Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      

体の内側に異常が起きているのがわかった。
内臓が捩れたような感覚。現実に似たような現象に襲われているのだろう。口から溢れて来る赤い液体が激痛と共にそれを証明してくれている。
一族を根絶し滅亡に至らせる怨念の具現体、『コトリバコ』。
それは将来性を秘めた子供と、子孫を残せる女に絶大な効果を現す。
その呪いを一身に受けた静音は、力の抜けていく体に精一杯の命令を飛ばして持ちこたえていた。
破壊されていく内臓の“復元”は追い付かない。
強力な呪術の圧縮体であるコトリバコには、現在進行形で侵されていく肉体を逐一“復元”したところで意味がないのだ。
戻した先から再び浸食されていく。その以上な浸食速度が最大の敵だった。
なにより、静音本人の精神が耐えられない。
既に意識は朦朧としており、異能の力を使用し続けるのも限界に達しつつあった。
自分を守る為に前に出てくれた人面犬も、今や傷だらけの体で横たわっている。時々聞こえる呻き声と、こちら側へ這ってでも近づこうとしている様子から見て、まだ大丈夫そうではあるが、少なくとももう戦える状態ではない。
目の前には凶器を手にした口裂け女が、自分を見下ろしている。
眼前の人外の向こう側、血の海に沈む少年をなんとしてでも助けなければならない。そうは思っているのに、身体はもう立ち上がることすら不可能な有様。
自分が死ぬのはいい。元々守羽の言いつけを破って外に出た、完全な自業自得。
だけど、せめて彼にだけは生きていてほしい。その為に自分は来たのだから。
力になりたかったから。
「ヒッヒヒ。ネェ、キレイ?キレイ?ネェ!」
「こっほ!ぅく…」
おぞましい形相で奇声を発しながら問い掛けてくる口裂け女に対しても、血の混じった咳しか返せない。
それを見て口裂け女も興が冷めたのか、手斧を振りかざして静音の脳天へと狙いを定める。
抵抗できる余力はない。
だが諦めるわけにはいかない。
手でも、脚でも。首だってくれてやる。
せめて死ぬ前に、守羽の体に触れられれば。そうすれば異能を介して彼を負傷する前の状態にまで“戻す”ことが出来る。
直撃の瞬間に僅かにでも体を逸らして即死を避ける。
それが静音の考えられる唯一の作戦だった。
しかしそれが実行されることはなかった。

「その人から離れろ、下衆が」

名前を呼ぶ間も無かった。
口裂け女が背後を振り返る暇すら無かった。
まず最初に、小さな小さな蝋燭の火のようなものが、口裂け女の眼前に灯った。
次にそれは一秒かからず膨張し、さらに指向性を持って口裂け女の側へと爆発した。至近にいた静音にはその爆発の熱量を僅かにも感じさせずに。
「脚力、六十倍・・・
一歩で距離を詰めた守羽が、そのまま顔面から煙を上げ仰け反った口裂け女の背中を思い切り蹴り上げる。
まるでサッカーボールのように真上へ吹き飛んだ口裂け女が落としたドス黒い立方体の木箱のようなモノを、守羽はつまらなそうな表情で片手で掴み取る。
そのまま捨てるように足元の地面へ放り、落ち切る前に投げた手を握り締め、一言。
「腕力八十倍・・・
一撃。
減り込んだ片手が道路のアスファルトを粉微塵に打ち砕き、大きなクレーターを生む。
衝撃の中心点にあったコトリバコはバラバラになり、その内側にあった臓物を思わせる不気味な肉塊もろとも千切れる雲のように霧散して消えた。
「な、静音さん。さっさと“復元”を。そのままじゃ心配で集中できない」
人体の限界値である五十倍を超えた能力使用にもまるで異常をきたしていない手足を不思議そうに眺めていた静音は、やけに落ち着いた守羽の声にすぐさま自分よりも目の前の少年の体に手を伸ばした。
その手を守羽は優しく掴んで、
「や、俺はいい。すぐ治すから。それより下がって、まだ来る」
頭部から血をだくだくと流し、両足も深手と見てとれる突き刺さった鎌や貫通した小刀がそのままにされているにも関わらず、守羽は掴んだ手を押し退けるようにして静音を下がらせる。
「ギッ…ィィィイヤヤァァアアアアアアアア!!!」
上空へ飛んだ口裂け女が、落下しながら両手に凶器を構え守羽を襲う。
「…自覚さえしときゃ、この程度の人外には手こずるわけねえんだがなあ」
呟き、守羽はダンと地面を強く踏み締める。
すると今度は足元のアスファルトを突き破って、太い土の柱が突き出る。それは落下してきた口裂け女と正面衝突し、両手の凶器を交差させて防御した口裂け女が真横に弾き飛ばされた。
「ま、仕方ねえ。『僕』が出るのはなんだ、あの大鬼を殺した時以来だから、……二年、三年?とにかくそれくらいぶりだ。なあ、静音さん?」
「…!あなた、前にも…」
「そ、あんたも知ってんだろ。『僕』のことは」
静音も関わった、かつて神門守羽が『鬼殺し』と呼ばれるに至ったあの一件。
その際に出現した彼らしからぬ彼の存在を、静音は知っていた。
「あなたは、守羽ではないの?」
「ん、その質問前にもしたな、あんた。同じ答えを返すけど、『僕』はあくまで『俺』であって、『俺』ってのはあんたの知ってる『神門守羽』だ。中身はほとんど一緒なんだけど、区別しやすいようにわざと一人称変えてんだよ。喋り方にも気を遣ってだぞ?あんたの知ってる守羽は、こんな風に久遠静音と話さないだろ。敬語使うし」
面倒臭そうにがりがりと頭を掻いて、『神門守羽』は口裂け女に向き直りながら続ける。
「言ってしまえば、僕はあんたの知ってる神門守羽の『自覚しきれていない部分』なんだよ。こっちにも色々都合があってな、僕にも存在理由がちゃんとある」
じりじりと様子を窺っている口裂け女から顔を背けて、守羽は静音とは違う方向へ声を掛ける。
「で。そこら辺は、お前もわかってんだろカナ」
「…自身の自覚にやたら疎く頑固だと思っていたら、よもやそんなことになっていようとはな…それは、私にも予想しえなかった」
視線の先。震える四本足で、所々を赤く染めた柴犬が苦々しい声色で答えた。
それに守羽は僅かに微笑んで、
「ま、安心しなよ静音さん。本物オリジナルはあんたの知ってる方の守羽だ。僕はレプリカって感じかな。超震動とかセブンスなんちゃらは使えないけどな」
茶化すように言って笑うその感じは、静音もよく知る後輩のそれと同じだった。
だけどそれでも、やはり違和感は拭えない。
そんな静音の心境に関係なく、事態は進んでいく。
「さ、ひとまずバトンタッチも済んだし。続きだゴミクズ。逃げるならまだ間に合うぞ」
「…………ギヒッ!」
取り落した大太刀を拾い、口裂け女は構えをとる。
「…続行ってわけか。これだから考える頭のない人外は嫌なんだ」
軽く首を振って、守羽も同じように腰を落として構える。
「静音さん、カナを治してやってください。タイミングを見計らって、ひとまずここを離れる」
守羽が道路を破壊した時の轟音で、周囲の家々から人の騒ぐ気配がしてきている。じきにここへも誰か来るだろう。
「守羽…」
「な、早く。僕や『俺』についてなら、きっと今後いつかわかる時がくるから。絶対に」
いつもと変わらぬ彼の横顔を見て、静音もそれ以上話を続けることはしなかった。
信じると決めていたのだから、何があっても信じる。
いつもと違う彼であっても、やはり彼は自分が信じる神門守羽なのだから。
「さ、て。続けるってんなら、相応の覚悟はしとけよ口裂け女」
カナの“復元”に取り掛かった時、前方で背中を向けている守羽が、声音を低くして威圧的に言葉を発する。
「中身に多少の違いはあっても、この身はやっぱり『神門守羽』だ。『ぼく』の大切な人に苦痛を強いた大罪、とても許せるもんじゃねえ。ぶっ飛ばす」

       

表紙
Tweet

Neetsha