Neetel Inside ニートノベル
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 あなたの家には魔物が棲んでいる――いきなりこんなことを言われて俺はむかっ腹が立っちゃって、そんな不届きなことを言ってきた女子に面と向かって言ってやった。
「ふざけんな、あの家のトイレに神様なんていねぇ!」
「いる」
 あてがわれた新しい俺の座席の前で、なにやら古文書のようなものを胸に大事そうに抱えた女子は三白眼で俺を睨んできた。
「あなたの家には、それはもう、大量に魔物がいる。そう、苔むした石を取り除いた時に出てくる虫ケラたちのように――ね」
「あんた意外とヤンチャだな」
「…………」
 その女子、確か名前は――と俺は上履きを見た。苔原志瑞(こけはらしみず)、と書いてある。上履きの縁が青色だったので、まだ中学三年生のようだ。俺の隣で泡を喰っていた小牧が、ようやく我に返った。
「い、いきなり何を言うんですか! あたしたちの家にお化けなんていません!」
「いる」
「ちょ、ちょっとちょっと! 顔が近い、顔が! いやあ~……」
 苔原に頭突きを喰らいそうなまでに近づかれた小牧が悲鳴をあげた。小牧はチビの方ではないが、一つ年上のはずの苔原は小牧の喉元ほどの背しかない。鎖帷子みたいに編みこんで流している黒髪がとても防御力高そうな感じだった。
 ところで、俺たちの住むことになった村には、学校が一つしかない。それも小中高一貫で、クラスも小学生はべつだが、中高生は一緒にされている。なので俺は妹とクラスメイトになるというあだち充が好きそうな設定をひっさげて、この傍立止草(やみぐさ)分校に入学したのだった。……高校なのに分校って、大丈夫なのだろうか、いろいろと。
 そうして入学式早々、妹を購買という名の無人野菜販売所に使いパシリに送り出そうとした矢先、俺と小牧はこのあやしげなクラスメイトに絡まれてしまったのだった。
 ちなみに、噂の家の主である六露は先生に呼ばれてどこかへいってしまっていた。なので小牧は勇敢にも、この女子制服を着た不審者の対応をがんばっている。将来はコールセンターで働けるようになるはずだ。
「お兄ちゃん、ぼさっとしてないでお兄ちゃんからもなんとか言ってよ!」
「仕方ねぇな――」
 俺は座席を立ち上がる際に思い切り膝をぶつけ、その場に跪いた。前の座席に座っていた、俺と同い年の男子が「大丈夫か」と覗き込んできた。上履きには「吉田」とある。吉田いいやつだ。俺は親指を立ててみせた。
「保健室にいきたい」
「わかった、連れてってやる」
「ありがとう」
「こら、逃げるなバカ兄貴!!」
 妹に制服を引っ張られ、俺は苔原の前に盾のように押し出された。俺の背中からぴょこんと小牧が顔を出して唾を飛ばす。
「こ、苔原先輩! あんまりへんなこと言ってると、うちのお兄ちゃんがぶっ飛ばしますから!」
「……そうなの?」と苔原が首をかしげて俺を見上げてきた。俺はふう、とため息をつく。
「ぶっ飛ばすなんてそんな野蛮なこと、僕には出来ない」
「カマトトぶってんじゃねぇ!」
 えぇー妹にそんなセリフを吐かれるなんてお兄ちゃん予想だにしてない。俺はその場に跪いてしくしく泣き出したい気持ちをこらえながら、苔原と向かい合った。どうでもいいが、こいつおっぱいまるで無ぇ。
「えーと、こほん。苔原くん。入学早々、人ん家に喧嘩売るとはどういうことかね。聞けば六露――俺と小牧が世話になってる鬼津奈家というのは、地元でも名のある家だそうじゃないか。そういう家に難癖をつけるのは、そのー、毎日を笑顔で過ごすにはあまりよろしくないことだと思わんかね?」
「わるものかっ!」
 妹にハリセンでぶっ叩かれた。おい、どこのどいつだうちの妹に凶器を渡したやからは。お兄ちゃん許さんぞ。地味に痛ぇ。
「もっとカッコよく啖呵の一つでも切ってよ! これじゃあたしまでカッコ悪いじゃん!」
「わがままなやつ」
「はあーっ!? どこがぁーっ!?」
 真っ赤になってはーはー言ってる妹をなだめていると、ぼそりと苔原が呪文を唱えるように静かに言った。
「……この土地は呪われている。いますぐ出て行った方がいい。その方が身のためよ……高梨くん」
「あ、鷹藤です」
「鷹藤くん。まだ春だから鬼の気は弱い……けれど夏になったら、どうなるか分からないわよ。それまでに荷物をまとめて田舎に帰るのね……もし何かあったら、相談に乗ってあげるわ。……それじゃ、私は実家の田植えがあるから」
 そう言って、編みこんだ黒髪をたなびかせ、苔原は去っていった。俺と小牧は顔を見合わせる。
「……なんだったんだ、ありゃあ」
「さあ……」
「ふっふっふ」
 いきなり俺と妹の間に割り込んできたのは、さっきの吉田だった。よく見ると茶髪でじゃらじゃらアクセサリーをつけており、結構チャラい。でもポケットから溢れてるスマホにくくりつけられているらしいストラップはすべて時代遅れの骨董品であることから、都会人への道はかなり険しそうだ。
「聞いて驚け、あれこそ我が分校始まって以来の変人、苔原志瑞。実家は米農家、裏に山を三つ持っていて幼女の頃はイノシシどもをまとめる長として尾根伝いに君臨していた土民だ」
「最後のまとめ方がひでぇ」
「……そんなイノシシ乗ってた人が、なんであんなオカルトチックに?」と小牧が早く帰りたそうな顔で言った。
「電車もロクに通ってない、一本終わるまで同じ景色が続くこの集落に住み続けていると、どうしても都会とwifiへの憧れからおかしくなるやつが出てくる……この俺のようにな」
 吉田は皮肉げに、シャツ出しして腰パンしている自分の格好を手を広げて示してみせた。ちょっとハリキリすぎてるって分かってるんだ……チェーンつけすぎて腰パンていうか見せパンになってるしな。
「中学一年になった頃、苔原はアマゾンでライトノベルを大量に買い始めた。あと、俺んちの兄貴が大学へいくから、持ってたラノベやマンガを全部苔原に奪わ……いや、寄付した。それからだ……あいつが闇夜の月に己が詩を捧げ始めたのは」
「お前も毒されてない?」
「そんなことはねぇっ! 俺はナウでヤングな、その、あれだ。高校生だ。断じて前世で苔原と宿命の仇敵だったことなどないっ!」
「わかったわかった。で、なんで苔原は鬼津奈の家に魔物がいるなんて言い出したんだ?」
「単純に古くてでっかいからだ」
「な、なんて幼い結末!」と小牧がチーズケーキだと思ってたものがレゴブロックだったときのような顔で叫んだ。
「そんなめちゃめちゃな人に目をつけられるなんて……うう……あたしの中学二年の生活はどうなっちゃうの……」
「そうだな、お兄ちゃんの高校一年の生活もどうなっちゃうんだろうな」
「お兄ちゃんのはべつにいいじゃん」
「なんで?」
 妹よ、俺も一人の人間だぞよ。
「……なにかあったのですか?」
 苔原の奇行など慣れっこのように和気藹々としている中高一貫クラスに、手をハンカチで拭きふきしながら六露が戻ってきた。おトイレいってきたの? ねぇねぇ。
「バカ兄っ!」
「ぐはあっ」
 ごちん、と妹にジャンプされながらブッ叩かれ、俺はその場に長く這った。その俺の頭をぐりぐりと踏みつけながら、小牧が「オホホホホホ」と口に手を当てて笑う。
「すみませーん六露さん。うちの兄、なーんにも考えてないんです。ほんと、なーんにも」
「……? はあ」
 六露はよく分かっていないらしい。ふい、と吉田を見て、
「何があったのか説明なさい、吉田」
「御意」
「おまえこの娘のなんなの?」
 跪いて苔原が喧嘩売ってきた経緯を説明する同級生を見下ろしながら、俺は地方社会の上下関係の厳しさを痛感していた。吉田、すんごい幸せそう。
「……ということがあったんです、お嬢」
「はあ、またですか」
 ため息をつき目を伏せ首を振る六露。
「なになに、前にもあったの、こーゆーこと」
「苔原さんは鬼津奈の家が嫌いのようです。以前から、なにかにつけて私を魔女だとか、悪魔の使いだとか、言ってきてくるのです。迷惑しているのですが、改めてくれる様子もなく……」
「おまえも大変だなあ」
「いえ。……苔原家と鬼津奈家は、少し遺恨があるのです。もう五十年も前のことですが……」
 六露は珍しく口を濁して、「そんなことより」と俺を見上げてきた。
「史明さん。実は手伝って欲しいことがあるのです」
「はいはい、なんでも。で、何をすれば?」
「草むしりです」
 日本人形みたいな美少女が言うと、なんか素敵なことに聞こえたが、そんな夢は一瞬で覚めた。小牧を見ると、持っていたハリセンを紙飛行機にして窓から飛ばしていた。アンニュイな雰囲気を出したって逃げられんぞ、草むしりからは。

       

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