最初は何を言っているのか、まるで把握出来なかった。
一分ほどの間を経て、漸く女の言葉の意味が理解出来た。
女は不気味にも含み笑いをしながら、そんな俺の様子を観察しているようだった。
俺は女に倣い深呼吸をした後、唇を開いた。
「俺に会いに?」
ただ確認するように、静かに。
「そうですよ。」
そう言って、女は一歩、二歩とこちらへ近づいてきた。
「あなたに会いたかったのです。」
冷汗が背中を濡らしたような気がした。
「悪い、もう帰って。俺これからやることあるから。」
本当はそんな予定なんて無いのに。
ただ部屋に引きこもっているだけだ。
知らない人と関わっちゃいけないと小学生の頃も習っただろ。
ああそれは知らない人について行くなだったか。
どちらにせよ、こんな女と馴れ合っている場合ではないのだ。
どうせエイプリルフールのドッキリか何かなんだろう。
これだから外の人間は、と明確な拒絶の意思が俺を支配する。
「そうですか。では、これを。」
女が何かを差し出す。
「これは?」
「ふふ、敢えて言うことを避けます。お楽しみです。今日はまだお弁当届いていないですよね。」
どういう訳でそんなことを話すのか。
「大家さんから聞きました。いつも11時くらいにお弁当を届けてもらっているのでしょう。」
それはそうだが、そんなことはお前には関係のないことだろう。
「言ったでしょう。お弁当だけでは栄養が偏ってしまいますよと。私があなたの食生活を正して差し上げます。」
お前が、俺の?
「お前、本当にお節介だな。」
「よく言われます。それは寧ろ私にとって褒め言葉なのですよ。」
「俺は好きで弁当を食っているんだ。あんたにどうこう言われる筋合いはない。」
ふと見ると、女の顔から笑みは消えていた。
それどころか、少し険しい顔付になっていた。
「あなたがそうでも、私が困るんです。」
鼓膜が破れるかと思った。
それくらい女の声は大きかった。
「私たち、お隣さんですよね。ご近所さんですよね。お隣さんって助け合って生きるものじゃないんですか。」
早口過ぎて聞き取れない箇所がある。
「私はお隣さんが病気になったりしたらすごく、すっごく悲しいんです。」
「え、あの。」
いつの間にやら俺が女の迫力に怯んでいた。
「だから、私の料理を食べてください。ちゃんと栄養とか考えてますから。」
女と俺の距離は拳二つ分ぐらいに縮まっていた。
視線を下に落とすと女の柔らかそうな双丘が見えた。
でかかった。
「どうか、私のためだと思って。」
結論から言うと、バッと差し出された風呂敷包みを俺はつい受け取ってしまった。
女は満足げに、我が家を後にしたのだった。
「やっちまったな、俺。」