある絵描きと夏の少女 】




彼女はまっすぐ、そして悲しげに海の向こうをただ遠い目で見つめていた。

「私は幼いころ、海は青いものだと教えられました。青くて、透き通っていて、
 とてもきれいなところだと。
 草や、そこに咲いているひまわりもそうです。
 それぞれがきれいな美しい色をもっている、と。
 私はそんなきれいな場所で生活できる魚たちや虫たちをとてもうらやましく思いました。
 私もそんなきれいな場所で、きれいな世界で生きていきたい、そう思っていました」




彼女は俺のことに気づいて話し始めたのだろうか。

だが、決してこちらに顔を向けることなく、ただひとりごとのようにそうつぶやいた。

「あなたには、この海がどんな風に見えますか?」

そう彼女は問いかけると、初めて俺の方に顔を向けた。

こちらをまっすぐに見つめるその瞳が、一瞬とても鮮やかな色を放ったように感じた。

そんな彼女の瞳に圧倒され、俺は何も言葉を発することができなかった。

そんな姿を見て、彼女はまた海の方に顔を向き直した。

「私にはとても青には見えません。美しくは…見えません。
 海はもっと青く美しくあるべきだと私は思うのです。草も、花もそうです。
 …誰が見ても青に、緑に、黄色に見えるくらいに。輝いているべきだと思うのです」




俺はその彼女の発言になぜだか苛立ちを覚えた。

恐らく今まで積み重なってきた多くの出来事がその原因だろう。

そして正論をただ淡々と語るその姿は、さっきまで恐れ、逃げてきた汚れた色と
重なるところがあった。




その苛立ちは度重なってきたストレスと共に抑えきれなくなり、ついに爆発した。

彼女が持っていたこの病院の院内通信を強引に奪いあげると、俺はその紙の裏に持っていた
色鉛筆を使って絵を描き始めた。

俺は今までため込んできた感情をすべて吐き出すかのように、目の前の風景をそこに描きなぐった。

まるで幼い子がフォークを握るかのように鉛筆を握り、紙に向かって力いっぱい描きなぐった。

最後に青を使って海の色を塗りあげると同時に、青の鉛筆が力に負けて
先から音を立てて折れた。

原色に近い明確な色合いしかそろっていない色鉛筆では写実的な絵を描くことはできず、
出来上がった作品はとてつもなく色の主張が激しい過激なものとなった。

そしてそんな酷い出来の絵を、俺は彼女の目の前に思い切り突き付けた。


「お前の望むそれぞれが主張しあう世界ってのは、こんな世界か!」


荒々しい息遣いと共にそう怒鳴りつけた。


その一言を述べた瞬間、ふと我に返った。

何をかっとなっているんだ、みっともない。

彼女は何も悪いことを言ってはいない。俺が捻くれているだけだ。

それをただ怒鳴りつけ、相手に八つ当たりをするなど。全く、子供同然だ。




「.........ごめん。いきなり怒鳴って...」

「凄い!」





時が止まったような気がした。





「...は?」

「凄い!凄いです!こんなに美しい絵、私今まで見たことがありません!」

「え?美しい?これが?こんな幼い子が書きなぐったような絵が?」

「はい、感激しました。あなたはとても美しい絵を描くのですね」

そう言いながら彼女は満面の笑みで笑いかけた。



唖然だった。

思いもよらない彼女のその言葉に、ただ唖然とした。



「千夏ちゃーん。そろそろ検診の時間…ってあれ?」

そんな中、扉の向こうからあのふざけた看護師の加藤が現れた。

「なに、千夏ちゃん。もう藤崎と顔見知りになったの?」

こいつ、何勝手に俺の名字を呼び捨てにしているんだ。俺は患者だぞ。

というか、そもそもお前とそこまで仲良くなった覚えはない。


「あんた、さっきこの病院にはあんた以外、爺さんと婆さんしかいないって言ってたよな?
 あれは嘘か?」

俺は少し皮肉った口調で加藤に対して問いかけた。

「あー。千夏ちゃんは別」

「何が別なんだよ」

「だってあんたみたいな発情期真っ盛りの男子に、同い年で、しかもこんなに
 かわいい女の子がいるんですーなんて言ったら絶対にちょっかい出しに行くでしょ」

「いかねーよ。第一、発情期じゃなくて思春期って言えよ」

「さてと、行こうか千夏ちゃん」

「無視すんなよ!」


そんな加藤と俺のやり取りを見ていた彼女、千夏はただ声もなく、くすくすと笑っていた。

「えっと、藤崎くん…でいいんですよね?」

千夏は、顔を見上げて俺に話しかけてきた。

「ああ、そうだけど」

「この絵、もらってもいいですか?」

「かまわないけど、そんな殴り書きの絵でいいのか?」

「これがいいんです。今まで私が見てきた物の中で、一番…輝いていましたから」

そう言うと千夏はさっきの殴り書きの絵をきれいに折りたたみ、
ポケットの中にしまい、小さく微笑んだ。

その姿は先ほど見つめられた時の瞳と同じく、
また一瞬だけ鮮やかな色を放ったように感じた。

「んじゃあ、あたしら行くから。あんたもここずっといると、日射病になりかねないから
 早く戻りな。ただでさえ忙しいのに仕事増やされちゃ、こっちも困るんでね」

そう言って、加藤は千夏の車いすを押しながら屋上を後にした。






二人が見えなくなってから、俺は床に落ちているさっき折れた青い鉛筆を拾い上げて、くるくると回しながら、また目の前の海を眺めた。


「輝いてた…ねぇ…」


想像もつかなかった彼女の発言を、俺は無意識のうちにつぶやいていた。







…続く

       

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