Neetel Inside ニートノベル
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 いつもと同じ、真昼の屋上の真ん中に俺は立っていた。
 ジリジリと肌を焼く陽射しを極力意識しないように、俺は閉じていた瞳を開いて腰を落とし静かに構える。
「…ふっ!」
 摺り足からのステップ混じりに前へ出る。仮想敵の攻撃を回避しつつ、歩数を数えながら特殊な意味ある歩行を完遂させる。
 九歩ぴったりで周囲の気の流れを鎮め整える場が完成して、俺自身の内側に流れる力の廻りが活性化される。
 陰陽師が使用する魔除けや清めの際に用いられる歩行術、その模倣。基本的に陽向の血を半分しか継いでいない俺の扱う術式は本来の術式からいくらか遠ざかってしまうので、足りない分は自力で補填して完成させるしかない。
 すなわち歩法ほほう改式。名付けるなら“禹歩うほ九跡くせき歩琺ほほう”。
 陽向の人間ならば必ず覚える歩行術の内の一つ。実際に陽向家での教育を受けてるわけではないが、手本は日昏が見せてくれた。
 日昏は七歩で歩行術を完成させていたが、あれはおそらく北斗七星の意味を組み上げて構築した歩法だ。歩数に関しては三、七、九などの空の星や日月の数や意味を参考にして作られるのが基本形になっている。
 そして俺の場合は九。
「……臨兵闘者皆陣列在前」
 九つの意味ある文字を呟きながら平行して両手で印を結ぶ。こちらも文字に応じて九つ。結び終えると同時に二本指を立てた右手を腰の左側に据え、一息で薙ぐ。
 それは抜刀の所作。
 『九字護身法』と呼ばれる陰陽師の、ひいては退魔の術式。
 かつて大鬼茨木童子を両断し、そして酒呑童子に唯一の有効打としてダメージを通した技。
 魔を断つ不可視の斬撃。
「“切九字きりくじ断魔だんま祓浄ふつじょう”」
 空へ向けて薙いだ指先から、真夏の陽光に溶け込むような三日月形の光の刃が薄っすら見えて、遠くに見える入道雲へと飛んでいく。
 あれに物理的な斬撃性能は無い。仮に空中を飛ぶ鳥などに当たったとしても無害だろう。
 前は印を結ぶ余裕もなかったから長々と文言を唱えて発動したが、きちんと印を結べれば発動時間は格段に上がる。
 だが、
(…最速で印を結び、直撃させる。……駄目だ、酒を取り入れて最高硬度に達した酒呑の肉体に断魔の太刀が効くか怪しい。やっぱり大博打になるな……)
 前回とは互いに状況が違う。力を徐々に取り戻しつつある俺の断魔は以前より威力は上がっているだろうが、それ以上に酒断ちをやめて万全と化した酒呑の肉体硬度の方が上回っている可能性は高い。
(さすがに鬼性種最強は伊達じゃねえ。どうやっても勝てる気がしない……妖精、退魔。異能の力を総動員しても、まだ届かない…)
 ヤツは鎌鼬のように風を用いた高速移動や斬撃を撃てるわけじゃない。口裂け女のように数多の武器や都市伝説の特性を扱い猛威を振るうほど器用でもない。日昏や四門のような家系由来の特殊能力を使えるわけでもない。
 だが、ヤツはそのどれをも凌駕する力を有している。それも純粋な物理でだ。
 おそるべきはその一点に集約されている。酒呑童子という人外は、その反則的な肉体それ一つをもってしてあらゆる能力を捻じ伏せる正真正銘の化物だ。鬼神と言い換えてもいい。
 馬鹿正直な真っ向勝負では勝てない。何かヤツの弱点や、断魔の太刀のように人外としての性質を突いた特効性のある攻撃方法があれば話はまた変わってくるが…。
「やめだ、やめ」
 これ以上考えても埒が明かない。おとなしく弁当を食って昼寝でもしよう。行き詰まりには違いないが、いつまでも頭を使っていたところで妙案が出て来る気もしないし。
 屋上のフェンスに背を預け、母さんお手製の弁当を開こうとした時、
「お、ミカドだ。やっほー!」
 そんな陽気な声と共に、フェンスを跳び越えて白いワンピースをなびかせた黒猫が現れた。
「シェリア、またお前…」
「んにゃ?…だいじょぶ!今日はちゃんとかぶってきたよ!ほらっ」
 ずいっと猫耳が隠されたニット帽をかぶる頭を突き出してくるが、今回はそっちじゃない。
「地上から跳んでくんのはやめとけ」
 目撃されたら猫耳よりヤバい。
「周りにヒトがいにゃいの、ちゃんと確認したよ?」
「それでもだ。普通に階段で…いやそれも不味いな」
 私服で走り回る少女というのも校内ではやっぱり異常だ。そもそもシェリアは外見が幼すぎて小学生かよくて中学生レベル。この時間帯に出歩いていたらそれだけで見咎められてしまう。
「どうあってもその姿じゃアウトか…」
 どうしたもんかと思案していると、シェリアはかくんと首を傾ける。俺が何に悩んでいるのかわかっていないらしい。この辺りの人間界事情はレイスにきちんと教育させねばなるまい。
「よくわかんにゃいけど、あたしが出歩くの駄目にゃの?」
「いや駄目ではないんだが、その姿で平日の真っ昼間を堂々と出歩くのは人の世界では色々と不都合があってだな」
「んじゃ、猫ににゃればいい?」
 ふとした彼女なりの提案だったのだろうが、俺はその言葉の意味がわからなくて数秒ほど硬直した。
「……猫になるってのは、なんだ」
 確かにシェリアはケット・シーと呼ばれる妖精の猫だが、だからといって猫に変化できたりするものなんだろうか?
「そのまんま!ちっちゃい子猫ににゃるの!」
 どうやら言葉の通り、シェリアは猫の因子持ちからして俺達人間のよく知る猫の姿へ変化できるらしい。
「ほう。ならそれでここまで来たらいいだろ」
 猫になるとどこまで人型状態と差が生じるのかわからないが、学校へ来るくらいならおそらく問題ないとは思う。
「あっ、でもねー」
 思い出したように両手をぽむと合わせたシェリアは困ったように猫耳を垂らして、
「いっかい猫ににゃるとねー、しばらく元に戻れにゃいんだー」
「なんだそりゃ、自由に変われるわけじゃないのか」
「んー、お日様がでるくらいに猫ににゃったら、沈むくらいまでは戻れにゃいね!」
 ということは一度変化すると半日程度はそのままということか。今まで猫になるところは見たことないけど、人型に比べると四足歩行の猫型状態はデメリットの方が大きそうだ。
「まあいいや。とにかく見つからないようにな。お前だって見世物小屋にぶちこまれるのは嫌だろ」
 結局そう妥協して、俺は弁当箱を開く。いつも通り美味しそうだ。
「うんっ。そいえばシノは?シズもいにゃいね」
 シェリアが俺の隣に腰掛けて、不在の二人を探して屋上をきょろきょろとする。
「由音は叩き割った窓ガラスの後始末で昼休み返上で働いてる。静音さんはクラスメイトと一緒に飯食ってんじゃないか?」
 午前中にあった体育の授業での野球でホームランを打った由音のボールがグラウンドを大きく超えて生徒会室の窓を数枚粉砕したことに激怒した教師と副会長によって、由音は即刻後片付けと掃除に連行された。妥当な判断だとは思う。
 静音さんもここ最近は俺達と一緒に食事を共にしていたりもしたが、本来あの人の認知度と人気は校内全域に轟くレベルだ。金を払ってでも食事を共にと言うヤツも珍しくはないし、静音さんにだって同級生の友人は当然多数いる。食事に誘われて蔑ろにはできる静音さんではないだろう。
「ねぇ、ミカド」
「ん?」
 ご飯を食べながら、隣でぼんやりと青空を見上げているシェリアが話し掛ける。
「オニ、勝てる?」
「―――さあね」
 俺は返答に窮した時の、いつも通りの曖昧な返事をする。
「逃げちゃダメにゃの?」
「駄目だな。逃げればヤツはこの街を潰す。ヤツに二言はないからな。やると言ったら本気でやるだろうよ、あの大鬼は」
 それに逃げ場なんてどこにもない。背後は常に絶壁だ。常時背水の陣のような中で俺は戦ってきたんだから。
「ミカド、オニすっごいつよいよ?」
「知ってるよ」
「…しんじゃうよ?」
「かもな」
「……あたしは、ミカドしんじゃうの、やだよ?」
 珍しい小さくか弱いシェリアの声音に隣を見れば、体育座りをして顔を俯けた不安げな表情が見えた。
 妖精の少女、おそらく彼女は優しい子だ。少し知り合っただけの俺をそこまで心配してくれるのは単純に嬉しい。しかも俺は妖精種全体における大罪人とされている父さんの子だというのに、シェリアはそんなことお構いなしだ。
「死なないよ、俺は」
 シェリアの頭を帽子の上から撫でる。
「俺だってまだやりたいこといっぱいあるからな。簡単にくたばったりはしないさ」
「ほんとに?」
「本当だよ」
 なんとなく、こうやって頭を撫でながらあやしていると保護欲が湧き上がって来る。レイスが甲斐甲斐しく保護者よろしく面倒見ている気持ちが少しわかったかもしれない。
 しばらくそうやって頭を撫でり撫でりしていると、ふとシェリアの落とされた視線が俺の弁当へ向いていることに気付いた。キラキラとした目でおかずを凝視している。
 そういえばこいつ、昼飯はまだ食ってないのか。いつもなら静音さんや由音が自分のおかずとかパンとかを分けてあげていたが、今日は俺以外誰もいない。
「食べるか?」
 卵焼きを箸で掴んで持ち上げると、シェリアのぱぁっと笑顔を見せる。
「いいの!?」
「早くしろ、落ちるぞ」
 ふんわりと柔らかく仕上がっている卵焼きが箸から落ちる前に、慌ててシェリアはかぷりと丸ごと卵焼きを口に入れた。しばらくもごもごと咀嚼してから、両手で頬を押さえる。その両目にはハートが浮かんでいるのを幻視した。
「おいしい!すっっっごいおいしいよこれ!!」
「そりゃそうだ、俺の母さんのお手製だぞ」
 言っては見たが、ここまで喜ぶのは予想外だった。もしかしたら同じ妖精同士で味付けに似たような好みがあるのかもしれない。
 あまりにも喜んで食べるので、俺もついつい自分の分をシェリアに餌付けしてしまう。気が付いたら弁当箱の中身はほとんどシェリアに与えてしまっていた。
「ふうぅ~しあわせー」
「なあ、シェリア」
 幸福そうに腹に手を置いてフェンスに寄り掛かる隣のシェリアに、ペットボトルのお茶を飲みながら気になったことを訊ねる。
「なぁに?」
「レイス…ってか組織の妖精達って、いつ頃ここに来るんだ?」
 シェリアがここにいるのは、一度組織に帰還しようとしたレイスの意思に反して街に残ることを望んだからだ。レイスは自分が戻って来るまでの間の面倒を俺達に頼んだ。去り際にそれほど長くは掛からないような発言を残してはいたが。
「わかんにゃい」
 あっけらかんと放った言葉に、俺も脱力して苦笑を漏らす。まあ、そんなことだろうとは思っていたけどさ。
「でも、そろそろ来てもいいんじゃないかな?」
 それは自分達が本拠地からこの街へ来るまでの時間などを逆算して出した発言か、あるいは適当に言っただけか。たぶん後者だが。
 昼休みが終わるまでの間、しばらく俺はシェリアと他愛のない話をして過ごした。
 大鬼とのことばかり堅苦しく考え続けていた俺にとって、この時間は頭を一度すっきりさせるいい機会だった。本人にその意図はなかったんだろうけど、それでも俺はこの猫耳の少女に密かに感謝の気持ちを抱いていた。

       

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