Neetel Inside ニートノベル
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口裂け女の伝承は、他の人外と変わらず諸説ある。
その内の一つには身体能力によるものもあり、なんでも百メートルを六秒を走り切ると言われているとか。地方によっては三秒で走るとも。
ともかく、人に自らのおぞましい容貌を見せつけ襲う口裂け女は足が速いという認識が強い。
コイツも、忠実にそれをなぞっていた。
最初の一振りは俺の首を横薙ぎに狙って来た。
「……ッ!」
咄嗟に頭を仰け反らせ、皮一枚のところで回避する。
「ヒッヒャァ!」
仰け反ったせいで空いた胴体に口裂け女の蹴りが入り、呻き声が漏れる。
「うっ!」
「ハァァ!!」
さらに肉迫した口裂け女が片手で大太刀を振りかぶる。俺の胴体を両断せんとすべくして振るわれた一刀は、体当たりで俺を真横に弾いた人面犬に直撃した。
「ぬ…っ!」
咄嗟に全身の毛を硬化させた人面犬の体が、クリーンヒットした野球ボールのように斜め上空へ吹き飛び、廃ビルの中層へ破壊音を響かせながら突っ込んだ。
「クソ犬!」
「ヒャハッ!」
「チィ!」
人面犬に気を割いている余裕は無い。真上から振り落とされる太刀筋を読み、瞬時に全身へ異能を巡らせる。
(両腕力四十五倍っ!)
脳天を真っ二つにされる直前に両手で太刀を挟み受け止める。
ズンッ、と凄まじい圧力が掛かり、どうにか白刃取りを成功させた両手から血が流れる。
「守羽っ」
「下がってて、ください…!近づいちゃ駄目だっ」
背後から聞こえる先輩の声に、振り返らず答える。
「ヒッヒ、ヒヒヒヒ!!」
片手とは思えないほどの力で刀を押し付けてくる口裂け女は、その視線を俺を越えて向こう側、つまり静音さんへ向けていた。
一瞬で殺意が湧いた。
「どこ、見てやがんだテメエ」
その人を見るな、その人に意識を傾けるな。
関係ない人間を、俺にとって大切な人間を。
「巻き込むんじゃねえ……!!」
両手を離し、頭を少し右に傾ける。
障害を失った大太刀が直下に落ちて俺の左肩に沈む。
噴き出る血が頬に飛び散るのをそのままに、念じる。
(左握力五十倍)
左手で口裂け女が大太刀を握る手首を掴み、捻って固定する。
(右腕力五十倍)
強化した右腕で、掴んだ口裂け女の肘を思い切り殴る。
手首を捻り腕関節の余裕を奪い叩き込んだ一撃は、簡単に肘を真逆に折り曲げた。
「ギィッ…!?」
「…!」
殴った腕が痺れる、握った手が痛い。
人間としての“倍加”の限界値である五十倍を引き上げた反動だ。これ以上の異能の行使は肉体の破壊を伴う。
だが、構うことか。
静音さんがいるこの場は、絶対に退けない。
折れた腕で手放された大太刀が肩に食い込んでいるのも無視して、口裂け女の胸倉を掴み、引き寄せる。同時に限界まで引き絞る全力の右拳。
その頭、粉々にしてやる。
(八十、倍ッ!!)
ボッ!!
ジェット音のような空気を引き裂く音を引き連れて、俺の右拳はその機能を代償に必殺の一撃を生み出す。
「………なっ」
衝撃波すら伴う渾身の右ストレートは、しかし口裂け女の頭部を破壊するに至らなかった。それどころか、掠らせることすら出来なかった。
俺の一撃が当たる寸前、口裂け女の首から上がひとりでに真上へ跳んだからだ。
引き千切ったわけじゃない。俺が掴んでいたのは胸倉だ、どうあったって首が千切れるわけがない。
ただ、口裂け女の首は気持ち悪いほどスッパリと綺麗にその断面を見せていた。跳んだ頭部の切断面も同様に。
「ヒヒャハハハハハッハッハハハ!!!」
頭部だけの口裂け女の引き裂かれた口が、地面へ落ちながら愉快そうに大声で嗤う。
「コイ、ツ…!」
対する俺は、激痛に顔を顰めていた。
限界を超えた一撃、しかも空振り。
腕がもはや腕として機能していない。反動は骨を砕き、筋組織をズタズタに引き裂いた。この右腕はもう使えない。
首から上を失った肉体が、それでも俺へ狙いを定めたまま全身を使ってタックルしてくる。
「い゛って!」
腕の痛みに気を取られて体当たりをモロに受けた俺は、そのまま背中から地面に倒れた。
起き上がるより前に、不気味な首なし口裂け女の体が俺に馬乗りになって体の自由を封じる。
「クヒヒヒッ」
地面に落ちて転がった首が、横向きにこちらを見たまま笑む。
ゴキンッと、俺が外した手首の関節を強引に入れ直した手が俺へ伸びる。

「…その回避手段、誤ったな」

渋い老紳士然とした声が聞こえ、廃ビルの窓ガラスを突き破って柴犬が飛び出て来た。
「クソ犬!」
「神門、その身体を押さえていろ!」
通常の犬ではありえない速度でこっちへ駆けてくる人面犬の命令に従うのは癪だったが、それ以外に俺にやれることは無い。仕方なしに残った左手で手首関節を入れ直した口裂け女の手を掴んで人面犬への対処を防ぐ。
胴体は頭部への危機を悟ったのか向かおうと必死だが、そうはさせない。
「ギギィッアアアアア!!」
「その性質にも覚えがある。貴様、首無しライダーの都市伝説をもその身に取り込んだな」
やがて叫ぶ口裂け女の頭部へ辿り着いた人面犬が、その薄汚れて痛んだ黒髪を口で咥え、頭を持ち上げる。
「しかしだとすれば好都合だ。今の貴様の性質上、最も優先すべきは私でも彼でもなく、」
髪を咥えたまま、人面犬はその身を大きく振り回す。胴体は激しく抵抗するが、片腕が折れて頭も無い肉体程度なら今の俺でも押さえ付けられる。
さながらハンマー投げのように回転しながら加速する人面犬が、咥えた口から最後にこう言った。
頭部コレ、だろう?」
そして最大速度に達したところで、人面犬はその頭の角度を斜め上方へ向けて口を放す。
「ギッギャアアアアアァァァァァァッァァァァァーーー」
まるでギャグ漫画のように小気味良い投擲音と放物線を描いて、口裂け女の頭は夕暮れ間近の空へ大きくかっ飛んでいった。
「ーーー」
バタバタと暴れていた胴体は、遠く離れていく頭部に焦りを覚えたのか、俺の手を振り払い肩に食い込んだままの大太刀を引き抜いた。
「ぐっ」
一気に肩から抜かれた大太刀の分厚い刃に肉を斬られさらなる痛みが襲うが、口裂け女(胴体)はそれ以上俺に何かをするでもなく、そのまま大太刀を肩に担いで頭が飛んで行った方角へ走り去っていった。
足の速さに定評のある口裂け女の姿はすぐに見えなくなる。
「守羽!」
「なんとも…間抜けな撃退方法だったな…」
駆け寄って来た静音さんに起こされながら、俺は人面犬へ茶化すように言葉を投げる。
「いやはや全く。しかし退けることには成功した。我々も退くぞ神門、頭部を取り戻せばすぐさま奴はここへ戻ってくるだろう」
「ったく、休む暇も無いか。…静音さん、すみません。巻き込んでしまいました」
「ううん、全然。ごめんね、守羽。何もできなかった…」
人外と戦う力も無く、ただ巻き込まれただけの彼女が謝ることなど何もないというのに、気遣わせてしまった自分が情けなくて仕方ない。
ともかくここに長居はできない。肩の傷も腕の破壊も今は放置して、ひとまずの安全を確保する為に俺達は廃ビル群を後にした。

       

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