Neetel Inside ニートノベル
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第二十四話

「──緊張されているのですか?」
「……いえ」
 目隠しをしたまま、俺は隣にいるトニーから顔を背けた。
 あれから三日。
 俺は今、サイト17へと向かう車の中にいた。
 別のサイトに向かう時はいつもの事なのだが、ここまでの移動は楽なものではなかった。
 まず、サイト15を出る前に薬で眠らされ、気付いた時にはこの目隠しをした状態で飛行機の中だった。それから何度も乗り物を変え、時間の感覚も無いままここまで来た。その間、ずっと目隠しはしたままだ。
 トニーはこの車での移動が最後だと言っていた。

 ──トニー。

 あの日、博士が置いていったファイルを、悩んだ挙げ句に俺は読んだ。
 そこに書かれていたのはトニーに関する出自や経歴、どのようにして財団職員となり、いつどんな理由で今のポストについたのか、という事が書かれていた。
 博士はこのファイルを指して『見てもわかる事が出来なかった』と言ったが、俺にはその意味がわからなかった。自分が読んだ限りは、普通の人事ファイルにしか思えなかった。
 しかし、博士がああ言うからには、きっと普通のファイルでは無いのだろう。それは、このファイル自体が特殊な物──もしかしたらSCPであるという事だろうか。それとも、トニーが──?
「どうかな?」
 ファイルを読み終わった俺に、後ろから声をかける者があった。
 振り向いて誰何する必要は無い。
「ギデオン……、今日は忠告だけだったんじゃないのか?」
「君は、そのファイルを読んでどう思った?」
「……」
 どう、と聞かれても、普通のファイルにしか見えない。
 博士の意図が読めず、俺は黙った。
「普通に、読めたんだね? 素晴らしい」
 何が素晴らしいのだろう。
 黙ったままの俺を無視して博士は話し続けた。
「実験……いや、確認する手間が省けたよ。これでようやく、君に仕事を頼む準備が整った」
 仕事──。
 俺はあの時の博士の言葉を忘れた事は無かった。
《次は、仕事を依頼させてもらうよ》
「……断る、と、言ったら?」
「それでこの関係を終わらせられると思うのなら、そうすればいい」
「……」
 言っている事は、不良の学生と何ら変わりない。それでも、博士の言葉には恐ろしい程の重みを感じた。
「仕事の内容は簡単だ。サイト19にいるSCP―55について調べて、報告して欲しい」
「サイト19? サイト15でやって欲しい事があるって言ってなかったか?」
 サイト19には何度も行っている。財団の中でも最大規模の施設だ。
「それはもう良い。サイト17の仕事が終わったら、サイト19へ移動するよう、すでに手は回してある。そう、懐かしい『イチナナサン』のいるサイトだ」
「……まだ俺は、仕事を受けるとは言って無い」
 奥歯を噛む音が頭蓋に響く。
 どうすれば、俺はこの男に反撃する事が出来るだろうか。
「家族を、生き返らせたくは無いのか?」
 ──生き返らせたいに決まっている。しかし、博士の言葉は信用出来ない。
「別にデメリットは無いと思うが……」
 デメリット……。確かに、そうなのかも知れない……。別に、博士が家族を生き返らせなかったとしても、仕事を受ける事で縁が切れるのなら……。いや、果たしてそうだろうか……。わからない。
「ただSCP―55の情報を調べて報告してくれれば良いんだ。それだけの、簡単な仕事だよ」
 SCP―55とは、どんなSCPだっただろうか……。危険は無いのか? 思い出せない。
「まあ、無理に今返事する事は無い。どちらにせよ、サイト17での実験が終わらなくては、ね。私も楽しみにしているんだ。あの可愛らしい魔女と、君がどんな会話をするのかね」
 そう言って博士は、俺の返事を待たずに虚空へと消えた。
 SCP―55……。
 俺は部屋を飛び出し、資料室へと向かった。
 そして、SCP―55に関する資料を探した。
 しかし──、何も見つける事が出来なかった。
 いや、資料はあった。あったにはあったのだが、そこには、SCP―55に関する極めて簡単な説明のみが記載されていた。
(SCP―55に関する性質や振る舞い、起源等の本質的な情報は自動的に隠蔽される……)
 つまり、記憶や記録をする事が出来ない、という事だろうか。
 なるほど……。
 博士が『見てもわかる事が出来なかった』ファイルを何故俺に読ませたのかがわかった。

「──ユキオさん、着きましたよ」
 トニーの声にはっと我に返る。
 いつの間にか車は停まっていた。
「目隠し、はずして結構です」
 言われるがまま、目隠しの布(財団の事だ、ただの布かどうかはわからない)を外す。暗闇に慣れた眼に、日差しが容赦なく突き刺さる。今は、何時だろうか。
「まずはユキオさんがしばらく暮らす事になる部屋へとご案内します。それから昼食を摂って、実験に参加するメンバーとの顔合わせです」
 取りあえず、今が昼だという事はわかった。

 自分の部屋に案内された後、トニーは食堂の場所を俺に教え、何処かへ行ってしまった。
「済みませんが行かなければならないところがありますので、一緒にランチは出来ません」
「わかりました」
 一体、何処へ行くのだろう。
 別に、こうしてトニーがいなくなるのは珍しい事では無い。むしろ一緒に食事をする方が珍しい。俺の担当官といっても、別に四六時中べったりくっついているわけでは無いし、彼にも彼の仕事があるだろう。
 しかし……、今俺は何処か疑心暗鬼になっている。
 もしかしたら、トニーもギデオン博士のようなSCPなのだろうか?
 そんな疑いが、どうしても晴れない。
 確かめるにも術が無い。
 これは博士の策略だろうか?
 もやもやとした気持ちのまま、荷解きを済ませる。
 壁に掛かった時計を見ると、短針は頂点から少し下ったところにある。
 さほど空腹感は無かったが、気分転換も兼ねて、食堂へと向か事にした。
 部屋を出ると、廊下の向こうに人影が見えた。食堂のある方からこっちへ向かって歩いている。サイト17職員だろう。挨拶をした方が良いだろうか。
 そちらへ向かって歩いて行く。
 少しずつ、近付く毎に、その人物の容姿がはっきりと見えてくる。
 男だ。
 年齢は、三十代くらいだろうか。
 黒髪で、肌はとても日に焼けている。
 服装から見て、研究員には見えない。
 もしかしたら──、SCPだろうか。
 サイト17には脅威の少ない人型のSCPが多くいると聞いた。
 男との距離がどんどん縮まる。
 はっきりと顔の見える距離だ。青い瞳がこちらを向いている。
 額に、何か書いてある。刺青だろうか。それとも──。
「キシダ・ユキオさんですね」
 ふいに男が話し掛けて来た。日本語だ。しかも発音はネイティブと変わらない。
「は、はい」
 まさかこの風貌で日本語を喋るとは思わなかったので、驚いた。
 何故、俺の事を知っているのだろうか。
 もしかして今回の実験に参加する職員なのだろうか。
「博士の依頼を受ける事は、あまりお勧めしません」
「……は?」
 またも予想外の言葉に、思わず間の抜けた返事をしてしまった。
 博士……。
 博士だって?
 まさか……、ギデオン博士と俺のやり取りを知っているとでもいうのか?
「あ、あなたは……」
 そのまま通り過ぎようとする男へ、慌てて声を掛ける。
 しかし男は歩みを止めず、冷たい口調で一言。
「カイン」
 とだけこたえた。

       

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