Neetel Inside ニートノベル
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「……」
 午後の授業が始まってすぐ、俺の視線は黒板ではなく窓の外へ向いていた。
 何か、何かを感じる。
 ちら、と何気なく視線を窓の外から斜め前、由音の方へと転じてみる。
 すると由音もまた妙にそわそわした様子を背中からでもわかるほど放っていた。ワックスを使っているわけでもないのに逆立っている髪の先端が僅かに跳ねて揺れている。もしやあいつの髪の毛は妖怪センサーなのだろうか?
 原因はわからない。わからないが、どうも廃ビル群のある地域の方角から感じるのだ。強大な気配は大鬼のそれで間違いないが、それだけではない。
 感じ取れる強大な気配がもう一つ。その二つの気配がぶつかりあっている。そんなような気がする、気がするだけのとても曖昧な感覚しか掴めない。だが何かがある、そんな確信もある。
(なんだ、この靄が掛かったようなあやふやな感覚は…)
 仮にこれが人外同士の戦闘だったならば、この街の内側くらいの範囲だったら容易に感じ取れるはずだ。だが、それがうまく掴めない。
 考えてみれば、俺以外の者があの地帯で戦闘を行っていたことは無い。だから俺はあの廃ビル群で行われている戦闘の気配を感じたことももない。
 だからか?
 自分自身で異常とも思えるほどに、遠方で起きている人外の気配を感じ取りづらくなっているのは……。



「ん、んぅ…」
 屋上で身を丸くして日向ぼっこを堪能していたシェリアの両耳がぴくんと動く。
 守羽や由音と違い、気配や感覚で状況を掴む類の能力ではなく単純な聴力で遠方の様子を把握することが出来るシェリアは、唯一廃ビル群で起きているのが何なのか、正確に理解できる人外であった。
「うるさいにゃあ…もう…」
 だが夏の陽気に当てられて微睡みに沈むお昼寝中のシェリアは、猫耳をぺたんと倒して外部の音をしっかりシャットアウトしてから、再びすうすうと寝息を立て始めたのだった。



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 大鬼・酒呑童子は強大な力を持つ人外にしては珍しいことに、人間種を侮るということをしなかった。
 奴等は人外情勢の中では最弱種と呼び蔑まれているが、酒呑はそうは思っていなかったのだ。
 人間は感情や信念次第では、時に人外の力を凌駕することがある。死ぬ気で喰らい付き、死を前にしても恐れず牙を突き立てて来る。
 そういう連中だということを、この大鬼はよく理解していた。
 思うに、その理解が足りなかったが故に腹心の部下にして無二の友人であった茨木童子は討たれたのではないだろうかとすら思っていた。
 そして、その脅威は人間に限った話でもない。
 強い信念を持つ者、固い芯を持つ者、退けない理由を持つ者。
 これらはどうあっても強い。何があっても強い。
 例えば眼前の戦闘狂が、その一つに入る。
「くァらあッ!」
 殴り砕かれた刀を放り捨て、もう片方の手で握る刀を両手で構え直し接近してくる悪魔が実に愉しそうに口元を歪ませながら“悪鬼滅刀ドウジキリ”を振り回す。
 微細な傷が蓄積していく拳が血を飛び散らせながら力押しで刀を打ち返し、それにアルは真っ向から受けることを避けて限界まで引き付けてから受け流す。
 贋作の童子切では大鬼の直打はもちろん耐えられない。それは三本折られて理解した。
 さらに、童子切単体では大鬼に攻撃を与えることが叶わないこともわかった。たとえ通じないことがわかり切っていたとしても、使わねばならない。
 左手に童子切を握ったまま、避けきれなかった酒呑の攻撃を掠らせてこめかみから血を流しながら右手を地面に擦り付ける。そこから新たな刀を生み出し抜き出す。
 それはかつての持ち主が雷に襲われた際にそれを斬り伏せたという荒唐無稽な伝承から生まれた長船兼光作の刀。その伝承を持って改められた雷神殺しの名を解放する。
「“断雷千鳥ライキリ!”」
 バヂバチと逆手に持った刀から雷撃が放たれ稲光を発する。
「あァ!」
 近距離から迫る雷撃を裏拳で蹴散らし、次いで来る雷撃を帯びた逆手の刀を徒手で迎撃する。
 迅雷の速度で叩き込まれる斬撃は全て皮膚に傷の一つも与えられず砕け散り、雷撃に紛れて数回織り交ぜた童子切の太刀だけが大鬼に傷を作った。
「「―――ッ!!」」
 砕けた雷の刀と入れ替わりに地中の金属から生成したストックの童子切を取り出し両手の二刀を腕が引き千切れるんじゃないかと思うほど全力で振り下ろし、それに応えた酒呑の一撃が衝突して激震が両者の間で大気を唸らせる。
 弾け飛んだ地盤、立ち込める土埃。空爆でもされたかのような衝撃が周囲の朽ちたビルを次々と崩壊させていく。土埃の中で響く重低音から続く金属の割れる音。欠片となった童子切が四散して煙る視界の奥へ消えて行った。

「は、…ハッ」
「…カカ」

 土埃を引き裂いて血だらけのアルが飛び出て来る。一発の直撃が即死に繋がる酒呑の攻撃は掠るだけでも致命傷足り得る。
「ハァあああああああぁアアあああ!!」
 地面に叩きつけた両脚の間から長大な槍が出現する。ヒュヒュンッとバネ仕掛けのように地面から離れ跳ね上がった槍を掴み矛先を酒呑へ定め思い切り投擲する。
 表面に細かな文様やら異国の文字やらが刻まれた銛のような形状をしたその槍は、武器というよりかは調度品か芸術品に近い神秘さを放っていた。
 ケルト神話から具現させた神域に届く槍。その模倣。
「“投鏃棘鑓ゲイボルグッ”」
 叫んだ名に反応して、酒呑へ一直線に向かっていた槍が弾けるようにいくつかの鋭利なパーツに分かれた。その数、約三十。
 投擲によりその性質を変える神槍が、複数のやじりとなって大鬼を的に定めて殺到する。
「せェいッ!!」
 鬱陶しい鏃の群れを、大鬼はまたしても一撃のもとに蹴散らす。突き出された拳の衝撃は空気を押し固めた砲弾となり鏃を砕き散らすばかりかその直線状にいたアルをも巻き込む。
「ァあがああ!!」
 全力の投擲で僅かな硬直が生まれていたアルはその空圧の砲弾をまともに受けてくの字に折れ曲がり、廃ビルの壁を突き破って内部へ飛び込んだ。直後に拡散した衝撃が廃ビル全体を揺らし、老朽化の進んだ廃ビルはアルを閉じ込めたまま脆くも倒壊してしまった。
「…」
 腕を振り抜いた格好のまま、酒呑は自らの腕に視線を向ける。
 二の腕の辺りに、亀裂の走る刃が斜めに突き刺さっている。切っ先から十センチほどの部分で折れた、半分も残っていない刀身のみの刀の残骸。酒呑の皮膚を傷つけたという事実から、間違いなくそれが先程粉砕した童子切の一部だとわかる。
 どうやら土煙の中で密かに回収していた刀の破片を、分裂した槍の中に紛れ込ませて一緒に投げつけていたらしい。

「ク、ッカカ…」

 ブシャッと刀の破片を引き抜いた二の腕から血が流れ出るのを見て、酒呑は堪え切れなくなったように口元を緩ませる。
「―――“悪鬼滅刀ドウジキリ”」
 倒壊したビルの中から聞こえた小さな声と、斬り払われた瓦礫と粉塵の向こう側から歩いて来る人影を見つける。
 直接的なものではなかったとはいえ、酒呑の一撃を受け着ていたシャツが千切れて褐色の上半身を晒した悪魔がボロボロの身体を引き摺りながら現れた。

「ごぽっ。……ハッハ、あは、ハハ…ッは!」

 バシャバシャと口から零れる血液を拭うこともせず、廃ビルの鉄筋きんぞくを利用して新たに生み出した童子切安綱を両手に握るアルは、内側から湧いて来る歓喜の感情に痛みも忘れてニタリと実に悪魔らしい笑みを浮かべた。
 アルは思う。
 ここでこの大鬼を倒しておけば、我らが大将の息子が行おうとしていた決闘の必要性は無くなる。子を失う絶望をあの男が…神門旭が抱えることも無くなる。
 鬼を放っておけば、いつか無意味な災厄を振り撒く可能性もある。妖精や特異家系の人間を相手にしているこの状況では、そんな不確定要素は出来るだけ取り除いておく必要もある。
 ―――ああ、ああ、駄目だ。
 そんなこと・ ・ ・ ・ ・、本当はどうだっていいのに。
 これ以上自分に嘘は吐けない。
 『反転』という人外特有の現象、症状と言い換えてもいい。それを乗り越え悪魔と転じたこの身に、あの大鬼という存在は余りにも厄介だった。
 闘いたい。あの身にこの力がどこまで通じるのか試したい。日本史上最大最強、そんな肩書きを持つ相手を前に、この衝動が抑え込めるはずがない。
 妖精から悪魔へと堕ちたアルヴという稀有な人外の、『反転』によって追加されてしまった本能こそが、このどうしようもない闘争心だった。
 全身が疼く。早く一歩を踏み出せ、速く刃を繰り出せ。
 そう叫び散らす自分自身の本能に、アルはワクワクとした少年のようで悪魔そのものである凶悪な笑みを引っ込められなくなった。
 酒呑童子は思う。
 この大鬼もまた、これまでの生涯を闘争の赴くままに築き上げてきた者だ。
 最初に殴り倒した者が、何故か尊敬の眼差しで付いて来るようになった。次に闘って倒した者は配下にしてくれと膝を着いた。その次はいつか勝つと宣言して強さを求めながら酒呑の隣を歩くようになった。
 好き勝手に暴れ回っていた牛面と馬面の鬼も、軽く叩きのめしてやったら逃げ出すどころか興奮した面持ちで同行を願い出た。
 最も苦戦させられた、自らと同じ大鬼にして『童子』の名を持つ無二の友人も、邂逅時の戦闘を終え辛勝した酒呑が手を差し伸べると嬉しそうに握り返してきた。それ以降は毎回毎回飽きることなく開かれた酒宴を取り仕切る腹心の部下となった。
 いつの間にやら、酒呑は全ての鬼を従える首領となって一つの山の主となっていた。
 闘いで全ての関係を築いてきた酒呑童子にとって、闘うことがコミュニケーションの一つであった。肉体言語で語り合うことこそが大鬼にとっての会話の形だった。
 だからこそ、その戦闘かいわでわかることは多々ある。
 強い信念を持つ者、固い芯を持つ者、退けない理由を持つ者。
 これらはどうあっても強い。何があっても強い。
 そして酒呑は、そういう連中が大好きだった。敵にしても味方にしても、生命いのちで研磨された牙を振るう相手には敬意すら覚えた。それに応えるように酒呑も全身全霊で持てる力の全てを叩きつけてきた。
 それが楽しかった。言語を交わさなくてもよかった。拳をぶつけ合う度、武器を削り合う度、想いの丈はその威力に乗せて全て伝わっていたから。
 だからこそ、この戦闘かいわでアルがどういった心境のどういう人外なのか、わかった。
 コイツは、同じだ。
 贋作の刀を振るって鬼を打ち倒してやろう、武勲を立ててやろう。
 そんなこと・ ・ ・ ・ ・、何一つ考えていない。
 ただただ、純粋にこの最強の大鬼へ挑み掛かることだけを考えた、どうしようもない大馬鹿野郎だった。
 自然と開いた口から声が漏れる。さっきからずっと、酒呑は自分の表情を制御できていなかった。
 この悪魔が当初どういった思惑でここへ来たのか、それすらどうでもよくなって。
 酒呑は、無謀にも最強の鬼へと武器の切っ先を向ける悪魔へと最大限の誠意をもって拳を突き出した。

「ハハハッ!アはっ、ハハハハハ、はは…ハハハはハハハハハッッ!!!」
「クッくく、クカカ!クァッカカかカカカカカァッ!!!」

 壊れたように高笑いを続けて、目の端に涙すら浮かべて。
 ただ闘いにのみ狂い、鬼と悪魔は言葉を捨てる。
 残るは刃、残るはかいな
 激突はさらに熾烈を極める。

       

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Neetsha