Neetel Inside ニートノベル
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 ゾゾゾゾゾゾゾゾ!!!
 大量の羽虫の群れが蠢くような不気味で不快な異音が轟き、漆黒の邪気が由音を中心に吹き荒れる。
(…ッ、悪霊の浸食のみを“再生”で打ち消して残りの能力は全て肉体に収める!!出来るはずだ!“憑依”と“再生”の出力はほぼ同格!全部をフルで出し切れば……ッ!)
 これまではしてこなかった。
 “憑依”を全開まで引き上げれば、かつてのように悪霊に乗っ取られ異形の怪物と化す。
 “再生”を全開まで引き上げれは、かつてのように異能が暴走し気味の悪い肉塊と化す。
 ただ、両方を限界まで使ったことはない。今現在、東雲由音の中で『蛇口』を破壊したことによって“憑依”は自動的に噴出し限界突破の勢いで力が溢れている。
 これを、全力の“再生”でもって押さえ付ける。
 昔のトラウマが強く残っている為にこれまでやったことはなかった。だが、幼少の頃より二つの異質な力に振り回されて来た由音には、これが実現不可能な夢物語ではないことを確信していた。
 必ず出来る。
 全身を悪寒が走り抜ける。手足の末端まで感覚が無くなり、まるで自分の身体が人形に成り代わってしまったかのような恐怖が湧き上がる。
 その身体を、今度は“再生”が包み込む。噴き上がる邪気を留め、東雲由音という器の中に押し込め封をする。体内で暴れ回る悪霊の全開を異能は心身共にあらゆる面でカバーし、その中から濾すように概念種の力を取り出して行き渡らせる。
(ーーー!)
 人を、外れる感覚。
 理解する。
 今この瞬間、由音は確かに人間という枠から一歩、外へ出た。
「ァぁあああああ!!」
 野獣のように荒々しい声を上げて、邪気を纏う由音は前へ出る。
 初速からして弾丸を超える速度を叩き出して、漆黒のオーラを従えた由音の右ストレートが日昏の眉間を打ち貫いた。
 右拳を振り抜き、吹き飛んだ日昏を追ってさらに左腕を振り被る。
 小さな工場らしき建物の壁面に衝突する日昏へ、同時に左の一撃を叩き込む。壁を粉砕し、日昏の体がくの字に折れて工場内へ飛び込む。
「がぁぁ!」
 逃がすものかと、さらに由音は身を覆う邪気をロケット噴射のように後方へ噴き上げて一気に加速する。
 一瞬で追い付いた由音が半回転振り回した右の脚撃を日昏の真上から振り落とす。
「…ふ」
 くの字に折れたまま由音の攻撃を受けるがままになるしかなかったはずの日昏が、口元を少し開いて笑みの形を作った。
 ギギャリ!!と無理矢理地面に押し当てた両足からおかしな音が鳴り、強引に速度を殺した日昏が由音の脚撃を頭上に掲げた両手で防ぐ。工場の固い地面に亀裂が走り、地盤そのものが数メートル沈む。
「…!」
 今の自分の攻撃を防がれるとは思っていなかった由音が、足を振り落としたままの状態で息を呑む。
「ふふ。…懐かしいな。『陽向』として一番、忙しかった頃を思い出す。…あるいは」
 額から流れる血が顎先から滴り落ちる日昏の表情は、なんとも言えない顔だった。懐かしみ、それを楽しむような、自嘲するような、そんな表情。
 日昏は黒色に染まる人外化した悪霊憑きを一瞥して、再びふっと笑う。
「旭と殺し合った。あの時とも似ているな」
 呟いて、頭上の両手を一気に持ち上げる。
「…チッ!」
 弾かれた片足と共に体が浮く。そこを狙い澄ましてお返しとばかりに地面を踏み砕いた強烈な蹴り上げを由音の腹へ叩き込む。
 一秒の間を置いて、由音の体が真上へ吹き飛ぶ。天井に組まれていた鉄骨をいくつも折り曲げへし折り、何本かを地上へ落としながら由音自身も一緒に落下する。
「ぐ…はっ、はぁ。ぜぃ、はっあァぁアああ!!」
 猫のように両手足を使って着地し、荒い息もそのままに叫ぶ。
 衝突の勢いで全身は傷つき流血が目立つ。
 傷が治っていなかった。
(“再生”を全部使って浸食を抑え込んでっから…体の傷を治す余力がねぇ!)
 普段であれば“憑依”による肉体及び精神への浸食を“再生”を拮抗させることで抑制し、さらにその余力をもって戦闘時における肉体へのダメージを治していた。だが、今はその両方を限界ギリギリまで酷使しているせいで体の怪我に“再生”を回すだけの余裕が無くなっている。
 それに加え、この状態。
(ぶっつけ本番でこんなこと、するもんじゃねえなっ。長くは、もたねえ)
 全面的に過負荷を掛け続けるこの状態は、常に全力疾走しているのと同じようなものだ。長時間の発動はどう考えても不可能。
 わかってはいたが、その前に消耗し過ぎたせいか思っていた以上に限界が近い。
 悪霊に付け込まれる前に、出力を落として安定させていく。
 身に纏っていた黒色の邪気は内側に吸い込まれるように収束していき、染まっていた由音自身も本来の人間としての性質を取り戻す。
 同時に肉体の修復も再開された。
「…興味深いものを見せてくれたが、ここが限界のようだな」
 額と口の端から流れる血を拭い、口から自分の血で赤く染まった煙草を引き抜き新しい煙草を咥える。相変わらず火は点けずに。
「く、っそ…」
 無理な戦い方をしたせいか、傷は治っても体が言うことを聞かない。それでも立ち上がろうと躍起になる由音へ、日昏が歩み寄る。
「……」
 その歩みは、数歩で止まった。
 日昏は静かに溜息を吐く。
「予想外に時間を使ってしまったのが、最大の反省点だな。こうなる前に片を付けたかった」
 自嘲気味に、日昏は由音以外の誰かへ向けて言う。
「ああ。俺もここを見つけるまでに時間を食ったのを反省しないといけない。面倒な結界なんぞ張りやがって」
 壊れた工場の入り口に立っていた彼も、日昏の真似をするように深々と溜息を吐きながらそう答えた。
「それで、用件は友人の助太刀か?神門守羽」
 名を呼ばれても動揺することなく、守羽は相手がくだんの陽向日昏という人物だと認識した上で頷く。
「もちろん。それと、お前を入れた全部に言いたいことがあってな」
 これまでは受け身だった。これまでは後手だった。
 これは逃げ続けてきたツケだ。それを認めて、そうして守羽は決心する。
「逃げるのはもうやめだ。棄てようと思ってた力と知識も取り戻す。その上で俺の問題を全て片付ける。退魔師、お前もその一つだ」
 俺自身が引き起こしたこと、俺の出生にまつわること、俺という性質が寄せ付けてしまうもの。
 これまで好き勝手を許してきた全部を全部、この手で終わらせる。
「これ以上お前らに暴れられるわけにはいかねえ。現状維持で保てない平穏なら、自力で守っていくだけだ」
 目的を得て、目標が見えた。
 そうすると、僅かに心に余裕が出来たような気がしてくる。活路を見出した、というわけではないけど、それでも。
「おとなしく帰ってくれるわけじゃないんだろ?俺も友達がボコられてただで帰すつもりもないしな」
 少しだけすっきりした頭で、俺は退魔師の男と対峙する。

       

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