「その倫理、カリソメにつき。」   柴竹 作
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昨年の文芸作品「藤色アワー」の完結を見る前に連載がはじまったこの作品。今期最も力を入れて書かれておられるのでしょうか。
背徳的な作品を書かれるのが好きなのか、またそれを得意とされているのか、おそらくその両方でしょう。そしてその文体の切り口は鋭く美しく面白い作風ではないでしょうか。作家さんご自身のツイッターでも見受けられますがそのつぶやきはかなり散漫。うぇーいなんだか乃木坂なんだかリア充なんだかゲームなんだか実に異種混合で表情豊か。それでいてその軸にはしっかりとした学生の顔もある。人間味が溢れすぎています(笑)。そしてそれこそこちらの作家さんの長所。
自由で屈託なく物怖じしない。社会の矛盾に真っ向勝負、道徳理念を踏みつぶす。そんな作品には多くの読者の共感と賛辞があるようです。期待していますよ。
そして今後の可能性を存分に秘める作家さんの一人でもあると思います。



■いじめられてる少年、虐待を受ける少女が彼らにある未来はどんなだろう的なはなし……。
綺麗な文章で書かれている毒のあるテーマ。そんな印象を受けました。一文ごとが丁寧。それを集めた一話ごとが深い。読み返すたびに考えさせられる。物語をただ追うだけではなく、そこにある空気の匂いを嗅いでしまうような…。思わせぶりな文章が多かったような気がしました。作家が図っているのかと勘ぐってしまう。単純に素直な感覚で読み流せない。作家の手の内で踊っているような気分にさせられます。物語を追うだけではなかなか作家の意図が見えてきづらい作品であるとも思いました。これは悪い意味でなく、見えそうで見えない。極僅かなヒントをちらつかせているみたいにも思える。 ほらあんたも考えてみればどうだい? 君ならどんな選択肢を選ぶ? といわれているような謎かけをされている感覚にもなった。極論で言ってみれば小説作品はフィクションなんですが、その中で追及されるべき現実味はどこにあるのか。実際の自分の身辺で起こる現象と比べてみてしまう箇所もありましたが、はたしてそれがこの作品を読んだうえで導き出される感じたことになるのか、そこが疑問として淡く残りました。
この作品自体から残る心の揺れは何からくるんだろう。不思議な気持ちになりました。全作の藤色アワーでもそうでしたが、作品の傾向なのか、「現実」に考える思いや感じる気持ちにとてもにじり寄ってくる作風で小説を柴竹先生は書いておられます。震えるような心地にさせられます。今後その執筆活動大いに期待したいところ!


■各話ごとの感想
『序章』
無音の映像を見るような主人公・花見倫造の行動。何の変哲もなく何の不思議もなくそれはただ日常のように書かれている。しかしそこには意味がある。
彼のここでの行動、小学生の子供ならだれでもとりえる普通のしぐさ。
空気、空気を読むのだ。この無音の空気。
やり方はどうあれ、残酷さを求めるのは子供の純粋な探求心のあらわれでしょうか。

『排他的少年』

あくまでも性格が歪んでいる、歪んでいくのは花見であるとして物語は進む。
「お前ら」のせいにしながら冷静に狂う方向性を見出す花見。こいつ面白いやつだ。笑った。
つっこみどころもありましたよ。いじめっていじめる側も相当性格歪んでるのでは? とか考えないでおきましたよ。ええ、そりゃね。


花見、奇行の末屋上へ窓から登ったら女子がいた。
あ、これは、もう、このヒロイン丸子乙という少女と何かあると確信。


どこまで本気で言ってるか定かではないが(ちょっと伝わってこなかった)
丸子を殺せるという花見。ただ強気になっているふうにも見える。これはわざとそう書ているのかな?
だとしら俺は何でも殺せる、解決できる。みたいなの、少し浅い。その倫理への背き方、まさにカリソメ。
しかしこのもの足りなさ、漂う空気、それこそ狙って書かれているふうにすら思える。
女子のほうが心身ともに成長が早いよというのを実感した回でした。


丸子を見ていると、花見の心の闇がとても薄くなります。それは丸子の意志薄弱さから。花見はむしろお遊びを楽しんでいるただのガキでしかありません。とてもいじめられっ子として心に闇を……とかもはや感じられなくなっている。


花見の心にある黒いものがさらに薄くなってくる。もうこれ普通の男子小学生に近い。
ただ、小学生でセックスはやっぱり、全くピンとこないかな。 幼すぎ。たぶんこれが大事なんでしょうね。この気持ち。満たされない、物足りないエロスへのカリソメ感。
罪の意識においても小学生はまだ社会的に縛られる分が少ない幼稚さを残している。独立心、自立心においても社会から認められている身分ではない。だからそこでの性行為はただの遊戯にしか映らない。つまり倫理への背徳感がわかず、幼さへの違和感が先行してしまう……と。
中学生、高校生ならまた違うけど。
カリソメというのはその点で見れば言いえてる。 作者凄い表現力。 


小学生のセックス描写。これ、いまいちでした。
本能的な行為なので小学生の感覚にもっと近づいて、小学生ならではの低知能と思える部分(初めての性行為への探求心や無我夢中感)を見せてくれてもよかったかもしれません。美麗な表現書かれていましたが、そこがどうもひっかかり、う~ん? なにかしっくりこないと思いました。できすぎな感じがした。


丸子に関しては小学生さを全く感じないのですが、花見はそれに比べてガキっぽさをみせているので比べてみると小学生かなという結論に達します。
丸子がいなければ心が黒いままの歪んだ花見だったのでしょうか、ちょっと花見像がぶれてきてます。
これを花見の人として変化していく傾向と捉えてよいのでしょうか。だとしたら面白い。これはなかなか先が読めないぞ。どうなるんだろう。

『教育的指導者』

いつもはいじめられることへ心地よく歪んでいくことができた花見。だけど今は違います。
今回ばかりは彼の心になにか感情が押しよせているもよう。爆発、くるのかな……。


小学生、花見、やはり機知も奇知も押させている。何をやらかしてくれるんでしょうか!


■作中特に印象深かった箇所

・「ごねんにくみ」→「5ねん2くみ」  これでいいと思います。あるいは年と組は小学4年生までに習う漢字らしいので漢字表記でもよいかと思います。 
・こんな酷い目に遭っているんだぞ、俺は。何度も何度も頭の中で反芻する。
冷静な花見面白い。こういう気持ちの確認を自分でできることも大事ですね。人として失ってはいけない反応だと思いました。
・本当に、ぶっ殺すぞ。
置かれている状況に感情的になれる。まともな反応。普通の少年だと思います。
・「卒業までは、生きないつもり」
今週週末の予定を語るように軽い。またそれを容易く感じさせる。これこそ歪んでいる人。
・自殺の数だけ絶望があるはずだ。
花見、それは浅い。と思った下りです。どうしてか? 自殺は他人事ではなくその人と関わりのあった人にも精神的ダメージがあります。また、自殺をする人は必ずしも絶望が自殺へ直結しているわけではないからです。
つまり自殺の数≠絶望。
ただ、この作品においてそこは論点ではないので花見のガキっぽさという意味で印象に残りました。



以上この作品に関する13日更新分までの感想はここまで。