Neetel Inside 文芸新都
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 ○

 それから一週間経った日の放課後、花見は半信半疑ながら屋上の扉を叩いた。するとすぐに鍵が開けられる音がして、少し不服気味な丸子が顔を出した。
「遅かったじゃない。あれから、毎日待ってたのに」
 こうして、花見と丸子の奇妙な関係は始まった。
 とある日は、丸子が犬の死骸を持ってきた。子猫を引き合いに出して、犬を殺すのがどれだけ大変かということを説いた。猫よりも力が強いから、一撃で仕留めるのが望ましいこと。筋肉の付き方、今際いまわの際ののたうち回り方。そんなことを丸子は鼻高々に語り、花見は目を輝かせて聞き入った。
 またとある日は、花見が子猫の死骸を二匹分持ってきた。二匹というのは凄いだろうと花見が言ったら、一匹ずつ殺すだけなら誰にでもできると丸子にね退けられた。
 丸子と出会った日から、花見は出来うる限りの時間を屋上で過ごした。夏が過ぎ、秋が来て、冬になり。そのほとんどの時間を、丸子と共に屋上で過ごした。丸子と一緒にいるのは楽しかった。人生で初めてと言っても過言ではない、一つの時間を共有できる相手。一つ年上の丸子は一年分花見の先を行っていて、花見にとっては師であり、良き理解者であり、また、友だった。
「あんたは、どうしてイジメられっ子になったの?」
 不意に丸子が訊いた。花見は咄嗟に目線を外したが、それを見て丸子が鼻を鳴らす。
「馬鹿ねえ。イジメられっ子でもなきゃ、こんなことする訳ないじゃない」
 丸子独自の理論はさておいても、花見にとっては図星である。顔を耳まで真っ赤にして俯くほかにない。
「お、お前は? そう言うお前はどうなんだよ?」
 花見がそう言うと、丸子はじっ、と花見の目を見つめた。切れ長の瞳の中心に花見を据えて、じっ、と。そのまま、数秒か、十数秒か。流れる緊張感に耐えきれなくなった花見が顔を逸らしたのと同時に、丸子は着ていたTシャツを捲り上げた。
「えっ?!」
 大きな声が上がった。
 捲り上げたTシャツ一枚の下は素肌である。小学六年生とは言え、五年生にとっては大の大人だ。「女」だ。「女性」だ。白い肌が露わになった。ちょうど、乳首が見えるか見えないかというところでTシャツは止められていたが、いずれにしろ、花見にはそれを直視することなど到底叶わない。
「どうしたの? ちゃんと見てよ」
 顔を逸らす花見の視線の先に回り込んで、上目遣いで花見を煽る。
「な、なんで……」
 諦めたように、一度だけ、下心に負けて花見は丸子に視線を向ける。
 ――瞬間、薄暗いものが花見の脳内を支配した。
 痩せこけた腹部には肋骨が浮かび、女体のなめまかしさとは程遠い。だがそれ以上に、妖しく光る無数のあざ。それは体を覆い尽くすほどに刻まれていて、「ほら」と丸子が振り返ると、背中にまで及んでいるのが分かった。
「虐待、されてるんだよねえ」
 Tシャツが元に戻された。
「とうさんにさ。ずーっと。もちろんそんなの誰にも知られたくないから隠してたんだけど、ある時、クラスメイトに見られちゃって。それからは、もうさ。キモイキモイって、妖怪扱い。普通、分かるでしょー……、“そういう子”をからかっちゃ駄目だってことぐらい」
 そう言うと、丸子はにやりと笑って見せた。
「これって、私悪くないじゃん? だって、子供は親を選べないんだもん。私の体に痣があるのは『仕方のないこと』で、『どうしようもないこと』じゃん」
 丸子は極めて淡々と続けた。
「でもさ。良く考えたら、世界には生まれつきの肌の色や、生まれ持った障害のせいでいわれのない迫害を受けている人がたくさんいるんだよね。私も、それと同じなんだなって。そう考えた瞬間、もう、諦めた。全部。どうでもいいんだ、全部」
 花見は、何も言うことができなかった。
 言ってやることができなかった。
 悲惨な現実を目の当たりにしたからか、あるいは己の不甲斐なさに。俯き黙り込むほかなかった。そんな様子の花見をまるで他人事のように眺めながら、やはり丸子は薄く微笑むだけだった。

       

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