Neetel Inside 文芸新都
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【とある絵描きと夏の少女 】



加藤は入り口付近にあった椅子をベッドの近くまで持ってくるとそれに重く腰かけた。

「最近、屋上でなにやら始めたらしいな。千夏ちゃんが今まで以上に
 ひまわりを取ってきてくれって言うようになったし、それによく笑うようになった」

普段より笑うようになった。

普通なら喜ばしいその変化について加藤は低く静かに話し始めた。

「ああ。千夏の自画像を描いてるんだ。それより聞きたいことがあるんだが...」

「お前がそうさせてくれって頼んだのか?」

俺の話を遮って、加藤は俺を睨めつけた。とても冷たい目だった。

「違う。千夏が俺に描いてほしいって頼んできたんだ。それより聞きたいことが...」

「千夏ちゃんが...か。そうか――」

また俺の話を遮ると、加藤は俯きながら静かに目を閉じた。

「おい、お前ばかり質問してないで俺の話も聞けよ。
 千夏はなにが原因でこの病院に入院してるんだ。あいつ、何の病気なんだよ」

加藤はゆっくりため息を吐き椅子から立ち上がると窓を開け、
懐から煙草を取り出しそれに火をつけた。

「おい、院内は禁煙じゃないのか」

「そうだな。まぁ、院長にはだまっといてくれ」

白く濁った息を窓の外に吐きだし、やがて俺の方へと体を向けた。
しかし目線は合わせずただ下を向いていた。



「ベーチェット病って知ってるか?主に口内炎や皮膚症状が主症状となる病気なんだが」

「皮膚?でも千夏は見た感じそんな風には見えなかったぞ」

「まぁ、急かすなよ。人の話は最後まで聞け。他にも主症状はあるんだ」

加藤は一呼吸し、重たく濁った息を吐きだした。


「眼症状。千夏ちゃんはそれにあたるな」


今日の屋上の出来事でおおよそ予想はついていた。

目に障害があるのではないかと。

しかしそれが確信に変わった時、俺は先ほどとは比べ物にならないほどのざわつきを感じた。

「完全型だと主症状全てが当てはまるんだが、不幸中の幸い...でもないか。
 千夏ちゃんはそうじゃない。主症状の眼症状に加えて、関節炎と消化器症状。
 主な副症状が2つ。不完型だ。」

「眼症状って...主にどんな?」

恐る恐る俺は加藤に尋ねた。

「視力が著しく低下する。酷い場合は失明だな」

"失明"

「千夏は...千夏の症状はどれくらい進行してるんだ」

「とりあえず今のところ失明はしていない。ただ視力が日に日に
 下がっていっているのは確かだ」

「...そのベーチェット病ってのを治す薬はないのか」

「確立された治療法はまだ存在しない。難病のひとつだからな。
 症状の進行を抑える薬はあるが、多くは投与できない。
 あの子は体が普通の人よりも弱いから副作用に耐えるのが難しいんだ」

「じゃあ...今の千夏は」

煙草を吸い終え、携帯灰皿を取りだす加藤に俺は力無く問いかける。

「ああ。お前が来た時よりも、もうほとんど見えていない状態に近いだろうな」

聞きたくない答えが。俺の一番聞きたくなかった答えが返ってきた。




俺があの日、屋上に行くずっと前から


" 私にはとても青には見えません。美しくは…見えません。"


千夏にはほとんど見えていなかったんだ。


" 誰が見ても青に、緑に、黄色に見えるくらいに。輝いているべきだと思うのです。"


屋上から見る海も、草も、花も、、加藤も、俺も。


" 藤崎さんには私がどう映っていますか? "


自分の姿、さえも。





「だったら...もうほとんど見えなくなっているのなら...どうしてあいつは、
 俺に絵を描いてくれなんて...頼んだんだ」

膝の上で握りしめた拳を眺めながら、堪え切れない心の中の思いが
自然と口から力なく出てしまっていた。

加藤は小さくため息をつくと、加藤は携帯灰皿を懐にしまって
さっきと同じように椅子へと座りなおした。

「見えないって言ってもまだ完全に失明したわけじゃない。
 毎回あたしが千夏ちゃんにひまわりを渡すときに言ってくれるんだ。
 " とてもきれいだ "って、笑いながらさ。」

加藤の息はヤニ臭かった。でもその言葉はなぜだかとても温かく感じた。


「あの子ね、施設育ちなんだよ。幼いころから両親に捨てられて施設にいたんだ。
 その頃から体が弱くてさ。あたしが仕事の用事でそこに行った時も、
 施設の人のお世話になってて。千夏ちゃんいっつも謝ってた。
 いつも迷惑かけてごめんなさいって。
 普通だったら外で無邪気に騒ぎまくるくらいの歳の子が、
 その毎日を謝りながら過ごしていたんだ。
 それを見ていて思ったよ。この子はどうしたら幸せを感じられるだろうって。
 だから、あたしがその子を幸せにしてあげることにしたのさ」

「え?それってつまり...」

「ああ、そうだよ。あの子の名前はね、"加藤 千夏"って言うんだ」


まさか。加藤が事実上、千夏の今の母親だったとは。


「でもあの子、引き取ってからもずっとあたしの事名字で呼んでさー。
 お母さんとか、言ってくれたことないんだわ。
 まぁ千夏ちゃんがそっちの方が楽ならいいんだけどね。
 それからしばらくはあたしの家で暮したよ。
 あの頃の千夏ちゃんとはよく散歩に出かけたなー。
 花を見るのが好きでね、あの子。公園とか植物園なんかにいったよ。
 その中でもひまわりの花が一番大好きでさ。夏になると暑い中、毎日のように
 公園に咲いてるひまわりを見に外に行ったよ。その時の千夏ちゃんは凄く元気だった。
 幸せそうだった。
 そんな姿を見て私は、来年は大きなひまわり畑を見に行こうなんて約束をしたよ」

加藤はそうぽつぽつと話しながら、笑っていた。

あの時の千夏と同じような悲しい笑顔だった。

「その次の年だった。病気が発症したのは。
 千夏ちゃんはあたしの勤務してるこの病院に入院した。
 せっかく幸せになってくれると思ったのに。全く、神様ってのはほんと...クソ野郎だね」

俺はその顔を直視することができなかった。

「でもあたしは約束を破るつもりなんてなかった。
 だからさ、そんな神様に喧嘩売ってやったのさ。
 院長とも交渉して、海の近くの丘にひまわり畑を作ることにしたんだ。
 それが屋上から見えるあのひまわり畑なんだよ。
 あれ作るのには何年もかかったけど、あたしは諦めなかった。
 運命なんかに。病気なんかに。負けてほしくなかった。そんな想いでいっぱいだった。
 でも、それが結果的に千夏ちゃんをまた一人にしてしまったんだ」





「完成した頃にはさ、もう...遅かったよ。
 遠い丘の向こうに咲く花なんてもう...千夏ちゃんには...」

加藤の声は震えていた。その声だけで、今どんな顔をしているのか
俺には見なくても明らかだった。

その後すぐに大きく深呼吸する音が聞こえた。


「あーあ!!ダメダメ!!あたしこういう辛気臭いの嫌いなんだよねー!!」

「加藤...」

「おし!ごめん!ここからが本題!」

加藤は目のあたりを腕で拭うといきなり立ち上がり、
ベッドに座っている俺に向かって頭を下げた。


「藤崎には、絶対に千夏ちゃんの傍にいてほしい。
 それがあたしからあんたへのお願い
 あの子、近くに誰かがいてくれるだけで、それだけで幸せそうに笑っていてくれるんだ。」


その言葉にはいつもの軽快さはなかった。


子を思う一母としての真剣な気持ちがこもっていた。



その後加藤は、明日は用事で別の病院に行かなくてはいけないため、

朝千夏を屋上に送って行って欲しいと頼んだ後、俺の病室を後にした。





そしてその夜、俺は油絵の具の一式と共に静かに病室を出て屋上の入り口へと向かった。


そこに置いてある描きかけの油絵を、窓から差し込む月明かりが照らした。

青く大きく広がる海。そこから少し手前の丘には颯爽と生い茂る草々の緑、
そこに加藤が作ったひまわり畑が、小さいながらも美しく黄色に輝いている。


その絵の景色が、今まで淀んでしか見えなかった俺の目を変えてくれたことを物語っていた。


絵の真ん中には千夏の姿。

他のどの輝きにも負けないほどの笑顔をしている夏の少女。

手に抱えている花には色がまだ塗られていない。

俺はパレットに絵具を広げ、その花に色を塗り始める。


その時間はとても長く感じた。

いつもより時の進む速さが遅くなっているように感じた。




「...完成、だな」

そこには少女の笑顔と同じくらい、明るく輝くひまわりの花が咲いた。










翌朝、俺はいつもより早く目が覚めた。

昨晩は絵を描いていたため遅寝だったはずなのだが、眠気は不思議な事に全くなかった。

「さて、着替えるか」

今日は千夏を屋上まで送る仕事もある。加藤に、千夏の母親に頼まれた大事な仕事だ。
サボるわけにはいかない。

着なれたTシャツに袖を通し、近くにあったペットボトルの水を飲み、俺は廊下にでた。



そして、いつもと違う違和感を感じ取った。



いつもは静かなその廊下は、やけに騒がしかった。

看護師たちが何やらものすごく騒いでいる。

「すみません、なにかあったんですか?」

近くにおろおろとしている一人の女性看護師がいたので声をかけた。

「急患です。今朝、出勤してきた看護師が崖から転落している人を見つけまして」

そう言うと廊下の向こうから何人かの看護師に運ばれ入ってきたストレッチャーが
凄い勢いで俺の目の前を通過し、すぐに角を曲がって見えなくなってしまった。



それは一瞬だった。





俺は目を疑った。






ストレッチャーの上に乗っていたその患者は






千夏だった。







...続く

       

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