Neetel Inside 文芸新都
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「来週の水曜日、屋上で待ってる」
 花見は初めて“学校で”丸子に声を掛けられた。
 廊下ですれ違う際、少し頭を屈めて耳打ちされた。屋上以外で声を掛けるのはルール違反だと、なんとなくそう理解していたから意外だった。振り返ると、花見は何事もなかったかのように前を向いて歩いている。その背中を眺めながら、花見は胸に一抹の不安を落とした。
「もうすぐ、卒業かあ」
 約束の日、屋上に上がると丸子は既に待っていた。なんとなく手持ち無沙汰な感じがして、ガシガシと髪を揉んで視線を落とす。もう、あっという間だ、と噛み締めるように言った。
「卒業式、出るの?」
「なんで?」
 丸子は一拍置いて訊き返した。
「だって、俺なら出たくない」
 そりゃそうだ、と丸子は微笑した。
「出ないよ」
 僅かな逡巡の後、丸子はきっぱりと言った。冬の風に煽られ髪が舞う。顔の前に来た長髪を右手でかき上げ、凛とした目つきで後に続ける。
「卒業までは、生きないつもり」
 え?
 はっきりと聞き取れたはずの花見が、え? と間の抜けた顔で訊き返した。人差し指と中指で右の耳たぶを挟む。
「引っ越すんだってさ、私んち」丸子は他人事のように言った。「福岡。一体、次はなんの仕事するのか知らないけどさ……。まあ、“キリ”も良いかなって」
 唐突な丸子の告白だったが、それが決して冗談の類ではないことは花見はすぐに理解していた。
「どうせ死ぬなら、今だもん。私をイジメてた奴らに、少しでも嫌な気分になって欲しいもん。忘れられた頃にひっそりと死んで、皆は平然と生きるなんて、そんなの、腹立たしいじゃない?」
 所詮、あてつけだけどさ、と予防線を張るように後に続ける。
「――何も言わないの?」
 口をつぐんだままの花見に対し、痺れを切らしたかのような丸子が顔を上げて言う。
「自殺、止めたくないの? てっきり、私に惚れてるもんだと踏んでたんだけどな」
「……好きじゃ、ないけど」歯切れの悪い答えになる。「そりゃ、死んで欲しくはないけど」
「それとも、あなたがやる? 初めて会った日、言ったよね。私のこと殺せるって」
 花見はぎくりとした。
 そう言えばそんなことも言ったかも、と半年前のことに思いを馳せる。
 でも、だって。思わなかったんだ。まさか、こんなに良い奴だなんて。
「それともやっぱり、あなたには小動物が限界なのかな」
 だらりと垂れた前髪の隙間から花見を覗く。その口角は上がっている。
 花見の顔が歪んだ。こいつ、本当に、本気だ。
「チャンスをあげようか」
 丸子は天を見上げて言った。
「チャンス?」
 花見の立場としては、ひとまず復唱してみるほかない。顎を上げたままの丸子の次の言葉を、じっと待った。
「先月、お赤飯を食べたんだ」
 再び視線を花見へと戻した。言葉を待つ花見をじらすように、試すように、たっぷりと間を溜める。
「その意味が、あなたに分かる?」
 強い風が吹き続けていた。花見の喉がごくりと鳴る。
「セックス、しましょうか。それも、中で出すヤツ」
 一体全体、何を言っているんだこいつは、と花見は思った。
「何だかんだ言ったって、私も死ぬのは怖いもの。一歩、踏み出す勇気が欲しいの」まるで夢を謳うアーティストかのようなことを言ってみせる。「小学生で、妊娠。自殺するには充分な後押しだと思わない?」
 言葉を失ったままの花見の様子を眺めて、丸子はくすりと笑った。
「怖気づいても遅いわよ。もしあなたが逃げるなら、もう、ここから飛び降りるから。今日、このあと。私のことを生かしたいなら、あなたの精液の薄さに賭けてみるしかない。どう? 悪い話じゃないでしょ? 私とセックスできて、自殺も止められるかもしれない。そうなれば、一石二鳥だと思わない? それとも――」
 Tシャツの裾を捲り上げた。
「こんな痣だらけの体じゃ、そんな気分にもならないのかな」
 ここまで言われて、さすがにただ黙っているわけにはいかなかった。
 堪忍袋の緒が切れたというか、胸の中で、カッと熱い感情が爆発するのを感じた。怒っているのか、悲しんでいるのか、花見自身にも分からない。ただ、これまでの人生で得たことのないような感情のたかぶりを味わっていた。
「精通くらいは、終わってる」
 花見がズボンを下ろした。

       

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