Neetel Inside 文芸新都
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「なんだ、お前?」
 悪臭を身に纏ったビニールテントの住人は、長髪の切れ間から花見をちろりと睨んでいた。
 いや、悪臭だけではない。何年手入れされていないのか想像もつかない長髪に、無精髭と呼ぶにはあまりにも御立派な顎髭。黒ずんだ肌、汚れた服、伸びきった爪とそれに挟まったカス。男は、世の「最悪」の全てを放っているように花見には思われた。少し身体を揺らすだけで、異臭が香る。埃が立つ。その視線をちょいとやるだけで、大抵の人間は道を退けるだろう。こけた頬はまるで生気を感じさせず、今にも息を引き取りそうでもある。
「今すぐ、パンを置いて出ていけよ」
 男は、とっくに花見から目線を切っていた。
 気だるそうに目を瞑り、横たわった腹の上で両手を組んでいる。
「……そう言わずに。話だけでも聞いてよ」
 食い下がる花見に対し、男は何の反応も示さなかった。飼い主に構ってもらえない子猫のように、花見は男の傍らに両膝をつく。
「おじさん、やれって言われたら、人、殺せる?」
 まだ反応はない。
「嫌な奴らがいるんだ。学校に。ご飯あげるから、おじさん、やっちゃってよ」
 遠慮は、いらないよ。
 ストレス発散も兼ねて、どうかな。
 独り言のように呟いて、そのまま三分ほど待った。
「わかった。他をあたるよ」
 溜息をついて花見は立ち上がった。
「こっちだって、どうせならもっと体格の良い人に頼みたいし。それじゃ」
「待てよ」
 ビニールテントに手をかけた花見の背中に、男はしゃがれた声をぶつけた。
「……お前、ここら一帯のホームレスに声を掛けて回るつもりか? そんな話、引き受けてくれる奴がいるとでも? その前に、通報されて終わりだ」
 振り返った花見は、薄く笑っていた。
「お前らの話なんて、誰が信じる?」
 男は、胸の奥でカッと火が灯るのを感じていた。久方ぶりに身に灯った、感情の昂りである。憤怒の炎の灯である。
「第一、公衆電話代すら馬鹿にならない生活してんじゃないのかよ、おっさん」
 ――男には、今この場で花見を殺す選択肢があった。
 ともすれば、今日中にでも両手が後ろに回るかもしれない背景を持つ男。花見が火を灯した感情の導火線は、ダイナマイトへと繋がっていた。
「一週間分だな」
 男は少し考えてから言った。
「一週間、持ち帰れるだけ給食を持ち帰って来い。それと、オメーの小遣いで目一杯買えるだけの食糧。それを持って来い」
 花見は身を翻した。
「これは契約だ。一週間につき、一人。人生を終わらせてやる」
 どろりと前に垂れた長髪が、男の顔を覆い隠す。その状態で物を語る男の姿はまさに鬼気を纏ったものがあり、男の言っていることが決して大言ではないという説得力があった。
「本当?!」
 花見は再び身を男に寄せた。黒目は爛々と輝き、高揚しているのが口角で分かる。
「殺すって意味じゃねえぞ。半殺しにするだけだ」
「良いよ。そっちの方が辛いってこと、あるもんね」
 花見は小さく微笑みながら即座に言葉を返した。その様子に、男もまた、小さく笑みを零した。

       

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