Neetel Inside ニートノベル
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「そう…辛かったね、シェリア」
 由音に連れられて静音の家に再び戻ってきたシェリアは、事情を受けてただ静かにシェリアを両手で抱き留めた。
「……シズ」
「うん、大丈夫。好きなだけ、ここに居てくれていいから」
 垂れた猫耳ごと頭を擦り付けるように静音の胸へ押し当て、シェリアは小さく頷いた。
「…んじゃ、あとは頼みます。センパイ」
「任せて。ありがとうね、由音君。連れて来てくれて」
 無言で頷いて、由音は背を向ける。
「あ…っ」
 歩き去るその背中に声を掛けようとしたシェリアは、その鋭敏な聴覚で由音の小さな呟きを拾い、開きかけた口を閉じた。
『元気出せ。お前のそんな顔、見たくねえ』
 苦痛の滲み出すような呟きは、いつまでもシェリアの耳に強く残っていた。



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 とあるマンションの地下で、アルは胡坐で冷たい地面に座り込んでいた。
 綺麗に整地され、等間隔に地下を支える柱が立ち並ぶ広い空間の中央。そこには厚い片刃の剣が突き刺さっていた。時折、その刀身が鼓動を打つようにドッドッと震える。剣の鼓動は地下全体を揺らしていた。
「それ、使うのか」
 背後で様子を見ていたレンが、剣に嫌悪の視線を向けながら言うと、アルは閉じていた瞳を開いた。
「ああ。コイツだけでも百人力だが、念には念をな」
 答えて、傍らに置いてあった大業物童子切安綱をコツンと指先で小突く。
 ここは彼らの住む一室があるマンションの真下であるわけだが、実の所このマンションには地下など存在しない。
 ただアルが無断でこじ開け出入り口を偽装し、普通の人間にはバレないように生み出した専用の工房だった。
 それは地面の下にある鉄、金属、鉱物、それら『金行』に連なる属性物をこの一点に集約させ、強力な武器を生成する為の鍛冶場。数々の贋作はこの場にて創られたものがほとんどだ。
 その中でも、長年に渡り研磨と錬成を繰り返した至高の一振りが此処にある。
 “不耗魔剣ティルヴィング”。
 名の如く決して摩耗せず、消耗せず、減耗せず、損耗せず。刃は欠けることなく毀れることなく、唯一無二の鋭さを誇り続ける呪い・ ・の剣。
 北欧神話において使い手にすべからく破滅をもたらすと伝えられている、片刃にして諸刃である最悪の魔剣。
 しかしてアルの生み出してきた贋作の中では最上にして至上の出来映え。当然だ。この剣は数年かけて綿密に創り上げて来た最高傑作なのだから。
「同盟からは音々を連れてく。機械弄りしか能がねえお前は妖精界では足手纏いだ。白埜と姐さんを頼む」
 剣の柄に手を掛けて、ゆったりと立ち上がるアルの背中を眺めながら、レンは問い掛ける。
「それはいい。けどお前、何の為に行く?」
「理由なんざ挙げ出したらキリがねえ」
 ガギ、ギギン……と、突き刺さる剣先から鉄が競り上がり、魔剣の刀身を薄く覆っていく。それは次第に形を整え、鞘と成った。
「旦那を取り返しに行くのが第二、せがれのガキを守るのが第一。あとはまあ、氷々爺ひょうひょうやのクソジジイも残り少ない余命を消し飛ばしてやろ。レイスも苛々すっからぶっ飛ばす。現妖精王は武力が高いって噂だから野郎とも一戦。邪魔する妖精連中は全員薙ぎ倒す」
「やっぱお前、戦闘そっちが本命じゃんか」
 魔剣ティルヴィングと大業物童子切安綱をそれぞれ手に持ち、二刀流で虚空へ向けて振り回すアルを呆れたようにレンは横目で見る。
 長年の旧友には、その真意が知れていた。
「アルお前さ、実は旦那さんの奪還とか倅さんの護衛とか、どうでもいいと思ってるだろ」
「…………ハッ」
 我流の型を描きながら二刀を振るうアルが、数秒の沈黙の後に息を吐き出す。
 命懸けの死合いにこそ生き甲斐を見出す戦闘狂は、そんな本質を押し隠して二刀の演舞をピタリと止める。
「レン、言い方が悪いんだよテメエは。旦那のしぶとさはよく知ってるし、その倅も同じだ。なんせ俺がボコボコにされた鬼神を倒したヤツだぞ。神門守羽は背中に庇う弱者でなく、肩を並べて戦う強者だ。…なら、俺は俺で多少は勝手をさせてもらう」
 別に倅は俺らの大将じゃねえしな、と付け足してから、アルは型を解いて振り返る。それを見届けて、レンはよくわからなそうに首を傾げた。
「勝手って、勝手に暴れ回るってことか?」
「それ以外ねえだろ」
「まあ、お前らしいけどさ。でもアル、それだけじゃないよな」
 地下から地上へ出る秘密の階段の一段目に足を掛けたところでアルの動きがまたしても止まる。
 …真意の底、さらに読まれている。
「次の戦いは妖精界の侵攻、俺ら同盟にとっては二度目だ。確かに前回よりも厳しい戦闘になることは確実。お前にとって死地は望む所だろうけど、それだけじゃないよな?」
「…まあな」
「何がある」
 元々同盟仲間に隠し立てをするつもりは無かった。だから訊かれれば答える気ではいた。
 だが、それでもアルは言葉を濁す。明確に何かを示すことが出来なかったからだ。
 言ってしまえばこれは勘。
「わからん。だが何か引っかかる。小骨が喉に刺さるような、視界の端で蚊が飛び回るような、そんなどうでもいいことのようで、妙に気になる何かがある。…気がする」
「……そうか」
 曖昧で適当な発言のようだが、レンは表情を固くして足を階段へ向けた。共に階段を上りながら、背後で気の張った声音でレンが告げる。
「なら最大限注意しとけ。お前の勘は本当に馬鹿に出来ない時があるから」
「ああ、んなこと俺が一番よく知ってら」



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「駄目だ、母さんはここに残ってくれ」
 夜。由音達や父さんの同盟連中を帰してから俺と母さんは長らく話し合った。内容は父さん奪還のこと。
 妖精界へ殴り込むことは既に俺の中で決定事項だった為、これは断固として譲らなかった。ここまで頑なに親へ意見を押し通したのは随分久しぶりだ。
 最終的に折れた母さんが自分も付いて行くと言ったが、これも俺が止めた。
「母さんも狙われてる身だ。捕まったら妖精界で父さん共々出してはくれない」
 父さんと違い、母さんは元々妖精界の住人ということで連れ戻そうとしているのが主目的のようだから酷い目に遭わされることはないとは思うが、俺としてはやはりここに残っていてくれた方がありがたい。
「でも、危険なんだよ!?言ったら戻ってこられるかどうかだってわからない、それに向こうは一つの世界で、一つの国。守羽は見たことないから知らないだろうけど、妖精界全てが侵入者に牙を剥けば、そんなのはもう戦争だよ!」
 …そうか。戦争か。
 言われてみればそうだ。
 敵は父さんを捕らえている妖精界。世界が相手となれば、確かにそれは戦争と呼ぶに値する騒乱だ。
 そして、
「父さんは、そんな戦争を突破して母さんと添い遂げたんだろ?」
「―――っ」
 俺の父親は戦いを勝ち抜いて、大切なものを手に入れた。立場と立ち位置は違うけど、これは『その時』と同じ状況だ。
 なら、『その時』父さんがやったことを、俺がそのままなぞればいい。
「俺がふがいない父親を引っ張って戻ってくるから、母さんはそれを待っててよ。大丈夫、たぶん俺は、一人じゃないから」
 仁徳がある、などと己惚れるつもりはない。父さんほど多くの仲間に信頼され組織を率いれるとも思っちゃいない。
 だけど俺には、どれだけ突っ撥ねようが追い払おうが構うことなく俺に手を貸し続けてくれる確かな人間がいる。
 巻き込みたくなくて何度も辛く当たってきたのに、あいつはやっぱりお構いなしに俺を助けてくれた。
 きっと、今回も。
 そのことがとても嬉しく、これほど頼もしいと思ったことはない。



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 共に同じベッドで眠っていた静音を起こさないように、シェリアはゆっくりと外に出て、屋根に上がっていた。
 夏の夜がむわっとする温い風を吹かせて来る。肩に触れる程度のウェーブがかった黒髪を湿った風に流して、猫耳少女は夜空を見上げる。雲間からは三日月の光が見え隠れしていた。
 光っては消える月をぼんやり眺め、尻尾を揺らし少女は思案に暮れる。
 どうすればいい。どうすれば全て丸く収められる?
 そもそも、何から始めれば、自分は何をすればいい。最善は?最短は?
 わからない。
「……」
 神門守羽が覚悟していた通り、これは戦争に限りなく近いレベルの騒乱だ。それだけ事態は重く、因縁は深い。
 まだ幼い少女に、この大事をつつがなく終結を至らせる活路など見出せるはずもなかった。
 考えて考えて、何も浮かばずシェリアは屋根に腰を落とし両膝を抱える。
 自らの無力さを前にして様々な感情が渦巻き、思いがけず機嫌の悪い猫のような呻き声が漏れる。じわりと水分が瞳の表面を覆う。
 それが玉となり屋根に落ちるより前に、

「だーから、やめろってその顔!」

 ぽすんと頭に手の平が乗せられ、奈落の底まで落ち切りそうだったシェリアの心を掬い上げた。
 この挙動、この声音、この口調。
 顔を上げずとも誰だかわかる。
「…どしたの?」
 その少年の一言と一挙動のみで、シェリアはいくらか平静を取り戻せた。頭を撫でつける手の平の温もりが惜しくて、あえて頭は上げずに口だけ開く。
 隣にどっかりと座って、由音はいつもの調子で話す。
「いや、なんとなく。…気になってな!」
 気の利いた言い回しも出来ず、結局そのまま答えてしまったことに気恥ずかしさを覚えたのか、頭を撫でるのとは逆側の手で頬を掻く。
「……守羽は、きっと行く。その妖精界?ってのに。んで、守羽が行くならもちろんオレも行く。静音センパイも付いて行くだろうな!」
「シュウと、シノと、シズ?」
「おう!あと親父さんの仲間もきっと行くはずだ!」
 神門旭の仲間と聞いて思い浮かぶのは、妖精界で共に暮らしていたアルヴとグレムリン。それと、あの魔獣種の女性は音々と言ったか。
 これらが全て結集するとなれば、かなりの大戦力となる。数ではなく、質の方面で。
 あるいは妖精の束ねる一世界とも渡り合えるやもしれぬ。
 それがシェリアにとっては少し不安であった。
「オレ達の目的は親父さんを取り返すことだ、だから必要以上に暴れたりはしねえ!妖精界ってのは、お前の故郷だもんな。平気さ、守羽だってなにも妖精を皆殺しにして親父さんを取り戻そうとはしねえよ」
 ぽんぽん、わしわし。
 綿毛のように軽い髪を梳いたり弾いたり。いいように弄ばれてもシェリアは何も言わない。怒っているのかなとちょっと思ったが、そうでもなかったらしい。
「うん」
 抱えていた両膝から顔を上げたシェリアは、一つ頷いて正面を向いた。
「ね、シノ?」
「なんだ」
「あたし、何ができるかにゃ?」
 しばし黙考して、由音はニヤッと不敵に笑った。
「わからん!」
 だが出て来た言葉はだいぶいい加減だった。
「わからんけど、お前にはお前にしか出来ないことがあるだろ!オレもそうだ!だからオレはオレに出来る精一杯をやる!そんだけだ」
「うん、うんっ」
 そんなおざなりな台詞を前に、シェリアは深く大きく頷いた。跳び上がるように立ち上がり、
「そうだよね!うん!あたしも、あたしができること、やるよっ」
 全てを丸く収める方法なんて知らない。思いつきもしない。
 でも、それで何もかも投げ出す理由にはならない。出来ること全てをやって、それでも駄目ならまた考えるだけだ。
 先を見るのはやめた。やるべきことは眼前に山ほど転がっている。
 今は心が痛くても、今は妖精仲間に裏切者と謗られても、信じて進む。
 何を?
 自分の考えを、選択を、決断を。
 隣で笑う人間の少年を。
 今は対立する立場となってしまった、『イルダーナ』の面々を。
 そしてなにより、この快活な少年が絶対の信頼を置いている、彼。
 我らが大将み か ど し ゅ うを。

       

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Neetsha