教育的指導者(仮)

 ――この世に。
「死にたい」は無い。
 あるのは「生きたくない」だけだ。
「生きたくない」の極まった先がたとえば自殺という結論であり、元々「死にたい」という欲求は存在しない。
 そのことに、十一歳の花見倫象はぼんやりと想いを寄せていた。
 年間、どれくらいの数になるのかは知らないが。自殺の数だけ絶望があったはずだ。死にたくなるほどの絶望の中で、救いを求めるようにして命を絶ったはずだ。
 ここのところを、花見はずっと考えていた。
 なんで、丸子が死ななくちゃならないんだ? 恨み辛みをぶち撒けるでもなく、むしろまるでイジメっ子達に遠慮でもするかのようにひっそりと命を絶たなくちゃいけないんだ?
 丸子の死は、誰が悪いんだ?
 丸子を虐待した父か? 虐めたクラスメイトか? あるいは、中出しした自分か。
「俺は悪くないだろ。俺は頼まれたからやっただけだ」
「そんな言い訳してどうなる。お前、ナチス・ドイツの銃殺刑は執行人に罪は無いと思ってるクチか?」
「無いだろ。逆らえばむしろ自分が殺されるんだぞ」
「ふうん。俺は、執行人も業を背負って然るべきだと思うけどな。どうあれ、お前に妊娠させられなきゃ丸子はまだ生きてたかもしれないんだぞ」
 目が覚めた。
 春の風に煽られたカーテンが大きく膨らんでいる。見慣れない壁、見慣れない窓からの景色、見慣れない黒板。六年生になったばかりの花見は、担任から隠れるようにしながら静かに頭を上げた。
 俺が悪かったのだろうか?
 丸子がいなくなってから、そう自問しない日はない。
「おい、花見」
 放課後、教室で名前を呼ばれて振り返ると野球ボールが飛んできた。
 ボールは花見の頬を直撃し、鈍い音を上げて下に落ちる。いてぇっ、と声が漏れる。
「おい花見、これ貸せよ」
 よろけた花見に二人の男子が駆け寄って、ランドセルを無理やり引き剥がした。おい、やめろよ、と花見のか細い反論はむなしく飲み込まれる。
「オーライ、オーライ」
 窓際の棚に足を掛けた別の男子は車を誘導するような動きで二人を扇動する。そして窓から身を伸ばし、下に誰も歩いていないことを確認する。ちょっとやめなよ男子、と、本気で止める気があるんだかないんだか、半笑いの女子達も事の顛末を楽しそうに眺めている。
「オーケー、オールグリーン。カモン!」
 棚に立った男子がそう言うと、二人の男子は全開の窓に向かってランドセルを放り投げた。勢いよく窓を飛び出たランドセルはしばらく宙を飛んで、そして落ちていく。ランドセルの蓋が開き、中身がばらばらと零れていくのも見えた。
 そして、喝采。
 クラス中の喝采の中心に立たされて花見は、自分が真に独りであることを痛感した。寂しい。辛い。苦しい。
 丸子に、会いたい。
「おう花見」ひときわ背の高い男子が花見の肩を組んだ。「駄目だろ、ランドセルはちゃんと閉めとかねえと。俺ら別に、そこまでやるつもりはなかったのによ」
 また、どっと笑い声。
 どんなに望んでも、もう丸子に会うことはできない。そう思うと、花見は思わず涙が溢れそうになった。ふるふると震える唇を噛み締める様を見て、クラスメイトは静かに高揚した。花見の涙は、花見を泣かせることは、イジメっ子達の悲願である。何をされても、いつもすましやがって。見下すような目で見やがって。決して感情を爆発させることのない花見を、一度くらいは泣かせてみたかった。
 また、花見もそのことを理解していた。だから、死ぬ気で堪えた。ここで泣いたら、本当に負ける。
 花見が涙を堪え切りそうになったのを見て、男達は追い打ちをかけんとした。
「気持ちわりいんだよ、お前よ。いっつもジメジメしやがって。何考えて生きてんだ?」
 別の男が後に続く。
「ガリッガリでよ」
「病気みたいな顔で」
「目つき悪くて」
「ほんと、“あの親にしてこの子あり”ってカンジだよな」
 ああ、もう、いいか。
 こいつら別に、全員死んだって。
 花見は思った。