Neetel Inside ニートノベル
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「あ、きたっ!」
 休日の昼間に自宅の玄関先に立っていた静音は、同じく隣でアスファルトの路面にしゃがんでいたシェリアの声に反応して道の先を見た。
 本当であれば、静音は今頃始まっているであろう鬼と守羽との戦闘に立ち会いたかった。戦力にはなれないし邪魔になるのは分かっていても、家でただ勝敗の結果を待つだけというのは彼女にとっても辛いことだったからだ。
 それをしなかったのは、単純にはやはり守羽の邪魔をしたくなかったから。それと、シェリアのこと。
 家で面倒を見ていた猫耳猫尻尾の少女が、仲間の到着を察知したから。それを出迎える為に二人は家の中ではなく炎天下の外に出て待っていた。
 青天の夏空から降り注ぐ陽光によって揺らいだ景色の向こうから、一人の男が歩いてくる。見覚えのある、妖精の青年だ。
「おーいレイスー!」
 両手を振って跳びはねるシェリアを見て、こちらへ歩いて来る彼はその元気っぷりに少しだけ安堵の表情を見せたようだった。
「シェリア、息災で何よりだ」
 人の世界に馴染む為に髪を黒に染めた妖精種の青年レイスが家の前まで来てから足を止め、シェリアに一言かけてから静音へと視線を移す。
 前回の大鬼戦にて会話こそ無かったものの両者の顔合わせは一度済んでいる。
「お前は、『鬼殺し』…神門守羽の友人だな。…シェリアの面倒はあの二人に任せたはずだったんだが」
「はい。守羽と由音君に代わって、私が家に招くことを提案しました。一応、男子よりかは女である私の家の方が色々と手間は少ないかと思ったので」
 それっぽい理由を即席で思いついて口にはしたが、実際は静音がシェリアを家に呼びたかっただけだ。
 表向きにでも真っ当な理由があった方が無駄な波風を立てずに済むだろうと判断したが故の理由付けでしかなかったが、存外にレイスは感嘆したように深く頷いた。
「うん、確かに。…シェリアも、これで一応子供とはいえ女子だからな。抵抗する力こそあれ、まだ考えの浅い部分は多々ある、人の世においては謀られることも騙されることも珍しくはないからな。神門守羽と東雲由音にその辺りの疑心があったわけではないが、気配り感謝する」
「いえ、別にそれほどのことは」
「それと敬語はいい、言うのは慣れているが言われるのはどうもな」
 軽く頭を下げたレイスが、ちらとシェリアの顔を眺めて、
「改めて礼を言う。この小喧しい娘の面倒を見るのは苦労が絶えないことだったろう」
「全然。楽しかった…よ」
 咄嗟に敬語になりそうだった語尾を直すと、静音は少しだけ腰を落として隣に立つシェリアと視線の高さを近づけた。
「それじゃあシェリア、お別れだね」
「うん!またねシズ!」
 またね。
 何を思うこともなく、ご近所付き合いの幼馴染のようにまたすぐ会えることを信じて疑わない様子のシェリアの言葉に、静音は少しだけ潤んだ瞳を細めた。
 妖精の少女との関係が、今後も続くわけがない。普通に考えて、こんな状況自体がただの人間である静音にとっては異常なのだ。そして異常とはいつまでも継続されていくものではない。
 いつか来る終わり。永遠のお別れ。
 純粋な人間である静音はそれを覚悟し理解していたが、純粋な妖精にして外の世界をほとんど知らないで生きて来たシェリアには、それがわからなかった。
 だから、この『お別れ』に対する認識もまた互いに大きく異なる。
「…?シズ、どしたの?」
 そんな静音の表情を見て、シェリアは純粋に不思議そうな顔をした。すぐにその顔は驚きとも戸惑いとも取れる表情に変化し、しかしすぐにまたにぱっと笑顔になった。
「だいじょぶ!よくわかんにゃいけど、だいじょぶだよっ」
 そう言って自らの小さな手を静音の頭に乗せ、それからゆっくりと長い黒髪を梳くように撫でる。
 静音の家で頭を洗ってもらった時、髪を拭いてもらった時、あるいは一緒のベッドで眠る前にそうしてもらったように、普段誰にでも撫でられてばかりだったシェリアが、今度は無邪気な笑顔で今までしてもらったことを模倣するように優しく静音の頭を何度も撫でた。
「……うん」
 普段撫でることはあれど撫でられることなどなかった静音にとって、その小さな人外の女の子にされた行為は、幼い頃の記憶を想起してひどく安心できるものだった。
 目元を軽く拭う仕草をして、静音はシェリアの笑顔に倣うようにふわりと微笑み返した。
「またね、シェリア。また一緒にお風呂入って、ご飯食べて、眠たくなるまでお話しよう。待ってるから、いつでも来てね」
「すぐ来るよっ!シノやミカドともあそびたいし!!」
 即答したシェリアに静音は頷き、それを見ていたレイスは微動だにしなかった。
「我ら人外と関わったこと、あまり記憶に留めておくことは勧めない。出来れば早々に忘れ、深入りを控えろ。……それが普通に生きる人間の為だ」
 聞こえるか聞こえないか程度の、呼気に混ぜたようなか細い呟きを残して、レイスは背を向け歩き出す。
「シェリア、行くぞ。他の面々が待っている」
「うんっ!じゃねっ、シズ!」
 片手を振りながらレイスの背中を追い掛けるシェリアの姿を、手を振り返しながら静音はずっといつまでも見送っていた。



「―――『イルダーナ』っ!?」
「ああ、それで問題ないか?」
 道中で新たな組織名を聞かされたシェリアが目を輝かせながらレイスを見上げる。
「すごいすごい、かっこいい!決定!イルダーナで決定だよ!!」
「いや、もう決定しているんだがな…。まあ、気に入ったようで何よりだ」
 元々、シェリアの為に変更した名だ。当人のお気に召したのであればもう彼らの誰もが文句を挟むことはない。
「それで、ほかのみんにゃもこっち来てんのっ!?」
「ああ、目的を達する為にな」
 目的、と聞いてシェリアの表情に陰が差す。
「……ミカド?」
「そうだ。…そんな顔をするな、我らの目標は神門旭であって息子の守羽はひとまず対象からは外した」
 安心させるようにレイスが補足するも、シェリアの表情は晴れないままだ。
「うん……。その、ミカドアキラをつかまえるの?」
 浮かない顔をしたまま気乗りしない様子で確認すると、レイスは一度頷いてから渋面を作って、
「気配は掴み、すぐさまその場へ急行はした。だが逃した。まさかあんな大術式を単身で発動できる者が人間種にいたとはな、もうしばらくはこちらの世界へは戻ってこないだろう」
「こっちの、せかい?」
 こてん、と小首を傾げたシェリアに、レイスは渋くしていた表情を少しだけ柔らかくする。
「我らの故郷たる妖精界と同じ、この世界の空間を少しだけ切り取って全く別個の違う世界を生成する術式機構、“具現界域ぐげんかいいき”。神門旭と対峙していた者がそれを生み出し、未だ両者はその空間に閉じ篭ったままだ。おそらく対決に決着がつくまで動きは無いと見ていい」
 忌々しそうに、だがそれでも余裕を持った語調でレイスは何もない空間を見上げて呟く。
「…まあ、好都合ではある。神門旭が“具現界域”の発動者と闘って勝とうが負けようが、激しい消耗は間違いない。捕縛を目的とする俺達はそこを狙って漁夫の利を得ればいいだけのことだからな」

       

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