Neetel Inside ニートノベル
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第二十三話

「休暇は満喫出来ましたか?」
 休暇の最終日である今日、珍しくトニーが俺の部屋に来た。
 最近、自室では床生活の俺は、彼と卓袱台を挟んで向き合っている。
「ええ」
 俺はこの一ヶ月間の長いバケーションを思い返した。
 ハビエルとダリルと三人で行ったキャンプの事──湖に飛び込んだハビエルが足をつって溺れそうになったり、ダリルがたき火の火を大きくし過ぎて前髪を燃やしてしまったりした──や、久しぶりに一人自室に籠もってだらだらと過ごした事や、そんな俺のところに同僚達が入れ替わり立ち替わりサボりに来た事等が頭の中に浮かんでは消える。まるで学生時代に戻ったかのような、素晴らしい休暇だった。
「体調はいかがですか? 遊び疲れてはいませんか?」
「大丈夫ですよ。そういえば──」何気ない感じで、訊ねる。「どうなりました? サイト17に移動する件」
 トニーはいつものように顎をさすり、少し考えるような表情をしてからこたえた。
「決まりましたよ。正式なブリーフィングは明日行います」
「そうですか……」
「……寂しいですか?」
 心配そうな表情でトニーが言う。
「そりゃあ……、少しは。良い、休暇だったもので……」
 幸せな思い出は、時に哀しみを尖らせる。しばらくの間とはいえ、仲間達と離れるのは寂しく感じる。一ヶ月前より、ずっと……。
「どんな仕事内容なんですか?」
 気を紛らわすように訊ねる。
「詳しくは明日話しますが──、良いでしょう。仕事内容は幾つかありますが、今回のメインとなりますのは『239』との対話実験です」
「SCP……239?」
 何だっただろうか。
「SCP―239は本名をSigurros Stefansdottirと言います。彼女は通称……、『ちいさな魔女』と呼ばれています」
「──っ」
 思わず、言葉に詰まる。
 SCP―239、ちいさな魔女、オブジェクトクラス──。
「ケテル……」
「そうです。今回ユキオさんには初めてKeterクラスのSCPと会っていただきます。その様子ですと、彼女の能力はご存じですね?」
「……もちろんです」
 彼女──『ちいさな魔女』といったらネットのwiki(実は財団が『もしもの時の為』に運営している)にも載っているくらい有名だ。彼女は、実行する意志を表現しさえすればなんでも行う事が出来る、といわれている。その為、彼女に嫌われ『消えろ』と念じられたら、本当にこの世界から消えてしまうという事だ。接し方を一つ間違えば──、世界は一瞬で滅ぶだろう。
「何故……、俺が、彼女と?」
 襟元が冷たい。頬を伝う雫を感じる。
「サイト17の保安職員には、テレキル合金製のヘッドギアを装備する事が義務づけられています」
「……」
「また、彼女に物理的に攻撃──と言ったら物騒ですね、注射等を行う場合、テレキル合金製の針以外で肌に刺す事が出来ません」
「……彼女と、テレキル合金の関係は?」
「わかりません。テレキル合金は、他のSCPと同じ場所に保管する事を禁じられています。それは予測不能な相互作用を引き起こす恐れがある為です」
「じゃあ……、じゃあ俺の今までの実験って……」
「そうです。あなたが思っていた以上に危険な実験でした」
「……もしかして、今、俺がこうして生活している事も、実験なんですか? 周囲への影響や、俺自身への作用を……」
「否定は出来ません」
 財団を信用していたわけではないが、思いの外ショックだった。俺が実験対象となっていた事に対してではない。自分がモルモットだという事はわかりきっている。ショックなのは、俺自身がただいるだけで周りに影響を与えている可能性があるという事だ。このサイト15の中には沢山のSCPが収容されているし、職員の数だって多い。もし、それら全てに対して何らかの影響を与えていたとしたら……。
「……よく、俺みたいな危険なのを野放しにしてますね。このサイトの他のSCPに何かあっても良いんですか?」
「危険は無い、という上層部の判断からですよ」
「何の影響も無い、と?」
「無差別には」
「無差別?」
「ユキオさんの頭の中のそれ──は、ユキオさん自身がSCPに意図的に接触したり、たとえ無意識でもそのSCPの効果範囲内に立ち入ったりしない限りは、特別な影響を周囲に与えないようです」
「そんな事、どうしてわかるんですか?」
「あなたが寝ていた間にも、財団は昼も夜も無く動いているのです」
 つまり、あの地下室から保護されて今の仕事に就く間に色々下調べは済んでいた、というわけか。
「……彼女は昏睡状態にされていると、見た記憶がありますが」
 財団の資料は勝手に見る事が出来ないが、ネットの情報ならば記憶にある。もっとも、ネットに書いてあるのは事実を面白可笑しく歪曲したものに過ぎないが──。
「誰かが眠り姫のお話でも読んで聞かせたのかも知れませんね」
「本当ですか?」
「いいえ、冗談ですよ」
 トニーが冗談を言うのを初めて聞いた。が、笑える状況じゃない。
「少なくとも今は、彼女は目覚めています」
「俺の為に起こしたんですか?」
「そんな危険は冒せませんよ」
 どうやら本当のところを教える気は無いようだ。
 無理に探りを入れても無駄なので諦める。
「明日、朝食後に私の部屋へいらして下さい」
 そう言ってトニーは立ち上がった。
「はい……」
 引き留める言葉が見つからない。
「それでは」
 扉がパタンと閉じる。
 天井のライトは部屋の中を煌々と照らしているのに、何だか薄暗く感じた。

「──おめでとう、と言うべきかな」

 その時、背後から聞き覚えのある声がした。
 間違いない。
 間違えるはずもない。
 なるべく動揺を悟られないように、ゆっくりと振り向く。
「……ギデオン」
「久しぶりだね。まあ、私からすれば全然久しぶりでは無いがね」
 そう言って博士は勝手に俺の向かいに腰を下ろした。
「ジャパニーズスタイルだね」
「ずっと監視していたのか?」
「していないとでも?」
「……何の用だ」
 必死に平静を取り繕うが、震える声は隠せない。
「今日は、ひとつ忠告をしに来た」
「忠告?」
「そう。今度、サイト17に移動するそうだね?」
「お前の仕業なのか?」
「それは誤解だよ。むしろ私は君に、このサイト15でやってもらいたい事があるんだが……、それは、今日は良い」
 気になったが、黙った。
 こちらから気のある素振りを見せるのは危険だと思った。
「君がサイト17に移動する事になったのはあの男──トニーと名乗る人間のほぼ独断によるものと思って良い」
「トニーの?」
 そんな権限があるとは思えないが……。
「いったいどうやって上層部を説き伏せたのか、それは私にもわからなかった。そう、私にも、わからないのだ!」
 博士が、初めて声を荒げた。
「あの男については、私の力を持ってしても、生まれも育ちも経歴も、何もわからないんだ。いつ、どうやって財団職員となり、いつ、どういった理由でこのサイト15に移動になったのか、どの資料を見てもわからなかった。いえ……、正しくは『見てもわかる事が出来なかった』」
「わかる、事が?」
 どういう意味だろうか。
「あの男には注意した方が良い。これは、私からの忠告です」
「……」
 また何か騙すつもりだろうか。真意が見えない。
「私の言う事が信じられないのなら、これをご覧なさい」
 そう言って博士は卓袱台の上に一冊のファイルを投げ出した。表紙にはトニーの名前が記してある。
「彼の資料だ」
 博士の言う『わかる事の出来なかった』資料か。
「彼が何を目論んでいるのかはわからないが、君に死なれては困りますからね。とはいえ、表立って護る事も出来ない」
 護る?
 何から?
 ──トニーから?
「無事、サイト17から戻る事を祈ります」
「待っ──」
 はっとして顔を上げたが、もうそこに博士の姿は無かった。
 後には、トニーのファイルだけが残された。

       

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