Neetel Inside ニートノベル
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 うたが響く。
 それは誰も聴いたことがないような不思議な旋律。声帯から紡がれている音なのかどうかさえ不明瞭な、聴く者の心を捕らえる音。
 強風の吹く高層オフィスビルの屋上で、風音にも左右されぬ確たる女性の声が、その場にいた『イルダーナ』の面々の動きを縛り付ける。
「ぐ、ぬっ…!!」
「これは…」
「なんですか、身体、が……」
 急激な変化に、それぞれが体を震わせながら屋上に膝を着く。
「相変わらず強力なのな、音々。お前さんの唄は」
「ま、それが私の本領で唯一の取り得だからね」
 唄を紡いでいるはずの音々が、まるで唄の副音声のように平然と言葉を口から放つ。当然、その最中も途切れることなく唄は続く。
 会話と唄とで、音々の喉からは二つの音が発生していた。
 さらにもう一つ、目を引く点が音々にはあった。
 背中、肩甲骨の付近から生えた黒翼。着ていたシャツと長い赤毛の髪を押し上げて、鴉のような光沢ある黒い翼が一対。
 それは、音々という人外そのものを示す特徴であった。
 人外種には、それぞれにそれぞれの種族として判別する独自の先天的特徴がある。
 たとえば、悪魔を筆頭とする魔性種ましょうしゅの者達は、皆が共通して黒く淀んだ不気味な瞳をしてる。これが魔性種の先天的特徴、存在の象徴たる『魔性の穢瞳あいどう』だ。
 音々の場合は翼、つまりは動物的な特徴を具現させてある。さらにその色は魔や負を連想させる黒色。
 よって音々の人外としての区分は、

魔獣種まじゅうしゅ……なるほど、お主が『魔声ませい』か」

 苦悶の声が弱々しく聞こえる中で、しわがれた老人の声だけがはっきりと言葉を放った。
「音々っ」
 レンが音々の体を引くと同時、『イルダーナ』がいるビルと隣接していたオフィスビルの屋上の縁に巨大な杭のようなものが三つ、コンクリートを穿ちながら突き刺さった。
「…なんで効いてないのよ、私の唄が」
 宙に舞いながら、音々は気に喰わないとばかりに眉間に皺を刻む。
 一人だけ、杖をついて背筋をピンと伸ばした白髪の妖精ファルスフィスは髪と同じく真っ白な髭を片手で撫でつけながら微笑んだ。
「生憎と、老いたせいか難聴での」
「ボケて深夜徘徊するのも時間の問題ねジジイ!」
 互いに皮肉をぶつけ合う中、冷や汗を垂らしたレンが慌てたように、
「おい音々、あんま暴れるなって。俺も飛ぶのあんま得意じゃないんだ」
 そう言って音々の両腕を掴んで滞空しているレンの背中には、薄っすらとだが半透明の羽が接続されていた。音々の持つ鳥のようなものではなく、むしろ虫…蝶々を思わせる羽。
 自然界において精霊種の次に関わりの深い妖精種由来の存在の象徴『妖精の薄羽うすばね』である。
「ってか音々も翼あんだから自力で飛んでくれよ」
「私のコレは単純な飾りよ!魔獣種としての動物的象徴でしかないんだから」
「なにその見かけ倒しー」
 文句を垂れ流しながら、レンがゆっくりと音々を再度屋上に降ろし、自分も両足を地面に付けてから限界とばかりに羽を消失させた。
「な、るほど…ヤツが『魔声ネネ』だったか」
「魅了の唄声で数多の船人を惑わせ殺してきたと云われる、忌み嫌われた海の怪物。説得力のある歌唱力だったね」
 ファルスフィスの攻撃によって中断された唄から束縛を解放されたラバー及びティトが前に出て音々を見据えて身構える。
「あーあ、ああなるともう封縛の唄は通じないわ。ある程度身構えられると耐えられちゃうから」
「じゃあファルスの爺様はずっと身構えてたってことか」
 自らの術を突破されたことに若干の苛立ちを見せながら、音々は長い赤毛の髪をふぁさっと掻き上げる。
「結局、真っ当な戦闘になるわけね。めんどくさ」
「しょうがないさ。音々、俺に唄掛けてくれ。強化の唄」
「…それもめんどくさ」
「俺に死ねと?」
 『突貫同盟』の旧友同士が状況を無視した呑気っぷりを見せている中で、ラバーとティトの後方から杖を両手で握り直したファルスフィスが相手方の正体を暴露する。
「あの女子おなごの真名は知っている者もおろうが…『岩礁の惑唄セ イ レ ー ン』だ。彼奴きゃつの唄声には細心の注意を払え」
「なんかしょうもない会話している間に私の正体バラされたんだけど」
 青筋を浮かべて音々がファルスフィスを睨む隣で、レンはついさっき屋上の縁を穿ち砕いた三つの杭を指差す。
「こっちもやっとくか。ほらアレ」
「なにあれ、…?氷?」
 屋上の縁に突き刺さった白っぽい杭状の物体は、よくよく見れば表面がゴツゴツと粗削りされた氷塊だった。
「妖精界の古株、『氷々爺ひょうひょうや』ファルスフィス。氷の妖精だよ」
 音々の真名暴露のお返しとばかりにレンが明かすと、それに応じるようにファルスフィスの突いた杖を中心に周囲にピシパシと霜が張る。
「わたくしは下がっていますね。戦闘能力はほぼ皆無ですので」
「知ってる。黙って隅っこにいればいいのだお前は」
「……いちいち棘があるんですから」
 ジト目で金髪の美女ラナが樽のような中年髭男ラバーの背中を一瞥して屋上の端っこまで避難する。
 そんなラナの避難を見届けてから、ラバーは着ていた革のエプロンの前ポケットから取り出した愛用の木槌を片手にしっかりと握る。
「フン。では、改めて始めるとするか」
「あまり派手に仕掛けるのはやめてね、ラバー。人の世に、出来るだけ迷惑は掛けたくない」
 頭に乗っけていた赤いベレー帽を外して、(少なくとも外見上は)幼い少年であるティトも両手を持ち上げる。
「数が合わぬが、不平は漏らしてくれるなよ。『突貫』よ」
 空気中の水分を掻き集めて氷結させ、いくつかの氷の砲弾を周囲に発生させながらファルスフィスが先手を撃とうとした、その時だった。
「む」
 レンと音々の立つビルを跳び越えた後方上空から、斜めに真っ直ぐ何かが降ってきた。すぐさま前面に展開した氷の盾で組織の仲間ごとそれを防ぐ。
「ほう……」
 氷の盾に突き刺さった約三十ほどのそれは、よく砥がれた鋭利なやじりだった。
「見覚えがあるの。確か“投鏃棘鑓ゲイボルグ”、だったか。まったく、無暗やたらに神話の武具を模倣し振り回しおって。あの大馬鹿めが」



「―――数では優勢だから楽勝、とか思ってんのか?クソジジイがよぉ」
 二つの組織がぶつかっていたオフィスビルから遠く離れたマンションの屋上で悪態を吐くのは、幼い少女に支えられながらも次撃用の槍を地面から生成しているアルだ。
 全身に包帯を巻いて右手に関しては添え木とギプスで固定されまるで使い物にならない有様だったが、右の脇に挟んだ自前の杖を地面についてどうにか瀕死の体を立たせていた。
「援護射撃、次行くぜ」
「……アル」
 腰にしがみ付くようにしてアルの体を支えていた白銀の髪を持つ少女白埜しらのが、何か言いたげにアルを見上げる。
「わかってるって。そんなに無茶はしないから。それにあんまこのマンションから武器創りまくってるとその内にこの建物崩落しちまいかねないからな」
 アルは金行…つまりは金属を操る能力に長けた元妖精だ。その才能と持ち前の人外としての起源を利用して数多の武装を生成することが出来る。
 今は屋上の地面を伝ってマンション内部の金属を掻き集めて武器を生み出していたので、これをやり過ぎると鉄骨の強度が足りなくなってマンション自体が自壊する恐れがあるのだ。
 左手で投擲用の槍をブンブン振り回して遊んでいたアルが、彼方にいる『イルダーナ』の長である白髪の老妖精の姿を思い浮かべ、
「テメェらの思い通りになんかさせねえからな。老い先短い氷妖精ジャックフロストめ……」
 忌々しく、その真名を吐き捨てる。

       

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