Neetel Inside 文芸新都
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 金池の警察官としての日々は、それはそれは順調なものだった。
 大きな事件も起こらず、上司も同僚も皆優しい人ばかり。昔いた町ということもあって、俺を覚えてくれている人なんかもいたりした。その誰もが昔よりしわが増えていたり、子どもをつれていたりして、俺もやっぱり歳を重ねたんだなと多少なりとも実感した。昔良く遊んでいた公園がなくなってレジャー施設になっているのを見て、悲しくもなった。
 それでも形を変えずに残っていたのは、電車の中でも見た屋台横丁だ。
 金池に戻って二ヶ月ほど経ったある日の夜、俺は記憶を頼りに屋台横丁の入口までやって来た。大方、色んな複合施設の登場によって、屋台も廃れているだろうなと考えながら、屋台横丁に足を踏み入れた。
 思わず、声が漏れてしまった。
「変わって……ない」
 何にも、変わってなどいない。
 一歩踏み込めば一斉に漂ってくる、焼きそばやら綿菓子やらの匂いが混ざった、ちょっと変な匂い。赤ちょうちんをぶら下げた居酒屋台の群れ。お祭りの縁日のように、日常的に金魚すくいやヨーヨー釣り、的当てなどの屋台が広がる風景。その昔由美子と怖がりながら進んだ手作り感に満ち溢れたお化け屋敷。親友のヒロトと花火で遊び散らかして怒られた、横丁の隅にあるひっそりと苔むした寺社の階段。ひぐらしの声を聞きながら、下駄を鳴らして歩いた、日曜日。
 ああ、何も、変わってない。
 悲しみとは違う涙で、少しだけ目が潤んだ。
 屋台の数はむしろ、かつての記憶よりも多い気がした。
 何か催しでもあるのかと散策していると、ひとつの看板を見つけた。
『第一回金池屋台祭り 地域活性化のため開催』
 ほう、と俺は思わず感心した。金池の屋台はあまり街から関心を持たれていない存在だった記憶がある。だがこれほど都市化しても根ざしているところを見て、金池のお偉い方も納得したんだろう。確かにこの屋台横丁があれば、金池は更に活性化するに違いない。毎日のように開いている屋台を目的にする観光客も増えるかもしれない。祭りの日程はまだ少し先にも関わらず、屋台横丁は人で溢れ、賑わっている。俺は嬉しくなって、自然と足取りが軽くなった。
 せっかくだから、今日は少し飲んでいくか。
 俺は適当な屋台を選び、暖簾をくぐった。
「おやじ、熱燗を一つと、何かおすすめのつまみをくれ」
「あいよ。お客さん、あまり見ない顔だね」
「まあ、そうだろうな」俺は空席に荷物を置きながら答えた。「ついこの間、この街に戻ってきたばかりなんだ」
「へえ、外に出ていたのかい」
「世を取り締まる生業の公務員でね。転属って奴で、生まれ育った街に舞い戻ってきたんだ」
「おう、そりゃあ良いことだ。この街はとても、いいところだからねえ」
「おやじも、ここの出身なのかい?」俺は差し出された焼き鳥を頬張りながら尋ねた。
「私は、この街に惹かれて住むことにした者の一人だよ」
 おやじは愛想の良い笑顔を浮かべて、煙で丸眼鏡を曇らせる。
「昼間はカフェを経営して、夜はこうして屋台をしているんだ。充実した人生だよ」
「ふーん、商売が好きなんだな」
「商売というより、こうして色んな人と話ができるのが生きがいだね。あんた、歳はいくつだい?」
「ん? 二五、六ってところだ」
「おお、そうなのか。そりゃ良かった。実はもうすぐ常連が来るんだが、彼も君と同じくらいの歳なんだ」
「へえ……」熱燗を飲み下しながら、俺は半分聞き流し始めていた。酒は好きだが、どうにも弱いのだ。
 その時、俺以外の誰かが屋台の暖簾を揺らした。
「おやじ、熱燗と鶏皮ね」
 その男は入ってくるなり、慣れた口調で注文した。おやじの方もそれを知っていたようで、即座に熱燗を差し出した。それがよほど面白かったのか、男はくっくっと笑った。
 俺はその時、少しだけ良いが醒めた。
 声に、聞き覚えがあったのだ。
「その笑い声は……まさか、ヒロトか?」
 俺がそう呼ぶと、男は驚いた目をしてこっちを向いた。
 訝った表情をしているが、若干くたびれた二重の両目と、特徴的なそばかす。
「まさかお前、雅親?」
 その言葉を聞いて、俺の考えは確信へと変わった。
「ああ! そうだ、雅親だ覚えてるか!」
「うおう、なんて偶然だよ」
 俺は興奮気味に、ヒロトと肩を組んだ。ヒロトは中学校の時に、互いに夢を誓い合った親友だ。まさか、こんなところで再会できるなんて、夢にも思わなかった。
「驚いたぜ、雅親がこの街に戻ってきてるなんてな」
「最近異動になったばっかりなんだよ」
 興奮冷めやらぬまま、ビールを追加注文した。
「まあ、とりあえず飲もうぜ」

 俺は由美子のことを隠しながら、高校に行ってから転属するまでの経緯を話した。
 ヒロトは昔から俺の話を真剣に聞いてくれる奴で、まったく目を逸らさなかった。俺は不思議と泣きそうになってしまったが、すんでのところで堪えた。
 ひと通り話し終えたところで、俺はひとつ深呼吸をする。
「まったく、警察官ってのも楽じゃないぜ。おやじ、ビールおかわり」
「おいおい、あまり飲み過ぎるなよ」
 雅親が笑いながら言う。飲み過ぎないようにしたいところだが、本能がそれを許してくれない。
「そういやヒロトは、画家にはなれたのか?」
 流れで聞いたつもりだった。俺が警察官になると約束した時、ヒロトも画家を目指すと与して誓った。ヒロトは絵の才がある奴だった。勉強を続けていけば、絶対に有能な画家になる。俺は確信気味に思っていた。
 俺の問いかけを聞いて、ヒロトは一瞬だけ閉口した。
「いや、まだ見習いだ。バイトしながら、絵を描き続けている」
「そうかそうか、お前なら大丈夫だ、ヒロト! 俺が見込んだ絵描きだからな、ハハハ」
「そりゃどうも」ヒロトは苦笑いしながら、ビールを一気に飲み干した。
 それが嘘だと、すぐに分かった。
 嘘をついた時、手元にある食べ物を一気に食べたり、飲み物を一気に飲んだりするのは、ヒロトの昔からの癖だ。
「おやじ、俺もビールおかわりだ」
 俺はなにかあったのか聞いてみようと思ったが、辞めた。
 俺に隠し事があるのと同じように、ヒロトにも俺には言えない何かがあるに違いない。
 そんなことで話が詰まってしまうなら、いっそのこと飲みまくって、潰れてしまおう。
 俺はその夜、限界まで飲み続けようと決めた。
 それからのことは、よく覚えていない。ヒロトに対して偉そうになにか語ったり、おやじに対して演説のようなしゃべりを続けたような気もしたが、ここまで酒が回ったのは初めてだったので、記憶から抜け落ちてしまっている。気付けば俺は、ヒロトに連れられてアパートまで送ってもらい、そのまま玄関でうつ伏せになっていた。ヒロトが連れてきたのかも覚えていなかったが、ヒロトならきっとそうしてくれると思っていた。
 酔いが若干冷めてきた俺は、そのまま玄関で目を閉じた。
 明日は非番だ。荷物の整理も後にして、今夜は幸せな記憶が残っている内に、もう寝てしまおう。
 ふらつく頭でそんなことを考えながら、俺の意識は瞼の裏の世界へ、とろんと落ちた。

 翌日の午後。
 起きた俺のもとに、金池署からある連絡が来た。
 幼い少女が何者かによって、連れ去られてしまったと。

       

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