そのひと 終
彼女は、働きながら一人暮らしをしてかれこれ
4,5年は経つ。
真夏の急な大雨を浴びるのがすきで、
明け方に見た夢のメッセージ性を考えるのも、すき。
そして、肌寒い日に暖かい部屋でコーヒーを飲むのも、
化粧をして鏡の前で笑ってみることも好きな、
ごく普通の女性だった。
何でもない日々が続いたのちに、
ある日、ふと彼女は彼と出会った。
それから、夏の日差しの強い日に、彼女は自転車を押しながら、
彼は買い物袋片手に、歩いていた。
ふたりの歩く道の横手には、うっそうとした、夏の森。
たしかにその日、そこは少しの間だけ熱帯の森だった。
ふたりは一緒に暮らし始めた。
水道代を浮かすと言って、一緒に風呂に入る。
青色の四角い風呂桶に浸かりながら、彼女はふと、思い出しているのだ。
常夏の森を駆け抜ける風のにおいに微笑む前、
うっすらとかすかなひかりを帯びる水平線を遠く眺める前、
もうずっと昔のやすらかだった頃のことを。